【短編】金持ちに寝取られた幼馴染がよりを戻そうと言ってきて当然彼氏は断ったし、そもそも全く入ってこなかった話

【短編】金持ちに寝取られた幼馴染がよりを戻そうと言ってきて当然彼氏は断ったし、そもそも全く入ってこなかった話

「断る」

「うぅっ……！！」

　幼馴染の白井桃代（しらいももよ）さんの頼みを、私の彼氏―――長野和樹（ながのかずき）君は一蹴した。

　わざわざ私たちの大学のキャンパス内のカフェに来てくれたのに申し訳ないんじゃないかと思ったが、だからといってさっき彼女が言った頼みを承諾するかというとNOらしい。

「よりを戻そうと言われても、俺はもう君とは関わりたくないんだ。ごめんな、桃代」

『ねぇカズくん……もう一度チャンスを頂戴？　また昔みたいに仲良くやろうよ！』

「その昔の思い出を汚したのは、君自身だろ」

　どうやら昔と全く変わらないあだ名で、和樹君のことを呼んでいる桃代さん。

　はたから見れば微笑ましい光景なのかもしれないが、その事実に和樹君は反吐が出ているようだ。

「あの……私、席外そっか？」

「いいんだよ、そこにいて佳子（けいこ）ちゃん。すぐ終わるから」

　居心地の悪さを察して私―――和樹君の今の恋人・軽井沢佳子（かるいざわけいこ）は離れようとするが、彼は引き留めてくれた。

　仕方ないので、気まずさを我慢しながら私はその場に居座ることにした。

　桃代さんのことは、私も和樹君から聞いて知っている。

　幼稚園の頃の彼らは、実の兄と妹のように仲が良かったらしい。

　中学に入って、異性として意識し合い始めた結果、付き合うことにもなったそうだ。

　だが、そんな関係も、あの日すべて打ち砕かれたのだという。

　高一の夏の日ＰＣに送られてきた、和樹君が金持ちの先輩と彼女が寝ている動画を見た、その日に。

　そう、あの日彼は彼女を寝取られ、彼女は彼を裏切ったのだ。

「大体君には、同じ大学へ行ったあの金持ちの先輩がいるじゃないか。あの人と一緒になればいい」

「カズくんも知ってるでしょ……あの人は最低のクズだったのよ！　だから詐欺に加担して捕まっちゃったのよ！！」

「三年付き合っておいて、彼を庇う気もないのか。俺のこともそんな風に裏切ったわけだな」

「そ、それは……」

　桃代さんの言葉は、第三者の私の耳で聞いていても白々しかった。

　なびいた先輩のことを今になってクズ呼ばわりしてはいるが、傍から聞いていても誠意が一つも感じられない。

「もう俺には、ここにいる佳子さんがいるんだ。わかったら俺に近寄らないでくれ、じゃあな」

「ま……待って………………ください……」

　立ち上がろうとした和樹君を、桃代さんは声で制止しようとした。

　彼女が幼馴染相手に急に敬語口調になったのは、引きとめる桃代さんを和樹君が親の仇のような目つきでにらんでいたからだろう。

「許してもらおうだなんて思ってない……言い訳だと思ってくれて構わない……ただ、あの日起こったことを、私にちゃんと説明させてほしい…………です」

「…………今まで何度そう頼み込んできた？　そう言った結果君が語ったのはくだらない言い訳ばかりだろうが」

　和樹君は今にも怒鳴り散らしそうな表情で桃代さんを睨んでおり、その場も険悪な空気に包まれた。

「………………………………一つ言っていいかな」

