召喚魔法


――サンクレーネの月。

夜の神サンクレーネにちなんで付けられた、完全に欠けた月の呼び名である。


この月が昇る夜は星々さえも輝きを失い、

獣も魔物も、果てには魔獣でさえも、

目を伏せ、耳を畳み、足を折る。


明かりの無い優しい夜の帳が齎す、休息と安寧の夜。


だが、今夜――。

アーヴァンを中心として夜が消え失せる。


地平線の彼方まで伸びる、青い波光。


莫大な魔力が可能とさせるそれは、たった一人の魔女によって行使されていた。



「久しぶりに、本当に、楽しいわ」



――王城リトヴァーク、展望台。

アーヴァンを一望出来るその場所で、独特な抑揚で独り言つ魔女の頂点。



「長く、永く、生きてきたけれど、

こんなに、楽しいのは、いつぶり、だったかしらね」



天空に刻まれた魔方陣の規模は、

中央都市アーヴァンを丸ごと覆うほどに巨大であり。


円形の都市を囲むように浮かぶ99の刻印魔法は、

それぞれに魔女の生涯魔力を注ぎ込んだかのような輝きを見せ。


都市の外、地面を埋め尽くす魔方陣は、

天空の魔方陣との共鳴で地を揺さぶる。



至法ルファシアが刻み、紡ぎ、編み上げた魔法は、

一般のそれとは規模こそ違えど召喚魔法に類するものであった。


――召喚魔法。

魔力生命体を異界や異次元から呼び寄せる儀式。


呼び出す世界や対象者の存在強度によって消費される魔力は増減。

より高次の者、より存在強度の高い者を呼び出す際は莫大な魔力は勿論のこと、

鍵となる触媒の選定にも精査が求められる。



人界の差し迫った問題であった生活圏の縮小。


魔物、魔獣による被害は日増しに増加の一途を辿り、

対抗策とした前戦都市によって生活圏、生活限域の押し上げにまで成功していたが……。


人と魔の領域は、唐突に崩れ去るものであると歴史が証明していた。


たった一体の魔獣によって前戦都市はおろか、後方に控える城塞都市までもが壊滅した過去。


それを踏まえた現状打破。

刻一刻と迫る滅亡の予感を撥ね除けるための切り札。



――都市国家の王達が求めたのは、一騎当千の強者であった。



疲れを知らず――。

恐れを知らず――。


魔女の様に気紛れではあらず――。

獣人の様に慈悲深くはあらず――。


ただ、命じるままに――。


皮を剥ぎ――。

肉を裂き――。

骨を断ち――。


命を散らす事だけに専念する道具――。



人側の思惑など――。

奥に秘めたる黒を見透かして尚も、至法ルファシアは微笑みを絶やさず。

底さえ見えない大海かの様な魔力を、その全てを枯らさん勢いで魔方陣に注ぎ続けていた。


――壮絶なる魔の真髄。


その光景を期待と不安の面持ちで見上げるアーヴァンの群衆。

片や手を組み祈りを捧げ、片や魔方陣を肴に酒を飲み、片や興味なさげに物資搬入に勤しむ。


更にその光景を一纏めに、高台の謹製宿屋から剣士とエルフが顔を出す。



「書かないのか?」



「書きたいですよ!


でも、例え腕を百本増やして百年休まずに書き続けたとしても……。

あそこに浮かんでる刻印のひとつ、

それも表面の情報しか書き留められないでしょう。


自動筆記ちゃんにお願いはしてあるので、千年後には出来てると思いますけどぉ……」



苦い顔でため息をついたアルア。

自分で書かないと落ち着かない性分だというが、

それはそれとして記さないという選択肢も持ち合わせてはいない。



「あ!あれ見てください!」



王城リトヴァークの展望台、その上空に浮かぶ依代から眩い光が迸っている。



「……魔力でさえも切り裂かれたのに、一体どうやって……。


ちょっと聞いてきます!」



「お、おい!」



アルアの姿が消えて数十秒後、神妙な顔で帰還したアルア。



「答えてくれたのか……?」



「ええ……、でも。

『添わせて、あげてるの』、って一言だけで……。


うぬあぁ~!分かんない!

これじゃ備考に添わせてるって書くだけになっちゃいますよぉ~!!」



頭を抱えてジタバタするアルアと、それを横目に苦笑いをするオルネアだったが……。


震えだした大気に――。

ひとつの旅の結実を見届けるべく、二人は空を見上げた。



街を囲む刻印魔法が回転。

天と地の間で作用する理に、意図した歪みを生じさせる。


それは扉であり、それは門であり――。

招かれ、喚ばれ、潜り抜ける物――。



儀式完遂の手前で、拡大されたリトヴァーク王の声がアーヴァンに、世界に響き渡る。



「人の未来の為に、祈りを捧げよッ!

獣に怯え、魔に屈した者達の為に、祈りを捧げよッ!

蹂躙され、餌にされ、

断末魔さえ上げられなかった者達の為に、祈りを捧げよッ!


……仕上げだ、ルファシア」



「待っていたわ、その言葉。


"我が名に於いて鍵を記す"


"地平に揺れる炎 薄氷の上澄み 無辜に願いの欠片"

"欲望が回す歯車 飢餓で回る水車"


"依代は此処に 鍵の名は此処に"

"燐火りんか纏う九重を此処に"


"開け最果て"



"――空席にもたれ掛かる つるぎの果てよ――"」



魔方陣から溢れ出す光の束。

壮絶な光景に、鍵となる口語詠唱が加わり……。


世界を構築する理が、綻びる――。



――王は。

依代を受け取った時から、溢れないようにと努めていた王は。

抑えきれない興奮を、今や隠しもしなくなった王は。


溢れんばかりの黒色こくしょくを晒して――。



「祈りを捧げよッ!

――斯くして剣はッ!明日を拓く!」



黒い意思を引き連れて――。

醜悪な黒を侍らせたリトヴァークは――。


――眼下に蔓延る有象無象に、言葉を着飾った。

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