第5話 三鏡の姓



 その後、市電を使用して移動する最中は、踏み入った会話を止めていた2人。


「じゃあまた明日ー」


「またなー」


 最寄り駅に降り立った後は進行方向が一致しないために別れ、ニアに背を向けて、真白は1人帰路を歩いていた。


 若干賑やかな地域に入っていくニアに対して、真白の進行方向はだんだんと静かになって行く。住宅地ではあるものの、若干裕福な家庭が住む地域であるらしく、その分年齢層が若干高い。



 その中にある平屋住まいである三鏡家は、周囲と比べて特段目立つわけではないものの、やはりちょっと大きいな、と思うことがある。


 真白が中学に上がる少し前に建てられたこの家は、間違いなく稼ぎのいい両親が建てたからこそのこの大きさなのだろう。前線を引き、臨時講師として聖窮で働く給料と、前線で戦っていた時の高い報酬もあって、こうなっているという話はいつか聞いたような覚えがあった。


 以前は両親がまだバリバリに働いている頃でもあり、真白が創家に預けられていた頃は割とこじんまりとした借家だった。どちらかといえば今の家の方が好きではあるが、ここより若干小さい創家と比較すると、中々に難しいところがある。


 セキュリティとしてカードキー形式のオートロックになっている扉に、真白は尻ポケットから取り出したカードキーを差し込んで扉を開ける。


 鍵音がしてロック解除されたことを知らせると、そのドアを引き開けて、真白は中に入った。


「ただいまー」


 やや広い玄関スペースに声を響かせると、数秒後にゆっくりめの足音が聞こえてくる。



「お帰り、真白」


「ん、ただいま」


 真白を出迎えたのは、真白の母であるグレーの髪の女性――三鏡六那みかがみむいなだった。


 その姿見のせいで、何も知らないと真白と並び歩いた時に兄妹のように見える。実際にそのような状況が何度かあったが、それは彼女が魔女であるが故に成長が止まっているからであり、実年齢はもうアラフィフである。


 そして彼女の左腕にあるOICC登録証の金色の輝きが、彼女が契約済みの魔女であることを示している。ペアとするのはもちろん夫である三鏡弌護みかがみいちごであり、真白が生まれる前にはプロの製鉄師として戦場にも幾度か参戦したこともある。


 真白が小学生になった辺りで一線を退き、今は割とどこにでもあるような一般家庭のイメージからそれほど外れない生活を送っている。


「お腹空いてる? おやつちょっとあるけど」


「いや、いい。そこまで腹減ってない」


「あらそう。じゃあ、お母さん食べちゃっていい?」


「お好きにどーぞ」


 六那の提案をやんわりと断り、そして適当にあしらって、真白は洗面所に向かう。水を出すための取っ手を捻るのに3度、ハンドソープを2度空振りしながらも外出後の手洗いを適当にすませたあとは、一度置いていたカバンを持って自室へのそのそと向かっていく。


 リビングから廊下に入り、割とすぐのところにあるのが真白の部屋だった。距離の問題でリビングの話し声もそれなりに聞こえるが、三鏡家でリビングが騒がしくなる時は大抵真白もリビングにいるので問題はない。



 それほどまでに距離が近いのは、OWによって移動がままならなくなったころの名残であり、部屋に入っても、床に敷かれている柔らかい素材のマットなどが今も残されている。


 視界とのずれを確認するルーティンが確立された今では日常生活に支障が出ることはさほどなくなったが、それでも気を抜いていると稀にこけてしまうため、あると嬉しいことには違いない。


 そんな、10代にして早くも歩行機能の弱った老人の気分にさせられるOWは、はっきり言って疎ましい以外の何物でもない。当然、そのような体質を生まれ持たずにいることが出来れば、ここまで苦労はしなかっただろう。


 だが、真白にとっては、その可能性はかなり低かった。


 OI体質や魔女体質は、概ね遺伝するという研究がある。故に製鉄師の子供はだいたい製鉄師になる道におり、残念ながら真白もそのパターンからは外れなかった。



 そして真白にとってさらに厄介だったのが、親が製鉄師としてそれなりに成果を残していることだった。それどころか祖父母も製鉄師であったため、『三鏡』という姓を持つ以上当然期待の目で見られてしまう。


 幸いなことに真白の両親も、祖父母も、真白にそういう期待をかけることはしなかった。OWに悩まされ始めた頃は、『幸せに生きてくれればそれでいい』ということを言っていた。



