第50話 自分の心
リョウが試練に出て数時間が経過した。
今頃苦戦している頃だろうか?
それともすでに数匹は狩り終え覚悟を身に付けた頃だろうか?
とめどなく脳裏を駆け巡る不安。
不安?
このボクが他者を心配するとは……
それは今までの自分では到底考えられない実に不思議な感情だった。
等速なはずの時間の流れさえも、やけに遅く感じた。
「ずいぶん時間がかかってるな……いや、星の動きからしてまだ二刻ほどか」
夜明けどころか陽が沈んだばかりだと言うのに全然落ち着かな――
ッ!!
ぶふぉおぉぉぉぉっ!!
木々の合間から突然飛び出してきた猪の魔獣。
「ふん、ボクを狙うとか。愚かだよ、キミ」
ボンッ!
と人差し指と中指を向けた瞬間に小さな破裂音を上げて魔猪の頭が砕け散る。
「リョウが戻って来たら猪鍋だな。鍋なら、いくらボクでも失敗するはずは……ま、まぁ、無いだろう」
さて、準備でも――ッ!
バオォォォォォッ!!
またも木々の合間から飛び出してきた魔獣。
今度は熊か。
魔猪の牙を蹴り折り、魔術に乗せ魔熊の心臓に向かって一直線に穿つ。
「猪の次は熊か。ま、当分肉には――」
ぶるあぁぁあぁぁぁぁぁぁぁっ!!
「って! またかよっ!!」
再び木の合間から飛び出してきた魔猪。さっきのより二回りは大きな体躯だ。
縄張りに五月蠅い魔獣の同種が立て続けに出て来たのには一瞬驚かされたが、それだけだ。
指をパチンと弾くと同時に魔猪の心臓が破裂し絶叫とともに地面に転がった。
魔術耐性が低い魔猪は、不意打ちにさえ気を付ければ恐れるに価する敵ではない。
「ボクん所じゃなくて、リョウの所に出てあげれば今頃とっくに帰ってきてるだろうに」
それにしても何が起きてるんだ?
魔熊が出てきたのはまだ分かる。
魔猪が破裂した時の血の臭いに誘われて出て来たのだろう。
だが、納得いかないのは二頭目の魔猪だ。
体躯の大きさから縄張りを奪いに出たとも言えるが、生態系的には魔熊の獣臭がすれば怯えて出て来ないはず。
それなのに怯えもせずにここに現れ――
怯えもせず?
「……もしかして、すでに何かに怯え出てきたのか?」
思わず振り返った森の奥。
「ま、まさか……」
視線は森を越え、遙か後方にそびえる断崖絶壁の山に釘付けになる。
「はぐれ……なのか? まずいっ!!」
気が付けば夢中で走っていた。
どっちだ?
どっちのはぐれが出た?
はぐれには二種類いる。
リーダー争いや雌の取り合いに敗れた個体。
そしてもう一つが、突然変異体の最早魔獣とは呼べない魔物と化した個体だ。
もし、後者だったなら……
冷たい汗が流れ落ちる。
「くそっ! リョウ、無事で居てくれ!!」
奥から次から次に湧き出てくる魔獣を破壊し、地面に残った足跡を探り、さらに深く深く潜っていく。
……ッ!
地面に残された戦闘痕。
この足跡は間違いない、
「……魔猿だ。まさか」
まさか、こんな麓まで出てくるとは。
「ッ!!」
そこにあったうつ伏せの魔猿の姿。
あの下にリョウは組み敷かれているんじゃ?
心臓が早鐘みたいに震える。
「リョウッ!!」
だが返事は無い。
見ればうつ伏せの魔猿は血塗れですでに絶命している。
「……背中に、まだ治りきっていない傷が。群れを追われた個体のはぐれか。それにしてもはぐれがこの時期に出るなんて、凶暴になる繁殖期よりずいぶん早いな。いや、それよりもリョウ……キミは一体どこに居るんだ? この魔猿は、まさかキミが倒したのか?」
うっすらと明るくなりはじめた空。
見渡してもリョウの姿は見当たらない。
声も、気配さえも。
「まさか、崖から落ちたんじゃ……」
その予想は嫌な形で当たってしまう。
地面に崩れた跡があり、谷底へと繋がっていた。
「まさか落ちたのか? いや、落ち着け。下は川だ。死んだとは……いや、仮に落ちて無事だったとしても、リョウのことだ、変な強運を引き当てて遺跡に辿り着いたんじゃ……」
それは予言にも似た確信だった。
そして、それは現実になる。
濡れた地面の水跡が、遺跡の中へと繋がっていたのだ。
「いや、落ち着け。この遺跡から転移するキーワードは、ボクですら偶然に発見出来ただけだ。さすがにリョウが見付けられる、とは……見付けられ、ぐぎぎ、あぁあぁぁぁっ……だけど、リョウだもんなぁ! こう言う時だけ無駄な強運を引きそうだなぁ、クソッ!!」
ボクはこの時、パニックを起こしていたんだと思う。
「探しに行くべきか? だけど、確信も補償も無く捜すなど愚の骨頂」
そう、それが二重遭難を防ぐ最低限度の常識だ。
まして、どこに繋がるかも分からない状況での捜索は御法度……どうする?
