ヴォルフという種族
亜人種、獣有種。
多岐にわたる呼び名の中で彼らを激怒させない呼び名がひとつだけ存在している。
雄々しく艷やかな毛並みを称えて。
剛柔兼ね備える強靭な四肢を称えて。
強きを挫き弱きを助く牙や爪を称えて。
人々は其の者らをこう呼ぶ、――ヴォルフと。
「毛並みを褒められたり、強さ、腕っぷしを褒められると彼らは上機嫌になります。
その逆として、人との違いや、除け者、貧相、弱さなど。彼らを見下したような言動を取ると怒ります」
「見下せば怒るのは誰だってそうだが……、そうか。
人との違い、か。……注意しないとな」
「ですね、怒ったヴォルフ族は魔獣より厄介だと聞きます。
でも本当に怒るヴォルフはそう多くありません。
彼らの器量、度量はサンビの谷より深くて広いですから」
「……で?」
「で?というのは?」
「だから……、お前はいつになったら人の背中から降りるのかと聞いてるんだが?」
「だってオルネアさん早いんですもん!
この方が楽じゃないですか。……お互いに」
「お互いに?…………お互いに???」
剣士の醸す疑惑の感情からなんとか逃げ出そうと、風圧に潰されながら下手な口笛を繰り出すエルフ。
キート町まであと数キロ。
その道中、魔獣と思しきものの痕跡は全く無く、幾許かの余裕が生まれていた。
その余裕が生み出す僅かな和を使い倒し、アルアが問う。
「急いでいたんですよね?何故引き返すような真似を?」
オルネアは答えられない。というよりも答える意味が無かった。
どう答えてもその理由は既に見透かされているからだ。
城塞都市ランヴェル。
焼け落ちた件の都市からキート町までは幾度も山を越えなければならないとはいえ、
直線距離に直せばそう遠くはない。
「それなのに貴方はキート町の人に警告する事もなく去りました。
討伐済みとは云え、ドラゴンなどという特大の脅威が迫っていたというのに。
なのに今回は魔獣一匹で引き返し、町の様子を見に戻っている。
何故です?」
背に抱えるエルフを乱暴に振りほどかなかったのは、
その言葉に少しも負の感情が籠っていなかったからだった。
駆ける速度を落とさぬまま答える。
「打ち払える脅威だからだ」
「打ち払える?」
「そうだ。苦戦しようが死傷者を出そうが魔獣なら人でも立ち向かえる。
ただ、ドラゴンは違う。
矢も効かず、魔法も効かず、ひと羽ばたきで十の山を越える。
そんなものが来ると警告したとしてどう備える?何処へ逃げる?」
「確かに」
「奴らに向かって踏み出し、炎を掻い潜り、鱗を裂き、
その命を終わらせてやることが出来る者はそう多くない。
襲われたら最後、死ぬしか無いんだ。
だったら。
最期の最後、……焼けて死ぬその時まで、そんな事気にも留めないで、
ただ幸せであるべきだ」
私がヒトだったら。
もしも私が、永い時を生きるエルフではなかったのなら。
オルネアさんの考えに胸を締め付けられ、憤ったことだろう。
でも私はエルフだから。
だから。
何も知らないで、死ぬその最後の瞬間までというオルネアさんの考えが。
幾つもの手段の中で、一番優しいことであると理解できる。
オルネアの背で物思いに耽り、気がつけば筆が止まっている事に焦り、急いで書に記すアルア。
やがてキート町に辿り着くが……、どうやら杞憂に終わったようだ。
昨日見たままの小さくて平和な町。
道行く行商人たちの疲れた顔や、酒場で腹を満たして眠そうな顔がところどころで浮かんでいる。
その内のひとつがオルネアの匂いにピンと耳を立てた。
「まーた来やがったのかお前さん」
「直ぐに去る。警告に来たんだ」
「警告だと?……う、うっげぇ!」
「えへっへ~!お久しぶりですねゼントゥーラさん!
密輸で掴まった時以来じゃ――むごぉお!!」
「ここじゃまずい!お前さんもちょっとこっちに来てくれや……」
口を塞がれて裏通りに連れて行かれるアルアを見てざまあないとニヤける。
連れて行かれた先は小さな倉庫だった。
パルミア粉、ラグア乳、リーラ生地、アニエラの布、と食料品から衣類が積まれ、その価格帯も低価格から高価格まで実に様々だ。
「お前さんも運がないな、よりによってこんなエルフに付き纏われて……」
「まったくだ」
「むぅ~~!!失礼な!!
いずれ世界を納める書に綴られることをもっと光栄に思ってくださいよ~!
まぁ思わなくても全然構いませんけどもねぇ~えへっへっへ~!」
「あ~あ、これだから始末におけねえんだわこいつは……。
それで?警告って何の話だ?
お前さんの剣に染み付いてる魔獣のことか?」
「……恐れ入ったよ。流石はヴォルフだ」
「はっは~!世辞の一つでもこのエルフから学べたんなら付き纏われる不運も少しはマシってもんだ。
……この匂い、ボアツオだな?」
発見場所と単体で彷徨いていたところを合わせて、ゼントゥーラの意見もまたアルアと同じだった。
「逸れ魔獣だな、珍しくはない。
ひと月前にも目撃情報が出てる。恐らくは、今回お前さんが倒したのがそれだったんだろう。
風体からして並じゃねえとは思っていたが……、なかなかやるじゃねえか?
どうだい?手合わせでも?」
「すまない。先を急ぐ」
「そうかよ。……じゃ、餞別だ」
パルミア粉とラグア乳を譲り受ける。
「ありふれた食いもんだが質は一級品だ。そこのエルフに食い尽くされないようにな?」
「食い尽くしはし・ま・せ・ん~~!いっぱい食べるだけです~~!」
「……」
押し黙ってしまったオルネア。
アルアはその様子を見て察する。
優しさと残酷さを合わせた最良の選択に、良心の呵責が付きまとう。
もしかしたら、という儚い希望を抱かずにはいられない。
「……お前さん、名前は?」
「……オルネア」
「オルネアか。
覚えとくぜ。
嫌味な野郎に、わざわざ戻ってきてまで警告しにきたお人好しってな」
キート町を離れて暫く経ってもゼントゥーラの言葉が頭を巡っていた。
森を駆け抜け、悪路を飛ばし、中央都市へ繋がる大きな街道に出てもまだそのままで。
むしろ歩きだしてからのほうがより強く思い起こされる。
「オルネアさんの特徴から導き出した答えがあるんですけど、それってまだ憶測の域を出ないんですよ。
不確定情報をそのままにするのも後味悪いんで直接聞いちゃうんですけど……。
オルネアさんは、ヒトですよね?」
「……そうだが?」
「それならそれで、その痛みはヒトとして当然のものなんです」
「お前に何が分かる」
「分かりませんよ。
――だから年上からのお節介を置いてきました!」
その頃キート町の小さな倉庫では。
荷の積み下ろしをするゼントゥーラが、事のあらまし全てが記載された書き置きを見つけたところだった。
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