マジックポイント

おーばーどーず

Note.001 "Another World"

◆Note.001 "Another World"


「寒い...」「痛い...」


冷たい石の壁に背を押し付けると、足首と片手に絡みついた重い鎖が皮膚に食い込む感覚がじわりと伝わってくる。


視線の先には、ボロボロの衣服をまとい、傷だらけの数人が床にうずくまっている。


彼らの荒い呼吸が重なり合い、低く響く音と共に腐敗の匂いがかすかに鼻を刺した。


視界は暗闇に包まれ、ここがどこなのか、どれほどの時間が経っているのかさえ分からないまま、ただ静かに痛みと寒さが身体に染み込んでいく。


左腕には新しい傷が刻まれており、刃物で切られた跡からじくじくと血が流れ出している。

皮膚は裂け、赤黒い血がゆっくりと腕を伝い、滴となって冷たい石の床に落ちていく。


◇数時間前─────────


目を覚ますと、見知らぬ森の中の道沿いに倒れていた。服は土まみれで、湿った土と葉の匂いが鼻につく。

確かに昨夜、自分のベッドで眠りについたはずだ――その記憶だけがぼんやりと残っているが、目に映る景色はまるで知らない世界だ。


「……夢、なのか?」


体を起こしてあたりを見回すと、まるで空想世界ファンタジーだ、不思議な森が広がっている。背の高い木々が空を覆い、見たこともない植物が生い茂っている。耳を澄ますと、風が葉をかすかに揺らし、時折遠くから小さな鳥の鳴き声が聞こえてきた。


ふと、遠くから聞こえてくる「ドドッ」という規則的な音に気づく。音の方向を見ると、道の奥から何かがこちらに近づいてきているのが見えた。大きな車輪がついた木の箱のようなものが、何頭かの動物に引かれながら、ゆっくりとこちらに向かって進んでいる。


「……あれは……なんだ?」


目を凝らすと、木の箱の上には人影があるようだ。その人影がこちらに気づくと、じっとこちらを見つめているように感じる。まるで、自分が異物であるかのような視線に一瞬戸惑い、少しだけ後ずさりした。


やがて、木の箱がこちらの近くで止まる。男が上から降りてくると、私に何かを話しかけてきた。しかし、その言葉はまるで音の羅列にしか聞こえない。どこか異国の言葉のようで、全く意味がわからない。


男は無表情で私を見つめたかと思うと、突然、鋭い目つきでこちらに一歩踏み出し、あっという間に手を伸ばしてきた。そして、次の瞬間、男が振り上げた小さなナイフが私の左腕に突き刺さる。


「──あがぁぁあああぁぁぁ!」


鋭い痛みが全身を駆け抜け、血が腕からじわりと流れ出す。恐怖が一気に押し寄せ、これが夢ではないことを痛感する。現実の痛みが肌に焼き付くように鮮明で、胸が一気にざわつき、息が詰まった。


男は無表情のまま、私の頭を無造作に掴むと、そのまま地面に叩きつけた。視界が一瞬で揺れ、激しい衝撃が頭を駆け抜ける。土と血の匂いが混ざり、意識が薄れていくのを感じながら、何かが遠ざかっていくような感覚に包まれた。


そして、意識が途切れた――。


次に目を覚ました時、冷たく硬い感触が背中に伝わってきた。ぼんやりとした視界の中で、薄暗い牢屋の鉄格子が目に映る。腕や足には重い鎖が巻きついていて、身体は痺れ、鈍い痛みが残っている。何が起きたのか理解できないまま、ただ息をするのも苦しいほどの空気が辺りに漂っていた。



(何処なんだここは……こんな牢屋があるってことは、ここが日本じゃないことは間違いないだろう)


(何でいきなりこんな場所に連れてこられたんだ!意味がわからない!)