どう……
「ああぁあぁぁっ、クソッ!!」
この行為は理性的じゃ無い。
ボクらしくない!
そんなのは、分かっていて……
だけど、
う、うぅぅ……ああっ!!
「クソッ! イプシッ!!」
刹那歪んだ視界が開けるとそこは見覚えの無い景色だった。
昔、繋がっていた場所とは違うのか?
いや、あの公園にある木。あれは、良が悪ガキの猿に啖呵を切った時に登っていた木だ。
あの山は……
そうだ、あの山も覚えている……良が落ちた木のあった山。
間違いない。
ボクは十年ぶりに、こっちの世界に戻って来たんだ。
記憶を頼りに歩き回る。
だけど、町並みはボクが思う以上に変わっていて……
一体何が起きたんだ?
十年かそこらでこんなにも世界が変わるものなのか?
まさか、この国も戦火に巻き込まれて……
いや、そんなはずは無い。
そんなことがあってたまるか!
我知らずフラフラと彷徨い歩く。
おそらく民家と思われる、記憶に残る建物がまばらに残っている。
再開発でもあったのか?
ボクの世界でも稀にスラム街などを強制的に撤去して住宅街にすることはあるが、こんなに発展した世界でもそんなことがあるのか?
必要を感じないほど治安は良さそうだけど。
いや、考えてみたら、ボクが初めて来た時に絡んできたチビ猿が居たみたいに、意外とこの町は治安が悪かったのか?
だから良は正義の味方に憧れていたのか?
「あら、もしかして? 確か、そうよ! ソフィーティアちゃんよね?」
不意に背後から掛けられた声。
それは記憶の片隅に残っているどこかで聞いたことのある声音。
振り返るとそこには、見覚えのある顔立ちの女性が居た。
誰、だ?
少なくともこの世界でボクをソフィーティアと呼んでいたのは、良ぐらいしかいないはず。
とは言え、ここに来ていた頃のボクはハッキリ言って他人に興味が無かった。
正直、誰と関わったかなんて記憶の片隅にも残っちゃ居ない。
だけど、何だ?
この顔立ち、どこかで?
どこ、か?
違う。
この顔……
目の周りに心労を伺わせる隈があるけど、そうだ、黒髪と黒目という差異こそあれ、この顔はリョウに似ているんだ。
何で、何でこんなに似ているんだ?
「ずいぶんおっきくなったわね。おばさんのこと覚えてない? 昔、うちの子と仲良く遊んでくれたわよね。え? あ、あら? ご、ご免なさいおばさんったら! 昔うちによく遊びに来てくれたソフィーティアちゃんは黒髪じゃ無かったわね。綺麗だったけど不思議な髪色の女の子だったもの」
いえ、ボクがそのソフィーティアです。
って言うか女の子?
あれ?
そう言えば、今思い出してみると、
そういや、ツレションした時に良が崩れ落ちた記憶があるぞ。
いや、そんなことはどうでも良い!
何だ、何かが噛み合わない。
いや、違う。ボクはそれが噛み合うのをあえて考えないようにしてるんじゃ無いのか?
「本当にご免なさいね。もしソフィーティアちゃんだったとしても、ずっと昔に仲良く遊んでいた子供のことなんて覚えているはず無いわよね」
ドクンと心臓が高鳴った。
ソフィーティアが、
そんなの、そんなの一人しか居ない。
そして、その親がリョウに、似て、いる……
ッ!?
まさか……
リョウはあの時、木から落ちた時にすがり付いて泣いていた、良の姉なのか?
「うちの子、行方不明になっちゃってね。少しでも情報が欲しくて慌てちゃっ……あ、あら、走って、行っちゃたわ」
気が付けばボクは、その場から逃げ出すみたいに走り出していた。
はぁ……はぁ……
「お、落ち着け。まだ、そうと決まった訳じゃ。いや、いい加減認めろ。たぶん、良は死んじゃいないはずだ。はず、だけど……良の姉のあの悲しみ方を思い出せ」
もし、リョウがあの時の姉だとしたら……
まさか、弟の名を名乗ってまで恨みを晴らすためにボクの居る世界まで来たのか?
我ながら突拍子も無い考え方だと思う。
だが、異世界に繋がる門が存在するのだ、何が起きてもおかしくはないんじゃないのか?
