第5話 前向き思考は難しいけれど

「やらかしちまった、やらかしちまった~どうしてこんなことになってしまったのかあぁぁぁ……」


 思わずどぶ〇っくみたいなフレーズを呻いてしまったが今すぐ逃げ出したい気分なのは本当だ。


「ショタに襲いかかる痴女(元男)って、字面からもやばさ爆発だな」


 盛大に怒られるだろうなぁ。

 もしかしたら追い出される可能性も……

 いっそ出会い頭に土下座……いや、土下潜りぐらいやれば許してくれるだろうか?

 でも何時までも布団の中でウダウダやってる訳にも行かない。こういうのは時間が経てば経つほど気まずくなるに決まってる。


「謝りにいこ……」


 覚悟を決めてため息交じりに部屋を出る。


「仕方ないですね。格闘技などをやると軽い興奮状態になりますし、ボクも初めて見ましたが魔術により自我の齟齬が上手くとれず暴走することがあると聞きます」


 最初何を言われたのかわからなかったが、どうやら俺は連日の運動やら魔法やらの練習で軽く興奮状態になっていた上に男としては未知の経験を体験することで感情まで不安定になっていたらしい。

 まあ、運動なんかやってると起こるナチュラルハイだかランナーズハイだかって状況だろうか?

 とにも、アルハンブラはそう言うと以外にも困ったように苦笑いするだけだった。

 めっちゃ怒られると思ったから拍子抜けというか何て言うか……


「それに」

「それに?」

「ま、まぁ何て言うか、その、失礼ながら貴女はすでに女性として成熟期に入っていると思っていたものですからボクが失念していたミスもあります」


 そう、アルハンブラの言うとおりだった……

 何時か来るんじゃないかと恐れていたことが我が身に起きてしまったのだ。

 俺の気持ちとは裏腹にこの身体はどんどん女になっていく。

 どうなるんだよこれから?


 落ち着け。

 落ち着くんだ日野良!


 小学校の通信簿でお前は6年間『落ち着きは無いが前向きなのが取り柄です』と書かれ続けた人間じゃないか、逆に考えろ!

 生理になっちゃってもいいさ、男で体験できるなんて人類初の経験じゃないか、と!

 

 ……

 …………

 ………………


 厳しい、我ながら厳しい。

 これじゃ前向きと言うよりもはや自暴自棄の領域だ。

 俺が敬愛して止まない首に★の痣があるイギリス紳士一族の教えにあやかろうにもこの考え方には無理がありすぎる。

 まさか自分自身がこんなにも持て余す事態に遭遇するなんて想像したことも無いからどうしていいかわからない。

 そんな感じで安静を促され数日が経過した。


「はぁ……」


 寝ても覚めてもため息しか出ない。

 これからどうすんべか。

 やるべきことは決まってるんだけどさ。強くなる、それしかないのだ。

 幸いアルハンブラも寛大に許してくれたわけだし。


 コンコンコン。


 布団の中で悩んでいると、扉をノックする音かが聞こえてきた。


「入っても良いかな?」

「あ、うん、大丈夫」

「良かった、目を覚ましていたみたいだね。牛乳温めておいたよ」


 穏やかな声音とともにアルハンブラが入ってくるとすぐに甘いミルクの香りが俺の鼻孔をくすぐる。

 アルハンブラが椅子に腰を落とすとギシリと乾いた音が鳴った。

 沈黙。

 アルハンブラから優しくされてるのにこれから落第通告でもされるみたいで緊張が俺の中を駆け巡る。


「あの……」

「大丈夫だよ。言ったでしょ怒ってないよ」


 おずおずと話しかける俺の心情を察してくれたのかアルハンブラが優しい声音で微笑みかけてくれた。

 うきゅ~……可愛いじゃねぇか、この野郎……

 何かわからねぇけど身体の奥がキュンキュンしやがるぜ。

 って、だから落ち着けよ俺ッ!

 俺は男でアルハンブラのは・・見た事無いけどたぶん付いてる・・・・はずだ。

 絶対ここが踏ん張りどこだと俺の中の男が全力で警鐘を鳴らす。

 ここから一歩でも進んでしまえば、あとは転がり落ちるみたいに止めることも出来ずに女としての自分を受け入れる気がするのだ。


「だから、そんな不安な顔しないで」

「あ、あうぅぅぅ……」


 俺が思っている不安とは違う想像をしているのは確実だ。

 それでも、ただ俺の不安を拭おうと考えてくれるのが嬉しいやら恥ずかしいやら……


「それでさ、リョ……ウ」

「な、何?」

「キミの魔術の件だけど」

「才能がしおれきったウンコ以下だって言いたいんだろ。わかってるよ」

「いや、まあその表現はともかく。うん、確かにそれに近いレベルのことを思っていたのは本当だ。こいつアールヴエルフのくせにつっかえねぇーなーって」

「うわぉ、バッサリ!」


 漫画的表現をしていたら、きっと刃が刺さった後に粉々になっていたんじゃないかなってレベルのダメージを受ける。


「でも今はその認識を少し改めるよ」

「え? それはもしかして俺には秘められた才能があるのか?」

「いや、それは飛躍した考えだ」

「何だろ、この落としてちょい上げしてまたたたき落とすみたいなドSっぷりは」

「まあ聴きなよ。魔術って言うのは本来は男性よりも女性の方が適正値が高いんだよ」

「そうなの?」

「ああ、理由はよくわかってないんだけどね。学者連中には『魔術の根源は産む力だから』って語る者もいるけど明確な理由は不明だね。まあボクには興味が無いジャンルだから研究や講釈はその分野が好きな学者にでも任せておけば良い話さ」