　明らかに逆上している彼氏の表情を察して、私は割って入った。

「和樹君とそれなりに付き合ってて私、気づいたことがあるの。キミが過去の話をするとき、ずっと苦しそうにしてるってこと」

　彼の手に自分の手を重ねて敵意がないことを示し、ゆっくりとそう話した。

「それってキミ自身が、彼女との思い出を清算しきれていないからだと思うんだよね」

「佳子ちゃん……」

　歪んでいた彼の顔がゆっくりと弛緩していく。

「私が言うのも何だけど、話だけでも聞いてあげたら？　和樹君もその方が、すっきりするんじゃないかと思う」

　今カノの立場から出た上から目線での発言であり、桃代さんにしてみれば大きなお世話であることはわかっている。

　ただ、彼が清算しきれていない過去を、清算する手伝いをしてあげたかった。

「…………佳子ちゃんが優しくてよかったな、桃代。好きにしろ」

「ありがとう、カズくん。彼女さんも、ありがとうございます……」

「あ、いえいえ……」

　どういたしまして、とは言わずに、私は桃代さんに話すことを促した。

　彼女が彼を裏切ったあの日、本当はなにが起っていたのかを。

「そう、あれは、去年の…………」

　彼女は訥々と、しかしながら確かな声音で話し始めた。

　視線こそ合わせなかったが、和樹君もじっと聞き入る態勢になっていた。

　捨てられないでいたもの、ケリをつけられないでいたものを、今度こそ、清算させるように。

　彼に寄り添うようにして、私も彼女の言葉に、そっと耳をかたむけた。

「…………そう、去年の、あ、これ実際は去年と言っても十二月だから実際には半年前なんだけどね？　パジャマ飲み会っていうのがあってね、このパジャマ飲み会っていうのは普通の飲み会じゃなくて、パジャマで飲み会をするっていう飲み会なんだ。このパジャマ飲み会で、あっ勘違いしないでね？　飲み会って言ってもお酒飲んでたわけじゃないよ。あくまでそういうお酒を飲んで楽しむ感じで、ノンアルコールのソフトドリンクを飲んだりお菓子を食べたりして楽しんで、あっそうだ、その上でパジャマも着て楽しむ飲み会がパジャマ飲み会って言うんだけど、ね？　で、午後十二時くらいになった時かな、なんか先輩の一人がね？　ま、仮にＫさん先輩って呼ぶけど。なんか好きなアイドルを、あ、その飲み会ってお互いの趣味を語り合うっていう名目上の、名目上って言うのもおかしいかな、まあそういう軽いノリでやっててさ。でそこで、あのアイドルグループのソレスタル娘。っているでしょ？　あ、このソレスタル娘。っていうのは、今の現役で活動してる娘たちの話をしてたんじゃなくてね、十年くらい前の、まあ後藤刹那ちゃんとか、昔不倫で炎上した矢口ティエリアちゃんとかがいた、いわゆるファンの間では全盛期って言われてた頃の話をしだしたんだけどね。そこでまぁそのグループの派生ユニットの、後藤刹那ちゃんがいるエクシア派と、矢口ティエリアちゃんがいるヴァーチェ派で揉めに揉めたんだよね。で、仕方ないからＫさん先輩がね？　あ、あの、この、Ｋさん先輩っていうのはさっき言ったＫさん先輩っていうのは別人だから仮にＫ´（ケイダッシュ）さん先輩って呼ぶけど、割って入ってくれたんだ。でＫさん先輩とＫ´さん先輩と私が、別に仲直りとかはしてない状態なんだけど、仕方ないから一緒に、あ、うちの飲み会ってそういうことよくあってね。