ユア・ブラッド・マイン Prismatic Resolution

一考真之

第1話 予定表は真っ白



 魔鉄と魔女の出現が世界を変えたところで、学生の登校手段が増えるわけではない。徒歩、自転車、バス、送迎、高校生ならばここに原付も加わるだろう。



 形状が似すぎていて間違えて取り出した、最近取ったばかりの原付免許をズボンの尻ポケットに入れ直して、本来出す予定だった通学定期を二度目で取り出す。そして少年――三鏡真白みかがみましろは、今日も登校するために市内電車に乗り込む。


 鉄暦時代から、この地域に暮らす市民にずっと使われている市内電車。今でこそ魔鉄製になったものの、変わらず略称で親しまれているそれに乗り、真白が目指すのは、魔鉄暦になってから出来たこの路線の終点『聖窮西』。



 この魔鉄暦において、力の象徴であるのは、魔鉄と魔女をワンセットとして扱い、生み出される秘術――『鉄脈術』。それを使う、製鉄師や彼らを支える魔鉄加工技師の卵たる人員を迎え入れ、育てるために作られたのが製鉄師養成学園。全国に9箇所存在するうちの1つが、この路線が続く果ての、広島の海の上にある。


 名前は『聖窮学園』。瀬戸内海に作られたギガフロート部、正式名称『聖窮区』の上に存在する街の中に、シンボルとしての役割を兼ね備えながら存在する。


 聖窮区には住居となる敷地も多数あり、実際に聖窮学園に通う生徒の多くは聖窮区に住んでいるがギガフロートそのものの成り立ちは割と新しい。古くからこの広島に住んでいる人々のほとんどは住居を変えることなく、今の真白と同じように陸上にある別の区から公共交通機関等で通うか、自身の持つ移動手段で通っている。


 真白も原付に乗ることが出来るが、使用できるものは親のものであり、簡単には使えない。加えて照りつける夏の日差しを嫌ったので、真白は夏の暑さを市電の小さな空間を満たす冷えた空気で中和するつもりで市電に乗っていた――



 のだが、混み始めて結局それなりに車内は暑くなっていく。外よりはマシか、などと思わせながら揺られ続けていると、気づけば社会人はすでに降りて男子制服である白灰色のスラックス姿や古き時代の袴姿を模した女子制服姿が多くなる。


 聖窮区に入ったことが分かるほど、もう市内電車に揺られる時間はそう多くない。


 真白が景色の変わり方に気づいて視線を車窓の外に向けると、もうすでに、車窓の先に見える景色の中に、校舎の高い部分が見えていた。


――いつ見ても、無駄に高いな……



 座った場所から見える高い建物――あそこには契約用の魔鉄器がある――を見ながら、心の中でそうぼやく。真白だけでなく、多くの生徒から無駄に建物が高い、と言われるそれが、聖窮学園の校舎だった。





 広島だけでなく中四国から生徒を受け入れる聖窮は、真白の伝聞情報が届くまでにどこかしらで狂っていなければ、国内で3番目に多いらしい。


 ここで学ぶ生徒の多くは、古くから中四国にルーツを持つ、もしくは政治家として名を馳せている家系のお坊ちゃま、お嬢様だ。真白はその多くには属さないが、そう言う生徒も含め、きちんと実力を図った上で入学することになるので、特段その辺りが気になることは、今のところ真白には覚えがなかった。


 実のところ、そういう差別はあるのかもしれない。だが、本当にあったとして、実際に受けたわけではない以上、真白にその辺りを気にする余裕は確実になかった。



 真白たち学生を乗せた市電が、終点にたどり着く。降りる人の波に乗って、手元を見ずに通学定期をかざして外に出れば、再び夏の暑さが、乗客を襲う。


 早くも額を伝いそうな汗を拭い、真白は未だに通学定期を持ったままの右手を見る。


――今日もずれを確認しないとな……



 真白の視界に映る自分の手と収めようとしていた通学定期は、まるでバグったゲームの画面のようにずれている。本当にずれてしまったわけではないことは、全く痛みを知らせない感覚が教えてくれるものの、手と手首と繋がっていないという、言葉だけ聞くと非常に怖い映像が、今まさに真白の目に映っていた。



 三鏡真白は、小学生の頃からこの奇妙な視界――OWに悩まされてきた。


 最初はどこにでもいる、体を動かすのが好きなただの小学生だった。幼少期は両親が中々家にいないことから別の家庭に預けられ、それでも埋まらない寂しさを紛らすために、陽が落ちるまで外で遊んだ記憶は、おぼろげながら脳裏の引き出しの中にある。



 だが、ある日突然、視界に映る自分の手がずれ始めた。あまりにも突然すぎて泣くことすらも忘れて驚いた後、両親にそのことを相談すると、それがOWの発現であり、自身がOI体質であることを知った。



 そうなってからは、当時好きで始めていたスポーツも辞めた。将来はこの街そのものが愛しているとも言えるチームに入ることを夢見ていた真白は、突き付けられた現実のために、夢を捨てる他なかった。