(しかも、周囲にはボロボロの格好をした連中がうずくまっている。この状況で、こいつらが友好的かどうか分からない。)


(話しかけてみるか?……いや、それしか出来ることがない)


周りに視線を巡らせると、目に入ってきたのは、女や子供ばかりだった。みな体が弱そうで、囚われるままにここへ連れてこられたのかと思うと、やりきれない怒りがこみ上げてくる。


(……体が弱い者ばかり狙いやがって……クズめ)


私は鎖が届く範囲で、近くにいる小さな少女の方へと身を寄せた。彼女は私よりもずっと若く、小学生くらいだろうか。体には無数の傷が見え、俯いたまま、動く気力さえ失っているようだ。


「ねぇ。」


声をかけると、少女は一瞬だけ動かずにいたが、少ししてゆっくりとこちらに顔を向けた。

顔色はひどく青ざめ、唇は乾いて割れ、髪は乱れて埃まみれだった。目にはかすかな光が残っているものの、その奥には絶望の色が滲んでいる。


少女はか細く、途切れがちな声で口を開いた。


「ϴ⨁ɄϟŦП?ØǸΣϾλ⸦ℵ」


その言葉はただの音の羅列にしか聞こえず、何を言っているのか全く理解できない。異質な響きが耳に残るだけで、意味の欠片さえ掴めない。


(これじゃあ会話が出来ない……どうすればいいんだ)


もどかしさが胸の奥で膨れ上がるが、彼女の表情からは感情が全く読み取れない。話しかけられたことに怒っているのか、それとも仲良くしようとしているのか――そのどちらなのかすら判断できない。ただ、虚ろな目がこちらを見つめているだけで、そこには喜びも怒りも映っていない。


感情の欠片すら見えない彼女にどう接していいのか、戸惑いが募るばかりだった。少しでも意思を通わせようとするが、彼女の反応は無表情で冷たい空間に吸い込まれていくようで、言葉の壁だけでなく、何か目に見えない壁が二人の間に立ちはだかっているように感じた。


(とりあえず、こいつが友好的かどうか、それだけが知りたい!)


喉の奥が緊張で渇く。私は左腕の傷口に指を押し当て、意を決してその縁を広げた。痛みが鋭く走り、血が勢いよく流れ出す。


「ッ……」


(これで……これで、どんな反応をするか見てやる……)


少女はその瞬間、わずかに目を見開き、驚いたような顔を見せた。しかしすぐに「Ŧ⨁Иϟ⨁λ\"⸦Ʉϡ⨁」と再び音の羅列を発しながら、ゆっくりと私に近寄ってくる。その瞳には、何を考えているのかまったく読み取れない。

警戒の色か、それとも別の意図なのか――


(どっちだ!どっちなんだ!)


息を飲みながら見つめていると、少女が顔をさらに近づけてきた。彼女は私の傷口をじっと見つめたかと思うと、ふいにその唇を開き、傷口に舌を這わせ始めた。ひやりとした感触が皮膚に触れ、思わず身がすくむ。


冷たい舌が血を拭うように傷口を這い、少女はまるで美味を味わうかのように、無表情で血をなめとっている。痛みと恐怖が絡み合い、背筋がぞくりと震える。彼女が何を考えているのか、なぜこんな行動を取るのか――その理由を理解できないまま、ただ動けずに見つめることしかできなかった。


(血を取ろうとしている……?確か唾液には傷を治す成分があると、どこかで聞いたことがある)


少女が黙々と傷口に舌を這わせる姿に、恐怖の合間にふと別の考えが頭をよぎる。この行為が単なる「血を取る」ためではなく、もしも傷を癒すためのものだとしたら……。


(この文化に、そういった習慣があるとするなら……こいつは友好的……?)


少女が無表情で血を拭うように舌を滑らせるたび、その行動の意図を確かめようと、息を殺して彼女を見つめる。もしこの行為が、彼女なりの助けの表現であるなら、今この瞬間に感じている恐怖はただの誤解なのかもしれない。


しかし、彼女の表情からは相変わらず何も読み取れない。希望と疑念が交錯する中で、ただじっと彼女の動きを見守りながら、わずかな可能性にかけるしかなかった─────────

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