003:職員室にて

 本日の全ての授業が終わり、良光よしみつ艦治かんじの席へと歩み寄る。


「艦治、終わりそうか?」


良光よしみつ、ちょっとだけ待って」


 良光は艦治のノートを覗き込み、黒板の内容を口頭で説明する事で、艦治の板書はすぐに終わった。


 二人は通学鞄を背負い、教室を出て職員室へ向かう。インプラント埋入まいにゅう手術の事前報告書に担任の電子署名を貰う為だ。


 埋入手術は十八歳になれば受けられると法律で定められているが、インプラントを脳に埋め込む事で常に電脳ネットへ接続している状態となる。

 高校のテストや大学入試など、自分の実力のみで試験を受ける事が求められる場面において、各個人が持つインプラントの識別番号を参照し、定められた時間において電脳ネットへの接続を遮断する必要がある。

 担任に手術を受ける事を報告し、手術が終わった後にインプラントの識別番号を通知すると学校へ約束する事で、インプラントの埋入手術を受ける事が出来るようになるのだ。


「手術の事前報告書はタブレットで良いのに、学校の黒板は大型ディスプレイにならんのは何でなんだろうな?

 先生が書き込んだ内容を各個人のタブレットに映してくれれば良いのに」


「古き良き時代を大切にしたいんじゃないの? タブレットに映すので良いなら、学校に登校する必要すらなくなるよ。

 それに、授業を耳で聞いて、目で読んで、手で書いて覚えるってのは理にかなってると思う。僕の視力ではなかなか辛いけどね」


 良光は艦治を先導するように前を歩く。艦治が人とぶつかったり壁に引っかかったりしないようにする為だ。


「それに、暗記するしかない歴史の問題とかだと、さらに声に出して読むと良いらしいよ」


「インプラントを入れたら覚える必要なんてないのに、何で電脳ネットから締め出すんだろうなぁ」


「入れてない生徒との差をなくす為でしょ?

 あと、入れたくない生徒とか、入れるのを許してもらえない生徒とか」


「あんな便利なもんを入れないなんて考えられないけどなぁ。不便を選択した奴に合わせる必要なんてあんのか?

 脳へのインプラント埋入手術が簡単に受けられるのって、日本人だけなんだぜ? 外国人なんて申請手続きがめちゃくちゃ大変で、申請してから許可が出るまで何年も待たされるらしいじゃん。しかも日本入国のビザもなかなか下りないらしいしさ。

 俺達は思い立った日に日帰りで埋入手術が受けられるのに、やらないなんてどうかしてるぜ」


「うーん、まぁ怖いっていう気持ちは分かるけどね。

 僕はほら、事故で視力が落ちちゃったからさ。脳ってデリケートらしいし、不安に思うんじゃない?」


「あー、何かスマン……」


「いや、気にしないで。そういうつもりで言ったんじゃないし」


 二人が職員室へと到着し、担任の席へ向かう。


「小笠原先生、ちょっと良いっスか?」


「失礼します」


「あれ? 高須君と井尻君、どうしたの? 授業で分からないとこあった?」


 担任の小笠原おがさわら英子えいこは、先ほど二人の教室で現代文を教えていた国語科教師だ。


「俺ら、今日の帰りにインプラントを入れに行きたいんで、電子署名欲しいんスけど」


 そう言って、良光と艦治が通学鞄からタブレットを取り出した。


「はいはい、えーっとどれどれ。あら、井尻君は今日が誕生日だったか。

 おめでとう! 今日は梅の日らしいから学校に来る途中で買った、梅ののど飴を進呈します」


「はぁ、ありがとうございます」


 英子から差し出された二つの梅のど飴を、艦治が両手で受け取る。艦治はそのうちの一つを良光へと渡した。

 良光はその場で包みを開けて、口に放り込む。


「うめぇ~、梅だけに」


 良光のしょうもないダジャレが職員室内に響いた。


「ん? 何だ、高須か。それに井尻も」


 少し離れた席に座っていた男性教師が近付いて来た。


「あっ、河島先生……」


 河島かわしま栄三えいぞうは、艦治と良光の社会科担当教師だ。つまり、インプラント手術について忌避感を持っている教師である。


「小笠原先生に用事……、インプラント手術か。さっき注意喚起したばかりだぞ。

 今ならまだ間に合う、二人共進路指導室に来なさい」


 そう言って栄三が、艦治と良光の肩に手を食い込ませる。


「ちょっと、河島先生! 親御さんの承諾を得ている以上、私達がとやかく言う事はないと思いますが」


「小笠原先生、私は断固反対と言うつもりはないんだ。生徒達にはしっかりと懸念点を理解した上で判断してほしいと思っているだけなんだよ」


「そうは仰いますが、河島先生が担任をしていた生徒には一人も電子署名されませんでしたよね?」


 栄三は自身が担任していた生徒に対し、インプラント埋入手術の事前報告書に電子署名を一切しなかった事を問題視され、担任を外された経歴がある。


「もっと真剣に私の話を聞けば理解出来るはずなんだ!」


「私は何度も何度もお聞きしましたが、インプラントを入れる事に対しては問題ないと思っていますよ?」


「インプラントを入れた奴には分からないんだ! 思考誘導されている奴に理解出来る訳ないだろう!!」


 ついには栄三が声を荒げてしまった。


「まぁまぁ河島先生、最近では当たり前の事なんですから。ちょっと頭冷やして下さいよ」


 慣れた様子で体育科教師が栄三を職員室の奥へと連れて行く。


「お前もインプラント入れているだろうが!!」


「はいはいはい」


 体育教師が目線を送り、それを受けて英子が艦治と良光へタブレットを返す。


「はい、署名したわ。

 ごめんね、変なところ見せちゃって。インプラントを入れた側と入れてない側に分かれて意見が対立するのは仕方ない事なのよねー。河島先生も悪い人じゃないんだけどさ。

 まぁ、感情的になったらダメだけどねぇ」


「小笠原先生、後藤先生と付き合ってるんスか? 目と目で通じ合ってましたよね!?」


 嫌な空気を変えるかのように、良光が軽口を言う。


「あー、あれ? インプラントを通じて会話しただけだよ。

 ほら、さっさと行かないと受付時間終わっちゃうわよ?」

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