龍狩りの剣士と小柄なエルフ
「るんるんるーん!るんるんるーん!るーるるんるんるん!!」
街道をひた歩くエルフの女の子。
名をアルエルア=アルファール、通称アルア。
彼女の年齢は1355歳。
成人してから1305年経つ彼女には悩みがあった。
背の低さだ。
エルフの身長は最低でも180cmを超え成人するまでに伸び切るのが普通なのだが、彼女の身長は自称150cmの149cmである。
この低身長がもたらす不幸は想像を絶する。
図書館に行けば高い所にある書物が取れないし、
子供に間違われるおかげで酒場にも入れないし、
行商人が高く積み上げた品を買おうとしても品物自体が聳える壁となって彼女を阻むのだ。
この低身長がもたらす不幸を以前は呪っていた。
だが、最近では悪いことばかりではないと気づいてもいる。
食堂や屋台ではオマケを貰えて、行商人からは値引きもしやすく、宿代も安くしてもらえる。
そう考えると悪いことばかりか良いことのように思えてくる。
それらは彼女の旅の目的にピッタリ合致していたからだ。
生まれ育った森を愛し、守り抜き、生涯を森で過ごすエルフが何故放浪しているのか?
アルアの旅の目的。それは、
その量の膨大さ、内容の緻密さ精密さは正に
何もかもを記録として保存しておかないと居ても立ってもいられないのだ。
目にするもの全て、耳に入ってくるもの全て、
――全てだ。
大陸名、地名、村名、町名、国名、その成り立ち、建物の数やそれを支える柱、煉瓦の総数、その材料、制作場所。
自生している動植物、その生態、習性、牙、爪、毛の数、骨、毛皮の耐久性、木、枝、葉の数、匂い、可燃性の有無。
出会う人々、その名前、顔立ち、身長、体重、怪我、病気、瞳の色、髪の色、訛り、犯罪歴、仕事、好きな色、嫌いな食べ物、黒子の位置、一昨日食べたもの……。
ここに上げたものなど億の文字が綴られる本の最初の一頁、一文字目の一画程度にしか過ぎない。
キリがなく、際限がない。
この狂気に陥ったきっかけは彼女がまだ80歳の頃、初めて死を実感した時に遡る。
永遠にも近しい時を生きる同族の死。
失われ消え去っていくモノに直面し、この世界に永遠などないと悟った彼女は、その日からある意味では正気ではなくなったのだ。
森を飛び出し、見聞きするもの全てを書に収め、各地を転々と旅する。
――永遠という言葉さえ、いずれは朽ちて滅び去ってしまうのだから。
「ルルン~……おややぁ~~?」
陽だまりの中で香るミチナナに
「この街道ではこんな匂いしない筈なんですけど……?」
匂いの違和感に周りを見渡す。
書に収めたものは大体が頭の中にも入っている。
「この焦げ臭さは木材、焼けているのはイーの木、……森林火災?
だけどこの重くてこびり付くような感じはイーの葉を煎じた青い染料。
主に家屋に使われて……じゃぁこの匂いも……」
やがて混じる血と肉が焼ける匂い、長年の経験が警鐘を鳴らす危険な香り。
元を辿るように視線を向けると空に伸びる煙を視認。
現在位置の街道から山一つ越えて居を構える、城塞都市ランヴェルが焼けている。
――恐らくは死傷者多数。
原因が分からないままではあるが自分にもできることがある筈だと考え、
防御と癒やしの加護を何重にも掛けてランヴェル近くの岩山に転移した。
「これは……」
アルアの目に飛び込んできたのは城塞都市を覆う真っ赤な炎だった。
外へ通じる門には、人々が殺到したであろう死体の山が築かれ、続く街道沿いには炭化した人だったものが黒い帯を作っている。
大量の死が思い出させる同族の死。
自身の始まりの光景にしばし釘付けになっていたアルアだが、
やがて炎の中で蠢く大きな影に気づいた。
その影の記憶、記録に唯一該当する情報が瞬時に脳裏を駆けるが……。
同時に、そんなことは絶対に有り得ないという否定の感情も湧き出ていた。
大きな影は炎を撒き散らし、赤熱する翼を広げ空に舞い上がる。
だが、羽ばたこうとしたその一瞬。
炎を切り裂きながら小さな影が飛び上がり翼を引き裂いた。
身も竦む咆哮を上げ崩れ落ちる大きな影。
――ドラゴン。
かつてこの星に君臨していた絶滅種。
エルフが所蔵する最も古い文献にのみ記される
多種多様という言葉で言い表せないほど生物で溢れているこの星で、何故ドラゴンだけが空想の域を出ないのか?
それは、完璧過ぎるからに他ならない。
生物として完成されすぎているその生態は正に空想や妄想というべき代物であり、
文献や古い言い伝えを元にするならその生態は次の通りになる。
『空を覆う翼に矢は通じぬ。
炎を写す鱗に魔は通じぬ。
降りかかる千の矢、放たれる億の魔をも通さぬ大いなる者。
その者を裂くは剣のみである』
剣しか対抗手段が無い、だというのに近づこうとすればその炎で焼かれ、
大勢で囲めば尾で薙ぎ払われ、計略を弄すればその翼で押しつぶされる。
そんな理不尽がまかり通るのは空想の中だけである。
如何にエルフが残した文献、言い伝えであろうとそんなものは存在しない。
だが、眼下に広がる地獄のその只中に、空想と妄想の産物が存在している。
アルアの狂気は膨れ上がった。
道徳的には人命救助をするべきなのに、そんなことはもうどうでもいいと言うように羽筆と書を取り出し瓦礫と炎の中を押し進んでいく。
自分に掛けた魔法が振りまかれた炎に触るだけで解れていくのを、嬉々として書にしたため。
先の戦闘で飛び散ったドラゴンの鱗に魔法を放ち、全く壊せないどころか触れる直前で魔法が掻き消されるのを見て狂喜乱舞した。
城壁に付いた巨大な爪痕や岩を溶かし尚勢いを強める炎の痕跡に夢中になっていると、いつの間にかドラゴンの近くまで迫っていたようだ。
間近で見る巨体とその圧倒的なまでの生命力を文字に起こすので必死になる。
戦闘の行方は名も知らぬ剣士に軍配が上がったところだった。
ドラゴンの項垂れる頭部からは未だに覇気を放つ赤黒い目が剣士を捉えたまま離さない。
だが、その呼吸はどんどん浅くなっていき、やがては瞳の色も暗く落ちるとドラゴンの巨体は静かに燃え上がる。
そんなドラゴンの額に手を当て跪く剣士。
炎に溶け、燃え上がり、空へと登っていくドラゴンの亡骸を前に。
前人未到の偉業とも云うべき討伐を成し遂げたというのに。
誇らしさを感じてもいい筈なのに。
何故。
何故あの剣士は、あんなにも哀しい顔をして跪いているんだろうか?
その光景は見たことも聞いたことも、空想、妄想したこともなくて……。
でも何故かそれが正しいことだと理解できて……。
私は必死に狂気を振り払いながら、それを記憶という不正確性と偽りが蔓延る形態にだけ収めることにしたのだった。
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