だとしたら、次元を超えてまで恨みを晴らしに来るとしたなら……
「まさか、良は……あの時助けたはずだ、助けた、は、ず……」
死という言葉が脳裏をよぎる。
「そんな、はずは……そうだ、確かめないと……」
だけど、確かめるったって、何を、どうすれ――
「ッ!?」
不意に襲われた目眩。
これは、まさか。
転移?
バカな、ボクはまだあの名前は叫んでな……い……
視界に光が戻ると、そこは遺跡の中だった。
「なん、で……」
辺りを見渡すと、粉々に砕けた台座があった。
それは明らかに人為的に破壊された跡。
「だ、誰がこんな真似を。まさか、魔猿が忍び込んだのか?」
くそっ!
台座が無いんじゃ、この遺跡は死んだも同じだ!
いや、落ち着け。
そうだ、帝国にある遺跡だ。
あれは、良と同じ言語を使う人間が居た。
なら、良の居る町に渡れるかも知れない。
時代が同じかも分からないが……賭けだな。
だけど、無謀な賭けだからとベットしない理由にはならない。
足取りは重たかった。
何一つ解決も出来ないで逃げ回っていた人生。
その人生にまた一つ、濃霧がかかったみたいな課題が加わった気分だった。
いや、あの世界の結果にもし答えがあるとしたら、それはとてもクリアな答えだ。
リョウにこの命をあげればいい。
それが、望みだろうから……
でも、恐らくリョウは気が付いていない。
だって……
「だ、大丈夫だよね? でもアルハンブラってば、可愛い見た目なのに俺に対してドSなとこあるからなぁ……問答無用で『はい、失格。お疲れ様でしたさようなら』とか淀みなく宣告しかねないし……ああ、もう!! アル君のイケず! 真性ドS!」
この調子だもんなぁ。
追っかけてくるだけの執念があっても、ボクがその仇だと気が付かないとは……
「誰が真性ドSだって?」
「ほきゃあぁぁぁぁぁ!! ア、アル君、な、何でここに?」
だけど、それは不思議な感覚だった。
目の前に居るのは、ボクを憎んでいるはずの相手で……
ボクは、それを受け入れる側のはずで……
それなのに――
昨日までみたいな馬鹿な掛け合いをするだけで、いや、リョウとこうやって話せるだけで、思わず笑みがこぼれそうになる。
今ここにリョウが居る。
ただ、無事で居てくれた。
それが、それだけのことが、ただただ嬉しい。
自分でも狂ってるんじゃ無いかとため息をつきたくなるほど相反する感情だ。
でも、
「本当に無事で良かった……」
絞り出すみたいにこぼれ出た言葉。
これは間違いなくボクの本音だ。
そして気が付けば、そんな本音に押し流されるみたいにリョウを抱きしめていた。
いっぱい話さないと駄目なことがある。
リョウが何者なのか……その確信も欲しい。
ボクが何者なのか、それも伝えないと駄目だ。
先送りにして宙ぶらりんだった楔が、穿たれた気分だっ……
「す~は~❤ しゅ~は~❤ くんかくんか❤ しゅ~は~❤」
ゾクリとした。
寝首を掻かれるとか、そう言うタイプの寒気じゃ無い。
こっちとらシリアスなのに、何でか首筋から感じる変態的に荒い鼻息。
とっさに引き離そうとするが、まるで万力で押さえつけられたみたいにピクリとも動かなかったのである。
……あれ?
もしかしてボクは盛大な勘違いをしてるのか?
そして、どうしてこうなったんだろう?
確か、疲れ切ったリョウが寝起きに「レゾンデートル」がどうのこうのと叫んでいるうちに、遺跡に対する疑問を聞かれたのが切っ掛けだった気がする。
だけど、それが何でだろう?
えっと……
リョウは床で正座していた。
何でだって?
ボクだって何でこうなったのか、正直頭痛が痛いよ。
流れ的には真面目な話をしていたはずで、ボクだってリョウに正体を明かすつもりだったんだ……
ただ、ボクが語ろうとするよりも斜め上の速度でリョウの脳内がピンク色だったと言うべきか……
下ネタに走りすぎるんだよ。
「だから、女の子なんだから身体を大事にした発言をしなさい!!」
何でボクが年上の女性を相手に、年頃なのに貞操観念の低い娘を持った父親みたいな叱り方をしないといけないのか。
ため息しか出てこない。
自分の罪をリョウに伝えようとしても、まるでウナギを手掴みするみたいにのらりくらりとはぐらかす感じで本題からずれていく。
いや、リョウが聞くのを意図的に逃げていると言うよりも、リョウのスケベ心が爆発してシリアスが逃げていくと言えば良いのか……
と、とにかく、リョウは下ネタ全開だった。
だけど、こんな人の成り損ないみたいなボクでも、もう分かっている。
リョウがボクに好意を抱いていてくれていることぐらい……
だから、あんな暴走した思考回路になって好意から行為に至ろうとするのも、さ……
そして、ボクも、
リョウを……
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