空気悪いけどとりあえず二次会とか行く、みたいなこと。で、仕方ないから寿司屋行ったんだけどね？　あ、うちの近所の寿司屋って割と深夜になっても開いてる系の寿司屋なんだ。割とそういうことってよくあるよね、結構遅くまでまだ開いてるのこの寿司屋！？って感じのお店。で、私とＫさん先輩とＫ´さん先輩と、あと後輩のケイちゃんと、あ、このケイちゃんっていうのはイニシャルでＫって言ってるわけじゃなくって本名が圭ちゃんっていうからそのまま飲み会でもケイちゃんって呼ばれてるんだけどね？　その娘の親が高校生だった頃に、実はV.V.ガールズのメンバーの友達だったっていうことが発覚して！　あ、知ってる？　V.V.ガールズ。たまーに昔懐かしい流行を振り返る系の番組とか動画でもよく出てくるよね？　で、ただメンバーの友達だったってだけじゃなくてね？　サイン会に行った時にそのメンバーのＫさんに、いつもギャル系のイメージでやってるみたいだけど、こんどはもっとクールな感じのＫさんが見たいって言ったんだよね。あっメンバーのＫさんっていうのはさっき言ったＫさん先輩ともＫ´さん先輩とも別人なんだけどね？　そのＫさんに、そういうリクエストみたいなのを、その、あの、誰だったっけ、あっそうだ、後輩のケイちゃんがね？　クールな感じで見たいんですって言うリクエストをしたんだけどね？　あっこの三人が共通で知ってる私とは別のサークルに所属してた仲間の一人が、その金持ちの先輩、うん、わたしがなびいた先輩なんだけど、うん、それはおいといて、ともかくケイちゃんがそういうリクエストをして以降、その人も、あっその人もうV.V.ガールズは卒業してるんだけど、うん、このもう卒業してるっていうのは今の話ね？　とにかくクール系に切り替えた、というか、このクール系って言うのが清楚とはまた違って、大人しめだけどキリッとしてるって感じの格好良さに変わったんだよね。で、それどこまでがほんとかはわからないんだけど、ケイちゃんがそう一言言ったからその人、あ、その母親の友達のメンバーがクール系に切り替えたんじゃないかっていう話になって、そんな人の運命って一度会ったことしかない誰かの些細な一言で急に変わるんだなっていう話題になって、あ、言い忘れたけどこの時もうとっくにパジャマから着替えて私服、まあ私服って言ってもやあインナーよりのラフな格好なんだけど、とりあえず私服に着替えて寿司屋でそういう話になったんだけど、でともかく赤の他人のそんな一言でアイドルが方向転換するだなんて奇跡にちかい出来事だよねっていう話で盛り上がったの。映画でもよくあるよね、そういう些細な出会いとか、些細な一言が人生を変えるって、まあ私たちあんまり映画観てないから具体的な映画の名前は出てこなかったんだけど、でなんやかんやあって、仲直りして、そのまま三次会でカラオケに行って、一緒に月食あきこ縛りで歌うっていうことがあったんだ。なんでそんな縛りをしたかっていうとね？　そのクール系に切り替えたアイドルっていうのが、あ、うん、そのV.V.ガールズのメンバーだったそのアイドルが、月食あきこがまだ子供だった頃に、当時ソロデビュー曲のＣＤ発売イベントで昔デパートに来てたらしくって。誰が話したんだっけ、あれ。まあ圭ちゃんかＫさん先輩かＫ´さん先輩かは忘れたんだけど、まあいいや。で、何やかんやあって、次の日仲直りしたってワケ」

