第19話 穴があっても入りたくない

 星都ペンタリアから半日ほど歩き、灰色の森を抜けた先。山の岩肌にひっそりと口を開けた洞窟が、まるで亡霊の声でも漏れ出しそうな不気味さを漂わせている。


 時は夜。


 その洞窟の近くで俺はクレアとキャンプしていた。

 異世界に来てまでキャンプがしたいわけじゃない。クレアの依頼を手伝うためだ。

 クレアが受けたギルドの直依頼は、洞窟に巣くうゾンベアーの討伐依頼。つまりゾンビ化した熊の駆除で、放っておくと周辺の生態系に著しい悪影響を及ぼすらしい。

 今すぐ駆除に向かわないのは夜になると凶暴性が増すからで、夜明けと同時にミッションを開始する手筈となっている。


「──この焼き魚、信じられないくらい美味いぞ!」


 パチパチと火の粉が舞い上がるなか、最初の一口を食べたクレアが感嘆の声を上げた。

 俺は得意げに、


「だろ? 火の入り方ももちろん大事だけど、一番の決め手は塩加減なんだ」


 たかが塩と侮るなかれ。

 塩加減ひとつで、料理の味は八割方決まるんだよ。


「塩ひとつでこんなにも美味くなるものなのか……私は料理はからきしだから素直に尊敬する」


 真っ直ぐな目を向けられ、なんとなく照れくさくなった俺は、誤魔化すように串打ちした魚を焚火の前に刺しながら、


「まだまだあるからな。じゃんじゃん食べてくれ」

「感謝する。しかしコタロウは魚を獲るのも上手かったな。というか素手で魚を獲るなんて普通できないぞ」

「ん? ──まぁ普通はそうなのかもしれないな」


 残念なことに俺は普通じゃない。

 修練の一環として4歳の誕生日から十二歳の誕生日を迎えるその日まで、数か月に一度の割合で山に捨て置かれた。

 期間は親父の気分次第。当然食糧なんて与えるはずもなく、そして人間は空腹に耐えられるようにはできていない。

 俺は生きるため、山の中にあるものならなんでも口にした。結果として死にそうになったことも一度や二度じゃない。そんなことを繰り返していれば、嫌でも人並外れたサバイバル技術が身につくってもんだ。


 最初の数年間は親父を恨みに恨んだっけ。

 今は親父の意図がわかるからほんのすこーしだけ感謝しなくもない。

 ……なんか、だんだん腹が立ってきた。


「ヌマリゲータを初めて見ても一切動じなかったことといい、やはりコタロウは普通の冒険者とはどこか違うな」


 まぁ本職は忍びですし。

 冒険者は世を忍ぶ仮の姿ってやつだから。


 と、そんなことを言えば追及されるのは目に見えているので、俺はさっさと話題を変えることにした。


「ゾンベアーって生態系にどんな悪さをするの?」


 そう質問すると、クレアはこいつマジかみたいな表情を浮かべた。


「ここに来る途中灰色の森を通っただろう。あれはゾンベアーが発する瘴気を浴びた成れの果てだ。ゾンベアーは豊かな森を死の森に変える。子供でも知ってることだぞ」


 俺はギャルばりの横ピースを披露しながら、


「頭脳は赤子、体は大人、キラン☆」

「……ふざけてるのか?」

「や、ごめんなさい。あ、この焼き魚もう食べごろみたいっす」

「あ、ああ、すまんな」


 よーし、なんとか誤魔化した。

 しかし、どうりで生き物がいなかったわけだ。異世界だからそんな森もあるんだなーくらいにしか思ってなかった。

 やっぱ情報収集って大事だわ。


「とにかく……モシャモシャ……動物たちと同じように……モシャモシャ……人間が生きていくためには……モシャモシャ……豊かな森は欠かせない……モシャモシャ」

「ま、まだまだあるからゆっくり食べて」

「すまんな……モシャモシャ……とにかく美味すぎてな……モシャモシャ」


 喜んでくれたようでなにより。

 クレアは典型的な痩せの大食いというやつなのか、十匹獲った魚のうち八匹をペロリと平らげてしまった。


「コタロウより多く食べてしまった。恥ずかしい……」


 クレアは両手で顔を覆ってプルプルしている。

 いや、散々食ったあとにそんなわかりきったこと言われても……。


「明日は早いしもう寝ようか」

「そ、そうだな」


 焚火は消さず、俺は適当な場所でゴロンと横になる。

 どこで寝てもいいはずなのに、なぜか俺の隣にクレアが寝転がった。

 

「……クレアって俺のこと好きなの?」

「んなわけあるか!」


 秒で、しかも力強く否定されてしまった。

 だったら勘違いするような行動をとるのはやめてほしい。

 男はちょっと体が触れたとか、目が合ったとかで俺のこと好きなんじゃね? って簡単に思ってしまう、そんなラブリーな生き物なんだから。


「なにかあったときお互いそばにいれば対処も容易だ。冒険者の常識だぞ」


 言って、呆れたような溜息を吐くクレア。


 すみませんねぇ、冒険者の常識も知らなくて。

 それにしても星が綺麗だ。

 ──あ、流れ星♡

 どうかフィアナが俺のこと恋人にしたいって思っていますように。

 

「……コタロウ」

「べ、べ、べつに願い事くらいしたっていいじゃない!」

「何を慌ててるんだ? それよりもフィアナとは順調なのか?」

「順調も順調。順調すぎて怖いくらいよ。はっはー」


 俺は自分に言い聞かせるように言った。


「─────そうか」


 だからその間はなんなの!