 制服を脱いで、適当に着替えて、椅子に座ってタブレットでアニメを見る。今から始めようとしているそんな時間も、確かに幸せな生活の一部ではある。



 とはいえ、それが親族の発する『幸せ』と同じ意味かと言われると、おそらくはずれている。推測で語るのであれば、その『幸せ』とは『人として不自由なく、自分で選んだ道を歩んで欲しい』という意味だろうと、真白は考えていた。



――だったら、絶対に無理だ



 OWによって普通の生活を送ることがれっきとした『願い』になった以上は、真白が想像しているような幸せを掴むことは難しい。現に今も、タブレットを取り出して、画面をスワイプするだけでも、普通の人よりも労力を要するのだ。


 そんな真白にとって、両親がよき理解者であり続けてくれていることは嬉しかった。そして同時に、嫌でもあった。



 製鉄師として前線で戦っていた両親を知る人や、三鏡の姓を知っている人は、少なからずいる。実際に、聖窮の教師の中には前線時代の両親を知る人や、今臨時講師をしている弌護の息子として真白を知っている人がおり、そんな彼らからの期待の視線は、確実に真白の精神を削っている。


 もしかすると、両親も、言わないだけで少しくらいは期待しているのかもしれない。自分たちの一人息子である真白が、無事に契約を済ませ、製鉄師になる道を選ぶことを、願っている可能性はなくはない。



 だが、今のただただ時間を消費するだけの日々では、期待に答えられるはずもない。その視線を、さっさと取り下げろ、諦めてくれ、と真白は言いたかった。


 現実では言えないまま、時間だけがすぎていく。そうやってかけられているかもしれない期待に背くことしかできず、ただ少しの楽しみに縋って生きていくのは、嫌だった。故に真白は、この世界自身の持つOWが嫌だった。


 学校では、OI体質が強ければ強いほど契約した時の位階も強くなるが、その分OWの影響も強いと習った。


 世界には、真白以上に自身のOWに苦しんでいる人間もいるのだろう。もしかするとOWによって起きた二次的な被害に苦しんでいる人も、いるのかもしれない。


 だがそうだとしても、真白が現状を嫌うことを止める理由になど一ミリもなりはしない。あくまでもそれは他者に起きた事であり、不幸を比べて我慢しろなどという戯言に付き合う気は、真白にはない。


 OWに生活を阻害され、我慢を強いられている時点で、不幸であることそのものに変わりはないのだ。


 そして今も、今から見るアニメを適当に決めようとして、ようやく決まったところで画面タップがあらぬ場所で反応する。


「はぁ……」


 ため息をつきながら戻るボタンをどうにか押し、そして目的のロボットアニメを見ようとして――


 その瞬間に、部屋のドアから乾いた音が響く。ため息は、もう一つ漏れ出た。


「あいよー」


 真白が一声かけると、ドアが開いて、六那が現れる。


「真白、お使い頼んでもいい?」


「ん、なんで?」


「今気づいたんだけど、牛乳の賞味期限切らしちゃっててね……」


「……なんで冷蔵庫の中身見てないんだよ」


 半分笑いながら、真白は六那の発言に対して突っ込む。自身の母親が少しめんどくさがりなのは百も承知であるが、それはそれとして牛乳の賞味期限を見ていないことに突っ込まずにはいられなかった。


「お母さん今日化粧してないからお願い」


「あー分かった。ほんじゃ行ってくる」


「お願いね」


 依頼を受けて、真白は自身の財布とスマートフォンをポケットに入れ、六那からメモと買い物袋を受け取って自室を出る。


 自分で行けと行ったところで、原付に乗ることができる真白に軍配が上がる。それを分かっているので、反論することなく、真白は玄関の方へ向かっていった。


「ちなみにリクエストは」


「いつもと同じやつで」


「あー、じゃあスーパーに行くわ」


 背中越しに六那の声に反応した後は、玄関で適当に靴を履いて、下駄箱の上に置いてある原付の鍵とヘルメットを持って出る。


 この原付は父親の持ち物ではあるが、真白も徒歩では面倒な場所に行くときには使うため、直近の使用回数は父親よりも多い。一応空いていれば使用できる、という許可の出され方をしているため、今使ったところで怒られることはない。


 慣れた手つきでイグニッションに鍵を差し込んで、そのまま時計回りに90度捻る。エンジン音が鳴り響くと、真白はサドルにまたがって、右ハンドルスロットルを手前に回す。


 そうして走り出した原付に乗って、真白はのんびりとスーパーへと向かっていく。


 めんどくさいなぁ、という感情と共に行く先で、予定表に乗せる必要もない行動をまた1つ増やす。


 それが、三鏡真白の放課後――だった。


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