……

…………

……………………

「………………………………………………………………………………え？」

　私一人が、戸惑いの反応を声に出した。

　和樹君はというと、無言で俯いていた。

　まるでこうなることを、心のどこかで予測していたかのように。

「……っていうのが一個、と」

「いやもういいです」

　彼よりも先に、私が制止した。

　罪悪感から、だった。

　彼への。

　あと辛うじて聞き取れたけど、月食あきこ縛りでカラオケに行ったというのは多分嘘だ。

　彼女のような人が月食あきこの哲学に共感するわけないし。

◆　　　次の日　　　◆

「……あの、和樹君」

「何？」

　二人で見ていた映画がそろそろ終わりそうだったので、私はこのタイミングだと思い、和樹君に話しかけた。

「……昨日はうかつなこと言ってごめんなさい……おかげであんなことになっちゃって……」

「……いや、いいんだよ佳子ちゃん。君も善意でああ言ってくれたってことは知ってるし、事前にああいう奴だって説明しなかった俺も悪いし。なんというか……説明しづらいことだったとはいえ」

「……【入ってこない】、ね」

「……どういうこと？」

「昨日の彼女を、わかりやすく形容するなら、ってこと」

「あ、それだ……」

　カップル席で、映画を観ながら二人で個室に佇む和樹君と私。

　スクリーンのように落ち着きのある空間で、自宅のようにおしゃべりをしながら映画を観られるのは、ネットカフェのカップル席の強みだと思う。

　結局あの後、私たちは逃げるように彼女の元を去った。

　結局あのパジャマ飲み会の話がどうやって彼を裏切ったことにつながったのか、真相は藪の中のまま。

　あと五時間くらいあそこで聞いていれば、つながったのかもしれないけど。

（確かに【くだらない言い訳】だったけど、まさかああいう形とは思わないでしょ……）

　昔ジャンプで読んだ漫画でああいう長台詞のシーンあったなぁ…………

　有名小説家が原作者やってた、巨乳の生徒会長が主人公のやつ……

　でもそのシーンでももうちょっと内容あったような気がする……

「あいつ、前はああじゃなかったんだ」

「…………そうなんだ…………？」

「あいつともよく、こうやってカップル席で映画観てたんだけどさ。この映画とか」

「ああいう感じの感想を言ったんじゃないの……？」

「むしろ逆。【悲しいけど感動したね～、死んだ恋人を埋めるシーンで泣いちゃった！】って」

「めちゃ簡潔に言ってる……！？」

　今室内の大画面に映っている戦後まもなくに作られたフランス映画の良さを、そんなに簡潔な言葉で表現できる台詞は稀だろう。

「……前と言うかさ、そう言えばあの時も直前までは簡潔に話してたよね」

　つまり、桃代さんは元々話し方が個性的な女の子だった、とかそういう次元の話ではないということだ。

「それなんだけど」

　他に話したいことがあるかのように、ゆっくりとスマホを手に取る和樹君。

「君はこの件に無関係だったし今まで見せなかったんだけど、実はあいつの後輩に、問い詰めたことがあったんだ。あいつは結局当事者だしあんな感じだし、話聞いてもあてにならないって思ってね。あの夜何が起こっていたのか、っていうことをね。で、後々証言として使えるかと思って、スマホで録音してる状態で話させたんだよね」

「…………それで、何を喋ったの？」

「実は、今音声データが残ってる」

　和樹君はゆっくりとアプリを開き。

　ピ。

　その音声データを再生した。

『えっと、先輩の、あ、ここで言う先輩っていうのは長野先輩のことじゃなくって、白井先輩のことなんですけど、あの日、パジャマ飲み会っていうのを、あ、この飲み会ってうちの学校では定期的にやってる飲み会なんですけど、最近ってパジャマの定義も結構広がってて、私たちは普通の寝巻をパジャマって定義しがちなんですけど、実はパジャマの語源ってインドのヒンディー語なんですよね。ヒンディー語で『パジャーマー』っていうのはゆったりとした感じの足首丈のパンツを意味するから、ゆったりできる足首丈のパンツであれば、別にアウター向けとかの私服系であっても、れっきとしたパジャマとして定義できるんです、っていうのが一個と、元々うちのグループってスイカもイチゴもフルーツに定義する感じで、いい意味で大雑把なところがあるんですよ。映画観賞会とか言っても平気でネットフリックスとかのオリジナル連続ドラマとか見るし。だから一年年下のわたしもその日はパジャマじゃなくって、ちょっとラフな服で参加したんです。でもその日は先輩たちがソレスタル娘。の派生ユニットがどうとかって話とか、他にも4期生メンバーだと辻アレルヤちゃん派か加護ハレルヤちゃん派かっていう、まあ色んなことでちょっとした口論になった、っていうのが一個、と』