「フィアナはいい子だ。これからは自分のためだけに生きてほしい……」


 え? なに? すげー意味深な発言なんだけど。

 まるでフィアナの過去を知ってるような口振りじゃないか。

 でもリュウグウ花の依頼のときはそんな風に見えなかったし、たしかフィアナも初めましてって言ってたよな?


 フィアナは自分の過去のことを話さないし、俺も聞いたりはしない。以前蓮華が隠し事をしてるとか言ってたが、そのことと何か関係があるのか?


「なぁ、それってどういう意味だ?」

「スゥーーーーーーー」


 横を向くと、クレアは気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 お前はのび太君か。





 朝焼けの光を背に、俺とクレアは洞窟の入り口に立っていた。


「行くぞ」

「全然気は進まないけど、うす!」

「狭い洞窟の中ではいつも以上に慎重さが求められる。決して急ぐ必要はないからな」

「全然急ごうとか思ってない、うす!」


 俺はたいまつを両手に洞窟内へと足を踏み入れた。そして、クレアは俺との距離を数歩空けて後に続く。

 たいまつのあかりが水分で湿る洞窟内をテラテラと照らす。


 事前に会話は必要最低限と言われてたのでお口をチャックしながら進んでいると、何度目かの曲がり角のところでクレアの足音がぱたりと止む。洞窟に入ってから一時間くらいが経過したときだった。

 振り返ると、クレアが周囲に目を走らせながら「妙だ」と呟いた。


「なにが妙なん?」

「ここに来るまで一匹たりとも獣魔の姿がない」

「? それって問題あんの?」


 大なり小なり戦闘というものは体力を消耗させる。ゾンベアーと戦う前に体力がありませんではお話しにならない。クレアが永久機関を内蔵しているなら話は別だけど、戦いに身に置く者であれば余計な戦闘は極力回避するものだ。


「この洞窟はそこまで広くはない。このあたりならゾンベアーが使役している吸血蜂がいてもおかしくないんだが……」

「なにその不穏しかない名前。もしかしなくても血を吸うの?」

「吸うぞ。やつらは対象物に針を刺したら殺すまで吸うことをやめない。カラカラに乾いた死体を見たら吸血蜂の仕業だと思っていい」


 おーこわっ。

 吸血蜂めっちゃやばいやつじゃん。

 むしろ、吸血蜂のほうがやばいまである。


「そんな極悪生物いなくてラッキーじゃん。今日は天気もよくなりそうだし、外で羽でも伸ばしてるんじゃない?」


 蜂だけに。


「私もそれほどやつらの生態に詳しいわけじゃないからな。そうだといいんだが……」


 クレアは難しい顔でそうつぶやく。


「フラグを匂わすような発言はやめようよー」

「フラグ? よくわからんが先に進むぞ」


 探索を再開する。

 結果から言えば、フラグが立つようなことはなかった。


「──ひょっとして、あれがゾンベアーか?」

「ああ、ゾンベアーで間違いないが……」


 洞窟に足を踏み入れてから四時間あまり。今、俺たちは洞窟の最奥と思われる場所にいる。そして、そこには壁にもたれかかるようにして死んでいるゾンベアーの姿。

 俺の見立てだと、死後三日は経過していると思われる。

 

「わけがわからん。一体どういうことだ……?」


 困惑するクレア。

 ゾンベアーの死体に歩み寄った俺は、致命傷と思われる胸の風穴に目を留めた。

 このまるで機械でくり貫いたような正確無比な穴は……。


「尋常じゃない手際だな」

「うおっ⁉」


 心臓に悪いから急に綺麗な顔を近づけないでほしい。

 クレアは途端に表情を不機嫌に変えて、


「なんでそこで驚く?」

「なんでって、綺麗な顔が突然現れたら誰だって驚くわ」

「──ッ⁉ 君ってやつはなんでそういつもいつも……」

「そんなことより、こんなことができる人間に心当たりがあるか?」


 ゾンベアーの前に屈んだクレアは致命傷と思われる風穴をまじまじと見つめ、


「傷の形状からして風の魔法だろうが……少なくとも私が知ってる冒険者でこんなでたらめな真似ができるやつはいない。もちろん私も含めてな。仮にできるとすれば、1級以上の冒険者。それと勇者。あとは星導師くらいしか思いつかん。だがそんな人間が今の第三大陸にいるとは思えない」

「そうか……」


 穿空せんくう

 その単語が俺の脳内を駆け巡る。


「魔族の仕業と考えるのが妥当な線だな」

「魔族ねぇ……」

「歯切れが悪いな。ひょっとして心当たりでもあるのか?」

「いや……」


 見れば見るほどあいつの顔が浮かんでくる。だけど、そもそもあいつが異世界にいるわけがない。

 あいつと同じような技をもつやからがこの異世界にもいるということか……?