 実に投げやりな感じの言葉だがこの少年の本質を垣間見た気がする。


「とにもボクが言いたいのはキミの魔力の話だ」

「俺の魔力……」

「そう、その……失礼な話だと重々承知の上で言うけどキミの見た目、ようは肉体的には女性として成熟しているようだから失念していたんだ」

「エッチな目で見ていたってことか」

「聞け」

「ごめん冗談だから。何もそんなに青筋たてんでもええやねん、真弓くん」

「誰だよ真弓って。取り敢えず本題に戻すよ。ようは男子なら精通、女子なら初潮を迎えないと体内の魔力循環が上手くいかなくて魔術が上手く使えないんだ」

「そうなの?」

「一般的には、ね」

「一般的?」

「ま、世の中には例外もあるってことさ」


 所謂、天才というかぶっ壊れ能力というか要はチート連中か。

 アル君はまだ精通してなさ……


「おい、何考えてる?」

「なにも~。たぶんアル君はチート持ちなんだろうなって思っただけ」

「チート? 聞き慣れないけど、とりあえず今その話は置いておこう。本題に戻るとキミの場合いくら記憶が飛んでいるにしても、たいした魔術も使ってないのに魔素酔いを起こすとかちょっとあり得ない事が起きてた。それでまったく適性が無いのかなって思ってたんだけど……そもそもが魔素の循環自体が上手くいってなかったんだ。これは完全にボクの失念だったごめん」

「あ、いや、こっちこそごめん……」


 アルハンブラは何も悪くない。

 何せ、俺はそもそもがこっちの世界の人間ですら無く女ですら無かったのだ。気付けと言ったってそりゃ最初から無理な話だ。


「それで改めてキミの体調が良くなったら基礎からだけど一からやり直そうと思うんだ。きっとそれが一番の近道なはずだから、ね」


 念を押すように優しく告げられる。

 年下のくせに! 年下のくせに! このイケショタめ!

 うぅ、この世界で初めて出会ったのがアルハンブラで本当に良かった……。


 情けないが年下だけど頼れる人が居る。その安心感で俺の頬をまた大粒の涙がこぼれ落ちた。


 そして、またしばらく時が流れた。

 女って本当に凄いと思う。

 正直、毎月あんな思いをしている思うと男の俺からすれば恐怖でしか無い。

 ええ、まともに動けるようになるまで四日もかかりましたよ。


 その間の飯はぶっちゃけクソ不味かったけどアルハンブラが甲斐甲斐しく手を貸してくれたのは嬉しかった。

 ただ、ちょっと気になるのが、コイツ弱った女の扱いやけに手慣れてねぇかってこと。

 ま、まぁアルハンブラがどこの誰と仲良かったとか俺には別にどうでも良い話だけどな。


「集中してないみたいですが、かわさないと死にますよ」


 凄まじい勢いのかかと落としが俺の眼前を走り抜け視界のすみで地面がえぐれ吹き飛んだ。

 や、やう゛ぇ~……俺の背中に冷たい物が流れ落ちる。

 今のまともに喰らってたら俺の頭は確実にスイカ割り状態だったぞ。

 眼前に居るのは戦闘モード全開(それでも恐らくはだいぶ手加減してくれてるみたいだけど)のアルハンブラだ。


 初潮を迎えたからと言って、正直、あれから劇的に魔術が上手くなったとかそんな都合の良い事は起こらなかった。

 ただ、未熟者は未熟者なりに魔術がどんなものかは知覚出来る状態にまで成長した。

 男として大切な何かを犠牲にしたけどな。

 とにも俺は師匠であるアルハンブラに向き不向きを選別してもらえる程度には認めてもらえたんだと思う。

 それが現在いまの俺。

 ようは魔術が使えないなら魔素循環のみで肉体を強化する魔拳士になれという脳筋理論に至ったのだ。

 もっと簡単に言えば近接して攻撃かわしてグーで殴れって話だ。

 剣も魔術も使ったことが無い人間がゼロから何かをはじめるよりも、扱い慣れた肉体で戦う方が楽なのは確かだ。

 何よりも俺向きなスタイルが気に入った。

 そしてアルハンブラの見立て通り俺にはそっち方面の才能があるらしかった。

 もしかして中学に入ってからやたらボディタッチ攻撃をしてきた悟(向こうのダチツレ)をかわし続けたおかげかもしれない。

 感謝すべきかわからんがとりあえずアイツには感謝である。


「ほら、また気が散漫になってるよ」


 いつの間にか俺の懐に踏み込んでいたアルハンブラ。

 その手が俺の身体にスッと伸びた瞬間、覚えの無い戦慄が背筋を駆け抜ける。

 この技、漫画で見た事ある! 確か、踏み込みと全身のひねりで爆発的な破壊力を生む……


「師として命令します。耐えてください」


 ッ!

