わたしの旦那様は若頭

透乃 ずい

第1話


好きな人がいるくせに。



好きな人がいるくせに、


どうして私に優しくするの?



どうして私に愛を囁くの?



私にも好きな人がいるはずなのに、なのに。



どうして私は『旦那様あなた』に


恋をしてしまったのだろう。



…………



 ドアベルが鳴る。


「いらっしゃいま、せ……ッ」


 笑顔が引きつった。


 喫茶店で接客をして数か月。



 笑顔を絶やさなかった私の頬は引きつり、手にしていたふきんを落としてしまう。



 だけどそれを気にしてなんかいられなかった。



「いつまで遊んでいるつもりだ。結愛ゆあ



 その声にビクリと肩が震える。


 どうしてここがばれたのか。


 どうしてこんなところにいるのか。


 もう一生会いたくなかったのに!



「結愛、帰るぞ」


「ッ……」


「聞こえなかったのか?」


「き、聞こえてるっ…、ます…」



 ビビりすぎだよ、七種さえぐさ 結愛。


 あ…ちがう。


 今はもう『霧島きりしま 結愛』なのか。



 そっか。だから彼も迎えに来てるんだよね。



「結愛ちゃん、お客様とお知り合い?」


「え、あ……うん」


「なら、休憩行っておいで。込み入った話…みたいだし。他のお客様もいるから、ね」


「ッ……」



 正直、行きたくない。


 でも行かなくちゃいけない…よね。



「……すみません、行ってきます」



 彼に一歩一歩と近づくと、彼は腰に当てていた手で私の肩を抱いた。


 そして外へと連れ出す。


 もう二度と、この場所に戻ってこれないんだと自覚した瞬間だった。



………



「それで?」



 黒塗りのセダンの後部座席に乗った瞬間、彼、霧島きりしま 千都ゆきとは口にする。



「…それでってなに」


「家を出て行った理由を聞かせろって言ってんだよ。この二か月もの間、何してたんだ」


「……逆になんで今更」



 これからだったのに。


 あの喫茶店で許嫁と再会して、あとはどうにしかしてもらおうって思ってたのに。



「お前が許嫁に接近を始めたからな」


「なっ……」



 な、なんでそこまで知って…。


 というかやっぱりずっと監視してたんじゃん。


 もうさいあくだよ。



「そんなのあなたには関係ないじゃん」


「……はぁ?」



 低く呆れた声にそむけていた顔をあげた。


 彼は顔をあげた私のあごを一瞬でつかみ上げ、顔を近づける。


 唇が触れそうな距離にごくっと息をのんだ。



「てめぇは俺のなんだ?」


「ッ……」


「それで? てめぇは俺の嫁だよな?」


「………はい」



 親の借金の肩代わりで結婚しただけの妻。


 高校生のうちはこんなことになるなんて思ってなかった。


 結婚するなんて思ってるはずがなかった。


 だって、だって彼には好きな人がいたから。



 キスもそれ以上もした。


 だけどそれはただの処理で、私たちの間に愛だの恋だのなんてものは存在しない。


 存在しないからこそ、この関係がつらかった。



「…はぁ。なに泣きそうな顔してんだよ」


「べつに」


「キスしねぇから? いつまでもこのまんまやなの?」


「別にそんなこと言ってないし! 思ってもないんだか…んっ」



 触れ合う唇に伏せられる瞼。


 きれいな肌に長いまつげ。


 この綺麗な男をどうやったら嫌いになれるのだろう。


 このままいつもみたいに流されて、あの広いお屋敷に閉じ込められてしまう。


 そんなのは嫌だ。



「んっ…、ゆき、とさ…」


「……なに?」


「わたし、まだここでしごとしてたい」


「あの男はやめとけ」


「あの男…って…」


「アイツ、同棲中の恋人いるから。だから早く帰ってこいって。十分なくらい自由な時間与えてやったんだからもういいだろ」



 恋人いるなんて聞いてない。


 いないとも思ってなかったけど…。


 でも、私には唯一の希望だから。



「おねがい、千都ゆきとさん。わたし、ここで働きたい」


「…んー」


「千都さん、お願いします」



 このままじゃ私がつらい。


 早くこの状況をどうにかしないと。


 『霧島家』を出るために。



「そこまで言うなら、俺の送迎が可能な日ならいいぜ」


「……え? 千都さんの送迎?」


「不満か?」


「いや、で、でも千都さん忙しいみたいだし!」



 若頭なんだもん。いつも忙しそうにしてるし、寝る時間がないときだってある。


 そんな人が一人の女のためだけに動くなんてありえない。


 それも送迎なんて、なにか裏があるようにしか思えない。



「俺の決定に文句あんの?」


「な、いけど…」



 やばい…。


 そしたら家に帰らなきゃいけなくなる。


 作戦がうまくいっても絶対に実行できない。


 このままじゃ変わらないけど…でも、外に出れるだけ、許嫁に会えるだけマシかな。



「わかった。お願いします」


「ああ」



 そういって千都さんは表情を曇らせながら、正面を向いた。


 それが合図のように車が走り出す。



(はやくこの人から離れよう)



 そう決心して、私は窓に映る自分の姿を見つめた。

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