スローリーディングで読む「三四郎」 

@evans3

第1話 スローリーディングで読む「三四郎」 第1回

◎今日の段落

うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。発車まぎわに頓狂な声を出して駆け込んで来て、いきなり肌をぬいだと思ったら背中にお灸のあとがいっぱいあったので、三四郎の記憶に残っている。じいさんが汗をふいて、肌を入れて、女の隣に腰をかけたまでよく注意して見ていたくらいである。

 女とは京都からの相乗りである。乗った時から三四郎の目についた。第一色が黒い。三四郎は九州から山陽線に移って、だんだん京大阪へ近づいて来るうちに、女の色が次第に白くなるのでいつのまにか故郷を遠のくような哀れを感じていた。それでこの女が車室にはいって来た時は、なんとなく異性の味方を得た心持ちがした。この女の色はじっさい九州色であった。

 三輪田のお光さんと同じ色である。国を立つまぎわまでは、お光さんは、うるさい女であった。そばを離れるのが大いにありがたかった。けれども、こうしてみると、お光さんのようなのもけっして悪くはない。

(角川文庫8ページ)


◎今日の寄り道


1:「三四郎」について

・この小説は漱石41歳の明治41年(1908年)、9月1日から12月29日まで朝日新聞に連載された新聞小説。

汽車中でのじいさんと女との会話から日露戦争(1904~5年)が終わっていることが分かる。

それからしてこの小説は1906年前後、すなわち今から約120年前の東京を舞台にしていると考えていいだろう。この年代についてはページが進むにつれて更にはっきりしてくる。

この小説発表当時の読者はこの小説をまさに現代小説として読んだことになる。


2: 女について

この女が登場するのは角川文庫版では8ページから18ページまでの短い間。

(今日の判明事項)

今日の時点では女は動作らしい動作はしていない。

・「色が黒い」、「九州色である」

この女とは「京都からの相乗りである」。しかし彼女は京都の人ではない。九州色ではあるものの九州の人でもない。

どこの人であるかは今後、文庫本では9ぺージで明らかになる。


・「京大阪へ近づいて来るうちに、女の色が次第に白くなる」

これはどういうことだろう?

九州人は日焼けした人が多いということだろうか。

そうだとすれば九州は日照時間が長いということになる。

本当に日照時間が長いのだろうか?

さすがに1906年の資料はないので、令和3年(2021年)における、都道府県別の年間日照時間を見てみた。

それによるとトップは山梨県の2,320時間、2位は静岡県、ついで茨城県。最も日照時間の短い県は山形県で1,735時間。

では九州地区はどうかというと三四郎の故郷の福岡県は27位、彼が高校時代を過ごした熊本県は17位であり際立って日照時間が多いわけではない。

すなわち日照時間が長いがゆえに九州人に日焼けした人が多いという仮説は成り立たないことになった。


それでは「女の色が次第に白くなる」のは化粧の違いが理由だろうか。

すなわち120年前、九州ではまだ肌を白く見せる化粧をする女は少なく、一方京大阪では化粧をする女が比較的多かったということだろうか。この仮説についてはまだ調べが出来ていない。


・今日の段落では女の容貌、性格をうかがわせる表現はまだない。


3:じいさんについて

このじいさんが登場するのは角川文庫版では8ページから10ページまでとごく短い間。

(今日の判明事項)

・いなか者である。漱石はこのじいさんか田舎者である証に、じいさんについて次のような描写をしている。

・「発車まぎわに頓狂な声を出して駆け込んで来」「いきなり肌をぬいだ」「背中にお灸のあとがいっぱいあった」「じいさんが汗をふいて、肌を入れ」た。

・この小説は前述の通り約120年前の時代が背景になっている。

つまりこのじいさんも120年前の人。

私が汽車に頻繁に乗っていたのは今から約60年前の子供時代。祖父の家に行く際に乗った、広島から中国山地の山間の町、三次市に向かう芸備線だ。

この小説の中のじいさんの時代から60年も後のことになるが、このじいさんに似た人は汽車の中で時々見かけた。

例えば次のような光景を思い出す。

今でこそ利用客が激減し、廃線が議論されて久しい芸備線だが、60年前は時間によっては通路にまで人が立っているほどの込みようだった。

停車駅が近づくと

「汁がたる、汁がたる」

と大声を上げながら包みを頭上に掲げて通路の人を分けながら下車していく老人を見たことがある。

「汁がたる」とは広島弁で「汁がこぼれる」という意味。

汁が降りかかってはたまらないから通路に立っている人たちは体をそらしてその老人に道を開ける。よって彼は悠々と通路を進んで下車していくのである。

老人が降りて汽車が再び動き出してから、近くに座っていたおばさんの会話が聞こえた。

「あの人、いっつもああ言うて降りて行ってじゃけん」

「ありゃあ、あの人の手よ」


汽車の中でステテコ姿になるおじさん、おじいさんは決して珍しくなかった。

汽車に乗ってくると、やおらベルトを外し、ズボンを脱いでステテコ一枚になって、まるで自分の家にいるかのように座席でくつろぐのだ。

現代の車中において同じことをしようものなら間違いなく変質者とみなされ、他の乗客の眉を顰めさせるだけではすまず、警察官がやっても来かねないが、私の子供の頃はさして珍しくない車中の光景だった。


座席に正座をしている婦人たちはしばしば見かけた。これも今では見ることのなくなった光景だ。


4: 三輪田のお光さんについて

三輪田のお光さんは今日の冒頭から登場し、今後もしばしば名前が出てくる。

しかし彼女は三四郎の故郷である福岡に暮らしており、三四郎の目の前に現れてくることは最後までない。

(今日の判明事項)

・色が黒い

・三四郎にとっては「うるさい女」

・「けっして悪くはない」女である

おせっかいなうるさい女ではあったが、故郷を離れ、こうして一人で東京に向かって、いささか孤独を感じている今、自分のことを気にかけてくれていたお光さんは「けっして悪くはない」女だったなあと、三四郎はなつかしく感じているということだろう。

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