 刹那、俺は本能のみで持てる全魔素を両腕に集めクロスアームブロックの姿勢を作る。

 が、そんな物はただの付け焼き刃。

 それはまるで豆腐でハンマーを、いや豆腐で車を受け止めるような特大の無茶だった。


「あ、あんたはチンミか……」


 俺は全身を凄まじい衝撃に襲われたことだけを知覚してまたも意識を失った。


 ………………

 …………

 ……


 そこは、目を覚ますとベッドの上だった。

 直後の記憶はあるが、何が起きたのかまったく覚えていない。


「いッ! いででででで……」


 起き上がろうとした瞬間に全身を襲った痛みと背中を走る打ち身のような激痛。

 脳裏に突如蘇ってくる、アルハンブラの異常な攻撃力。

 これって一歩間違えたら俺は全身挽肉状態だったんじゃ?

 こわっ!!

 挽肉ミンチマシーンに危うくチタタプされかけたと思うとゾッとするぜ。


「でも、アルハンブラやっぱ強ぇ……」


 思わず漏れた呟き。

 だが、それは嫉妬でも悲観でも無かった。

 俺の中からふつふつと湧き上がる感情。

 それが何なのかはよくわからなかったが、アルハンブラがただ強いという事実が無性に誇らしく、

 そして妙に嬉しかった。

 でもさ、この感情ってなんだぁ?


「俺、ドMじゃないんだけどなぁ……」


 そしてまた自分の中に沸き起こる複雑な感情。

 俺、元の世界に戻れても普通の男子として生活できるんだろうか?


「う~……」


 悩めば悩むほど、どうにもならない無限ループの思考が泥沼みたいに俺を捉えて放さない。

 もぞもぞと布団の中に潜り込めば、アルハンブラの残り香と俺の香りが鼻孔をくすぐる……


「この身体もしかしたらエルフじゃなくてサキュバスなんじゃねぇのか?」


 いかん、どうにもならない事を考えても思考のドツボにはまるだけだ。


「おりゃー!!」


 なけなしの男力おぢからを振り絞り気合いとともに立ち上がる。

 全身を駆け巡る激痛の嵐。


「い、いだだだだだ」


 冷たい脂汗が頬を伝い落ちる。


「お、おお、おおぅう……」


 あまりの痛みに、前衛芸術ともJ〇J〇立ちとも見える立ち姿で身体が硬直した。


「何してるの?」


 部屋に入ってきたアルハンブラの呆れたような目。

 そりゃそうだ、気絶していた怪我人が常識の範囲を超えた関節の可動域で硬直していれば呆れるか戸惑うかのどっちかだろう。

 でも、お願いだからその目はやめてほしい。

 俺が姉貴に今までどんだけ冷たい対応をしていたのか思い出して心がえぐられる。


「まあ、チョットやり過ぎたけど元気みたいで良かった」

「貴男はアレをちょっとと言いますか?」

「強くなりたいんだろ?」

「そうだけどさ」


 あかんこの男、可愛い顔してるけど基本ドSのスパルタだ。


「とりあえず二日で動けるようになってね」

「お、おう……まかせとけ」

「うん頼もしいね。あまり休まれたら家の雑務も溜まるしね」

「……あい」

「あと、それなりに動けるのが確認できたから数日以内に実戦デビューをしようか」

「え?」

「あ聞こえなかった? 実戦デビューしようって言ったんだよ」

「や、それは聞こえたけど……実戦ってあの実戦ってことかな?」

「うん、ニュアンス的にはあってると思うよその実戦で。まあ実戦って言っても低脳種を相手にするぐらいだから、今まで教えた基本をきちんと踏まえて丁寧に向き合えば苦戦しないはずだよ」


 すげぇー良い笑顔であっさりと説明してくれた。

 でも低脳種って逆を言えば加減も引き際もわからない、くれいじーなもんちゅたーだよね?

 それは安全と言えるのか?

 メチャクチャ危険じゃね?

 やりたくねぇ……

 だけどアルハンブラの世話になって早一ヶ月以上。

 ここらで本気でこの世界で生きていけるのか実証しないと一生何も出来ないままな気がする。

 何よりもそろそろ期待に応えないと、こんな素性もわからない怪しい俺を世話してくれたアルハンブラに申し訳ないってもんだ。

 そうだよ、ここで応えないと男が廃るってもんさ!


「わかったよ任せてくれ! 必ず師匠の試練を乗り越えてみせるぜ!」

「うん、良い返事だ。頑張れ」


 それはアルハンブラの素直な応援だった。

 今までダメダメだった俺を信じて応援してくれる。

 それが嬉しくてどこかむずがゆくて。

 だけど、それに浮かれた俺は気が付かなかった。

 アルハンブラの声音に潜む確かな闇と苦悩を……


 俺は、この時の自分自身の未熟さを、いや、自分自身の愚かさを絶対に忘れない……

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