　ピ。

　……えっと……

　気まずい沈黙が、個室を支配した。

　…………あの界隈自体がああってこと？

　……いや違うな。あの時のことを話してない時の桃代さんは簡潔に喋れてたし。

　……あの界隈が、その日のことを語る時限定で、こうなるってこと？

　……そういうスタンド攻撃でも食らったの、あの界隈限定で？

（パジャマ飲み会とかソレスタル娘。とかどうでもいいことだけ証言が一致してんのもイライラする……というか……）

　彼の方を向いた。

　気づいたことがあったから。

「まさか和樹君が過去を辛そうに語るのって……」

「……うん、結局あの日あの場にいた当事者がこうだから、多分あの日の真相は永久に藪の中のままなんだ」

「かわいそうっ……！！！」

　反射的に、私は彼に抱きついた。

　そうしないと彼のやりきれなさに寄り添ってあげられない気がした。

　可哀想すぎる。

　真相が藪の中で結局寝取られたという結果だけが残ったって。

（かわいそうすぎでしょ……それも三年前にそんなことがあったなんて……）

　和樹君を抱き寄せながら彼が三年間ずっと苦しんできた、という事実を、私は心の中でじっと反芻した。

　そうすることで、彼の苦しみに寄り添ってあげたかった。

　そう、三年前の11月7日に―――

（…………三年前の11月7日と言えば、私何してたかなー？　11月の上旬と言えば二十四節気で言うところの立冬だからそろそろ冬っぽくなってくる時期だよなー……加えて三年前って言えば六十干支でいうところの辛丑だし、正に辛が暗示するところの痛みを伴う幕引きをリアルで経験しちゃったんだよなー和樹君は……でも三年前って言えばそのまま私と彼が出会った時期でもあるし、そのまま丑が暗示するところの命の芽吹きなんだよなー、加えてその日って七十二候で言うと山茶始開（つばきはじめてひらく）の季節だし、冬にさしかかりながらも咲く花があるって季節なんだよなー、まあ私が花になってあげられてるかはわからないけれど、和樹君が終わりと始まりをその年同時に経験しただなんて、結構その年らしくって風情があるなー。いやー、こういう風に考えるといつも六十干支と二十四節気七十二候は、生きることに風情を与えてくれるなあ……この六十干支と二十四節気七十二候って誰に教えてもらったんだっけ？　あ、そうだ。中学の頃の同級生のアベちゃんだ。今でもたまにレインでやりとりするけど、あの娘とは特に気が合ったよなー。よくパジャマ飲み会も、あ、まだ中学生だからパジャマ飲み会っていっても飲むのはソフトドリンクだけど、一緒にやったし。六十干支とか二十四節気七十二候とかも占い好きだった教えてもらったんだけど、何より明るくて元気な娘だったんだよなー彼女。そういえば真偽は定かじゃないけど彼女、遠い親戚がアイドルだって言ってたんだよなー、私自身はそんなハマってなかったけどソレスタル娘。のにっちこと安倍にぃるって娘で、テレビで見る限りその娘の特徴も明るさっていうのが一個、と……）

　…………………………………………あれ？

　何かがおかしいと思い、和樹君から両手をほどく私。

　自分で自分の思考に違和感を覚えて、その理由を探った。

（何かどうでもいいことについて、どうでもいいって言いたくなる感じで考えてたような……？　自分で言うのも変だけど、こう……）

　【入ってこない】、というか。

　聞き覚えのあったフレーズ飛び出した気もするし。

　そういえば、と思考を巡らせて、あることに気づいた。

　彼から桃代さんのことを「裏切り女」「金持ちになびいた元幼馴染」と訊いていて、過去何があったのかを何となく察してはいたものの、彼自身の口から具体的に何があったかははっきりと訊いていないことを。

「ねぇ、和樹君」

「何？」

「その動画を見た当日、何したか覚えてる……？」

「…………忘れもしない、映画館でＳＦ映画の【ＺＵＮＥ】第一章を見た日だよ」

「あの、その時それ観てどうだった？」

　先を促しながらも、嫌な予感で冷汗が頬をつたってた。

「うん、同映画の原作はかのスペース・ウォーズにも影響を与えた古典的名作なんだけど、世界観から言っても映画化は絶対不可能だとされていたんだよね。でもソードランナーの新作なんかを担当したドゥニ・マクラーレンによる、壮大ながら重厚な視覚効果によって、見事に映像に落とし込むことができていたんだ。当時映画館のＩＤＸ（アイデラックス）シアターで見たけど、映像美になまら感動したよね。でも別の日友達の中澤にあの映画よかったよねって言ったんだけど、あの映画映像はすごかったけど途中で寝ちゃったわ、とか言ってたんだよね。やっぱこいついい奴だけど趣味は合わないなーって思ったんだよなーその時。ちょうど中学の頃さ、あいつの家に泊まることになってな。お菓子とかソフトドリンクとかを持ってきて男子数人でラフなインナーでおしゃべりするって言う、まあ女子が言うところのパジャマ飲み会だったんだけど、そこでもソレスタル娘。の初期メンバーだとすめらぎ裕子派か飯田留美派かであいつと口論にになってさ。結局話がまとまらないから気分転換に夜遅くまで開いてる寿司屋に行こうって話になったんだけど、その時はたまたま流れで月食あきこの歌が好きって話になって結局仲直りしたんだよな。っていうのが一個、と」