 今は、長い年月をかけた訓練のお陰で感覚があることを知り、生活する分には問題なくなった。


 だが、思考を介在させることが不可能に近い、咄嗟の行動の際にそれを考慮するのは非常に厳しい。そして、仮に視界を侵食するこのOWから解き放たれた時――すなわち契約を行った暁には、副次的効果である身体能力の向上がネックとなり、門戸は閉ざされる――


 そのことを知り、一度復活した微かな希望も潰えた真白が、『普通に生きたい』という願いを持ったのはそれからだった。


 それ以外の願いは、OI体質者であることを示す銀の腕輪をつけた後から続く、訓練をひたすら繰り返す日々の果てに、どこかに行ってしまった。



 以来、真白の日々は、割と退屈な日々になった。夜10時就寝、朝7時起床という、睡眠不足とは無縁の健康的な生活を送ることから、風邪を引いた記憶など真白の脳裏には一ミリも残っていない。


 とはいえ健康であったところで、真白には何の意味もない。高校に入っても続く皆勤賞の日数を今日も1日分増やすだけだ。



 校舎に入ると、始業前であるためか、思い思いに会話をする生徒の姿が見える。真白も友人と他愛ない会話をする、という時間を過ごしたいところであったが、生憎そうやって話せる友人は数えるほどしかおらず、不運なことに皆別クラスだ。


 加えて、真白には、授業が始まる前に必ずやっておかなければならないことがあった。


――またずれが変わってる……


 OI体質により引き起こされている、視界内の自分自身のずれは一定ではない。何かトリガーとなる出来事があるわけでもない以上予測不可能であり、突然ずれる方向が変わったりすることで生活に支障が出るのは、もはや日常茶飯事だった。



 景色を眺めていて、気づいたら変わっている。そうなれば次に必ずやることは、授業が始まるまでに、今自分自身の視界と実際の位置がどの程度ずれているのか、把握しておかなければならない。


 教室の自席に座ると、通学カバンの中から、タブレットを取り出す。ある程度大きな物を掴むだけならば、ずれを過度に気にせず大雑把に掴んでも問題ない。


 本当は紙とペンで出来るのが理想ではあったが、自身の手で持ってしまうと、ペンもOWの影響を受けてずれてしまう。故に持たずとも視覚的な情報を得られる方法でしか、ずれを正確に認識できない。

 

 タブレットの画面保護の役割も果たすキーボードを開くと、自動で点灯した画面の上には、検索エンジンやゲームアプリなど、普段使いするアプリが並ぶ。


 その画面を右にスワイプすると、今度ぽつんと『ずれチェッカー』という安易な名前のアプリだけがある画面が現れる。2、3度タップしてようやく起動させると、画面の真ん中に、ぽつんと黒丸が現れる。



 真白がその中央の黒丸をタップすると、確かに触れたはずの黒丸は右上に移動する。


 それに何かしらの反応を示すわけでもなく、今度は左の人差し指で、中央にある赤丸をタップする。


 赤丸はほとんど動くことなく、タップした位置とほとんど同じ位置にある。

 

――左は珍しくずれなし、か



 そんな感想を抱いた後、ため息を1つ吐いて、アプリが開いたままのタブレットの電源ボタンを押して、カバンに入れる。



 ふと、キーボード背面に貼られた、『三鏡真白』という名前入りのシールが目に入る。


 雪国育ちの親につけられた真白という名前を、真白自身はあまり好きではない。


――真白、だなんて名ばかりにも程がある。


 どうせなら白黒どっちか分からない灰色の方が、少なくとも『真白』よりは今の自分を表すには持って来いだろう。響きとしても、音読みで『カイ』の方が名前としてはまだかっこいい。


 と、そんな思いはあるものの、両親のことを思うと、名前に対する不満は口にすることは出来ない。真白が苦労したOWに対して、悩みを相談したり、改善の方法を考えたり――一番の支えになったのが他でもない両親である以上、口が裂けても言えないのだ。



 その両親が感動し、一線を引いた彼らを臨時講師にすらさせた、聖窮の教育理念。


『可能性の弓を引け。彼方へ向けて汝という名の鏃を射よ』


 そんな高尚な教育理念の他に、三本の矢の教え、というのも聞くくらいには、何かと弓矢に関する理念、言い伝えがこの地に残っている。


 そのような地で生まれてから今までの時間を過ごしている自分には、皮肉ながら射るべき何かはない。糸すら張られずに、形状だけがその用途を示す弓――というのが、一番正しい表現かもしれない。


 ブラッドスミスになる可能性は残っている。しかしその可能性を追うことなく、ただそこにあるだけ。



 高校2年となった今、残りの学生生活は半分を切ろうとしている。契約をした同級生も普通にいる中で、真白はこの聖窮で契約が出来るかどうかも分からない状況にある。


 そして、契約が出来たとして、普通に生きられるかどうかなど一切分からない。



 それでも、この学校の掲げた高すぎてため息が出る理念に、従う他ない。



 自分にとって、『普通』が高望みである――叶わない願いであると思い、発散のために口にするだけの今は、とりあえず消費する他ない。消費せずに溜め置くことの出来ない時間を横流しすることしか出来ない。




 そう思っているからこそ、真白は今日もまた、炎天下の日差しから離れた冷房の効いた部屋で、何も書き込んでいない予定表のような日々を始めるだけだった。


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