 

「正直拍子抜けした感は否めんが、灰の森がこれ以上広がることはないだろう。とりあえず依頼は完了だ」


 クレアがゾンベアーの死体に左手を触れると、銀色の腕輪が光を帯びた。


「え? これってクレアが討伐したことになるの?」 


 立ち上がったクレアが言う。


「最初に死体に触れた者しか腕輪は反応を示さない。腕輪が光った以上はそういうことになる。もちろん経緯はギルドに報告するぞ」

「報告したら報奨金をもらえないってことはないのか?」


 クレアは少しだけ考える素振りを見せて、


「私も初めてのことだから断言はできないけど、減額されるかもしれないな」


 じゃあ馬鹿正直に言わなくてもよくない?

 そんな俺の思いを察したのか、


「安心してくれ。たとえ減額されたとしても約束した金額はちゃんと渡す」

「それだとクレアが損するだけじゃん」

「そうだが手伝ってくれるよう頼んだのは、ほかの誰でもない私だからな」

「……もしかしてクレアって超いい奴なの?」

「別にいい奴じゃない。いたって普通のことだ」


 クレアはさも当然のように言った。

 普通かどうかはともかく、クレアがクソ真面目なことは万人が認めるところだろう。

 少し心配になるくらいに……。


「戻ろうか……」

「そうだな」


 謎は謎のまま、俺たちはこの場を後にした。

 予定していたゾンベアーとの戦闘もなかったことで、俺はどこか気を抜いていたのかもしれない。

 それがこんな事態を招くとは思いもしなかった。


「コタロウ大丈夫かっ!」

「俺は問題ない。──それにしても地面が崩れ落ちるとはね」


 とんだ失態だ。来た道と同じ道を通ったわけだから、最初の段階で何かしらの兆候はあったはず。つまり、完全に見逃していたということだ。ここに蓮華がいたら腹を抱えて笑うに違いない。

 ちなみに穴の深さはざっと5mといったところだ。


「この程度の深さならよじ登れそうだ。コタロウは大丈夫か? 無理なら私が上がったあと、ロープで引っ張り上げるぞ」

「自力で上がれるから大丈夫」


 俺がそう答えると、


「────そうか」


 だからその間!


「獣魔が待ち伏せている可能性もある。悪いが先に行かせてもらうぞ」


 そう言って右足を岩に引っかけるクレア。一瞬苦悶の表情を浮かべたのを、俺は見逃さなかった。


「落ちたときに足をくじいたのか?」

「別に大した問題じゃない。私のことは気にするな」


 気にするなって言われてもねぇ……。

 俺は痛みを無視してさらによじ登ろうとするクレアの腕を掴み、


「なななっっ⁉ なにをしてるんだッ‼」


 そのままクレアをお姫様抱っこした。


「落ちないようしっかり掴まってろ」


 普段の修練に比べれば、この程度は穴のうちにも入らない。左右の壁を蹴りつけながらなんなく穴から脱出した。

 俺はなぜか目をパチパチさせているクレアに話しかける。


「自分で歩けるか? 歩けそうにないならこのまま運ぶけど?」

「あ、歩けるッ! 歩けるから早く下ろせッ!」


 そんな顔を真っ赤にして怒らなくてもいいじゃん。俺にお姫様抱っこされるのがそんなに嫌だったのかよ。

 地味に凹むんですけど……。


「足のほうは大丈夫か?」

「…………」

「おーいクレアさーん」

「…………」


 どうやらお姫様抱っこが相当気に入らなかったらしい。何度話しかけてもクレアは無言を貫き、その態度は洞窟を出てからも変わらなかった。


「無事に帰ってこれてよかったよかった」

 

 ま、討伐対象がすでに死んでいたから当然といえば当然なんだけど。

 太陽は真上近くにあるから今はちょうど昼くらいか。


「…………」

「あのークレアさん。ちょうどお昼ですし、また魚でも獲りましょうか?」


 魚を食べれば機嫌も直るだろう。

 そう思って話しかけると、


「……約束の報酬はコタロウの名でギルドの受付嬢に預けておく。明日になったら受け取りにこい」

「え? ちょっ!」


 一度も俺の顔を見ようとはせず、クレアは俺から逃げるように去って行く。


「……足、お大事に」


 ポツンと残された俺に、冷たい風が容赦なく吹き付けた。



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