「和樹君ストップ」

「………………………………ハッ………………………………！！！！！」

　自分のやったことに気づき、冷や汗をかいて私と顔を見合わせる和樹君。

　昨日の白井桃代さんと、全く同じ現象が起こっていた。

　　　　　　　　　　　　　　　　　（和樹君映画語る時たまに素でこうなるよね、と一瞬思ったことはおいといて。）

　なるほど。

　原因は、よくわからない。

　その日を思い出すときだけ、そういう特別なホルモンが、町民か、市民か、県民か、国民か、人類全体を包みこんでいたのかもしれない。

　一つだけ、言えること。

　私たちの誰もかれもが、あの日のことを話すとき、【入ってこない話】をするようになってしまうという現象に、支配されているということだった。

　【世にも奇怪な物語】（ストーリーテラー：森田義一）のテーマが、脳内を流れた気がした。

「…………………………………………もう、深く考えるのはやめとくよ」

「…………うん…………」

　その日以降、我々の中で彼女の件はアンタッチャブルになった。

　イヤでも、あの日の話題になってああなりそうだから。

◆　　　五年後　　　◆

「佳子ォ」

「何？」

「一緒にお風呂入ろっ」

「はいはい、まだ皿洗いもお洗濯も終わってないでしょ。今日はあなたの係よ」

　土曜の夜だからって後ろから抱きついてくる和樹君を、そう言って私はあしらった。

　去年の彼との共同生活のスタート以来、お互い結婚指輪を外して食器類を洗う手間にも、そろそろ慣れてきた頃。

　一緒に暮らし始めてからというもの、彼は付き合っていた時以上にベタベタしてきた。

　彼が悲しい過去を持ってる以上仕方ないと思い許してはいたが、最近少し甘やかしすぎなのではないかとお義母さんからも言われて少し自省している。

　そんなことを考えながら明後日の仕事の支度を今のうちに済ませた後、たまたま開いたWETUBEのオススメ欄に、見覚えのある顔のサムネが映った。

「あれ、この人って…………」

「何？」

「いや、いいの」

「白井桃代（あいつ）の炎上謝罪動画じゃん」

　他人行儀でその名を騙る和樹君。

　何を思ったのか、彼と別れてからの桃代さんは本名でウィーチューバーを始めたのだと風の噂で聞いた。

　なお撮影・編集スタッフは、彼女曰く六人目くらいの彼氏だと言う。

　最近迷惑系動画をアップして炎上した、とも聞いている。

「俺ならもう大丈夫だよ。何？　佳子的には内心ざまぁとか思ってんじゃないの？」

「思ってないけど、思ってないんだけど、なんか、再生時間が謝罪動画にしてはやけに長いのが気になったんだよね……」

「ほっとこうぜ。どうせ一生底辺ウィーチューバーのままだよ、あいつ。なー、それよりもさー、一緒にお風呂入ってくれよー」

「だからそれより先に…………あっ」

　彼に寄り掛かられたことで、私の手が勝手に動いた。

　結果、押す気のなかった、再生ボタンを押してしまった。

　ただの謝罪動画ではないとは、薄々勘づいていた。

　だから開く気はなかった。

　でもその場で、その動画は再生されてしまった。

『えー、この度は……この度っていうのはつい一週間前に上げた動画で、ドッキリ動画なんですけど、街行く人にプリンをぶつけてしまうなどという迷惑行為をどっきいとして挙げてしまってすいませんでした……あの動画を撮る過程で、実は五年前のある日のことを思い出したんです。五年前って言ったらすごい昔のことに思えますけど、もう既に元号は変わってたから私の体感ではそんなに昔のことじゃないっていうか、結構友達と遊んだことそれなりに色々覚えてるんですよね。で、何話してたっけ、あ、その日、パジャマ飲み会って言うのがあって、高校の仲間たちの、あ、うちの先輩二人と後輩一人で、パジャマ飲み会、あ、当時高校生だったけど全然レモンサワーとかチューハイとかも持ちよせて飲み会してたんです。　その日、実は言い争いが激しくなりすぎてプリンのぶつけ合いになってしまったことがあったんです。その先輩たち、この先輩たちって言うのがまあかりにO（オー）先輩と、OO（ダブルオー）先輩だとして、その先輩たちがソレスタル娘。の派生ユニットはエクシア派か、ヴァーチェ派か、4期生では誰派かって話になって、更にそれにかぶさって、同じヴェーダ・プロジェクトのアイドルユニットのフェレシュテ記念日では、村田ハナヨ派か斉藤スパーク派かっていうことで言い争いになって』

　トン。

　まだ動画の100分の1も行っていないところで画面を押して、一時停止した。

　多分残りの100分の99も、同じような話をしているだろうから。

「「…………」」

　結婚して以来初めての気まずさが、自室を支配した。

　特に和樹君の方は、禁断の扉を開いてしまったかのような表情で冷汗をかいている。

「…………一緒にお風呂入ってくれ」

「…………出たら皿洗いやるのよ」

　ゆっくりと、私たちはバスルームに向かうのだった。