第13話「それぞれの戸惑いと期待」

 その日の朝から、美羽はソワソワしたように浮足立っていた。

 昨日の眠りが浅かったことだけが理由ではない気がする。

 いや、考えるまでもなく放課後のことで頭がいっぱいだったのだ。

 だが、それをすんなりと受け入れる美羽ではない。


「美羽?」

「……」


 すべての授業を終え、放課後を迎えてもなお上の空といった様子の美羽は、窓から外を眺めて一人ぼーっとしていた。


「美羽ってば」

「……」


 横から百合がいくら話しかけても、気づくそぶりがなく。


「美羽!」

「へ、ひゃい!」


 びくりと飛び跳ねそうになりながら、美羽は驚きつつ目を見開き返事をした。


「美羽。どうしたの? 大丈夫?」

「あはは……大丈夫、大丈夫」

「……やっぱり、今日のバトル断る?」


 心配そうな表情で見てくる百合に、笑ってかえした美羽は立ち上がると。


「大丈夫だって言ってるじゃん。……本当に、大丈夫だから」

「……そう?」

「うん」


 調子が悪いとか、そういうわけじゃない。ただ、レースに向かうこの感覚は、長らく忘れていた感覚で、また味わうことになるなんて美羽は思っていなかった。

 昨日の夜は、何度も魁利の試合動画を探しては見ていた。今までは、乙女の試合すら軽くしか見ずにいた美羽は、魁利のレベルを正確には把握していなかった。


 だが、動画を見たことで、その実力の片鱗を知った。いや、知ってしまった。

 ……今の美羽が勝てる可能性が極めて低いという、半ば確信に近い実感。

 それと同時に美羽は、格上とバトルをするという事実に対して心の底から湧き上がるワクワク感を必死に自覚しないようにしていた。


「ねえ、美羽。私も見に行っていいかな?」

「え、いやいや。それはちょっと」

「……でも、私が原因つくったようなものだし」

「だから、それは違うって言ってるじゃん。負ける可能性高いしさ、あんまり見られたくないのよ」

「……。わかった」


 百合は渋々と、目を伏せ気味に承諾する。納得はしていないが、食い下がったところで美羽が了承してくれないこともわかったのだ。


「百合、心配してくれてありがとう。じゃあ、行ってくるね」

「うん。……頑張ってね!」

「うん」


 何事も無げな笑顔で返した美羽は教室を出た。向かう先は勿論、自動車競技部の部室だ。

 美羽の足取りは本人の自覚なしに少しずつ速くなり、挑戦的な瞳と上がりそうになる口角を必死に抑え込んだ何とも言えない表情になっていた。


 美羽の頭の中は、この後のバトルをどう展開していくかでいっぱいになっていて、事前に見た映像を元に様々なシミュレートをしていると、気づけば部室は目の前だった。

 部室前には腕を組んで偉そうに仁王立ちする魁利の姿があり、美羽がやってきたことに目ざとく気づく。


「……来ましたか」

「うん」


 会話はそれだけ。それ以上は必要ない。後は、走りですべてが決まる。

 しばらくの沈黙。

 無言でいることが落ち着くとか、そんな空気感とは程遠いヒリついた空気を醸し出す二人の元に来客者を連れた熱海がやって来た。


 二人の姿を目にした美智は、勿論内情など知らないためチームメイトだと思ったのだが、それと同時にチームメイトには見えないとも思ってしまう。

 だが、美智はすぐに乙女の様子を思い出し、考え直した。

 北佐久高校にも乙女ライバル心むき出しなのがいるしな。変わらないか。競争系の部活なんてそんなものだろう。


 美智が一人で見当違いな納得をしているところへ、マフラーの排気音が近づいて来た。

 音のなるほうへ美羽が意識を向けると、そこにはこちらにやって来るハイエースワゴンの姿があった。

 ハイエースワゴンは魁利と美羽の横に停まると、運転席の窓が開き顧問の氷華が顔を出してくる。


「はい、乗っちゃってね」


 氷華に促されるまま、魁利はすんなりと、美羽は少し身構えつつ乗り込む様子を見て疑問を持った美智は、続いて乗り込もうとしている熱海を引き止めると。


「使う車はどうしたの?」

「積載車で先生が先に持ってってくれてるよ~」

「先生が?」


 先生というのはおそらくあの、ハイエースに乗っていた女性教員のことだろう。

 だが、近場のコースか何かがあるなら、自走で部員がもっていけば良い。特殊免許を持っていれば、所属している学校から半径十キロ圏内は運転が可能なわけだし、それ以上遠くに練習場所があるとも考えづらい。

 まあ、部長が運ばないのはわかる。あの二人がメインドライバーなら、あの二人以外がもっていくのもまあわかる。

 でも、なぜ顧問なのか。ほかの部員にやらせない理由があるのだろうか、と美智は新たな疑問を抱いた。


「ほかの部員はどこにいるの?」

「へ?」

「いや、だからほかの部員」

「これで全部だよぉ」

「……は?」

「だ、か、ら。部長の私とあの二人。これで全員」


 正確には美羽は部員ではないはずなのだが、本人がいないからとこれ幸いに虚偽情報を流す部長である。


「……冗談?」

「ううん。マジマジ」


 絵にかいたような、超弱小校じゃないか。

 美智は、そう自分に突っ込みつつ、それでも何かあるかもしれないと再度自身に言い聞かせる。

 半ば混乱している美智を放置し、熱海はハイエースへと乗っていったかと思うと、ぴょこっと顔を出し。


「みっちゃ~ん。おいてっちゃうよ?」

「あ、うん」


 少し小走りで最後に乗り込んだ美智はハイエースのドアを閉め席に座る。ハイエースは十人乗りのワゴンタイプであり四列シートである。

 二列目には熱海が座り、三列目には美羽。四席ある四列目の一番奥に魁利が乗っていたため、美智は一番広い四列目の席の中から、魁利と一番遠い真逆端の席を選んだ。

 先ほどまでは美羽のことで頭がいっぱいだった魁利も、さすがにハイエースに乗り込んできた時点で美智の存在には気づいていたわけだが。


「なんでいるんですか」


 率直な気持ちと共に、敵対心を眼力にのせて向けた。


「部長さんのご厚意でね」


 美智が魁利の圧に取り合わずスルーしていると。


「あれ? 北佐久の子?」


 ルームミラー越しに後部座席に目をやった氷華と美智の目があった。


「あ、はい。すいません。部長さんのご厚意で見学させていただくことになりまして。急の訪問で申し訳ありません」


 顧問に挨拶もしていなかったことにハッとし、慌てて頭を下げる美智だったが、氷華はまるで気にする様子もなく笑顔を見せた。


「あ、ううん。全然いいよ。楽しんでってね」


 楽しむという言葉の真意が美智には解らなかった。

 青ブレザーに水色リボンと灰色スカートという制服が北佐久のものだとわかるということは、高校生自動車競技の強豪校を把握しているということだろう。

 つまり、敵ともいえる相手なのにも関わらず、楽しんでと言えるなんて。そんなに自信があるのか、はたまた侮られているのか。

 美智は理解できないまま、何とも言えないトーンで、


「は、はい」


 半ばどもりつつ返してしまう。

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