第5話 701

「風間」


「おい、風間」


「風間、起きろよ」


 何者かが俺の両肩を揺する。

 誰だ。俺の安眠を妨げる野郎は…

 瞼を開けると眩い光が飛び込んできた。その眩い光の中心に黒い影が見える。

 その光に目が慣れてくると、黒い影の正体がわかった。

 車掌だ。


「秋津へ着いたのか?」


 俺の問いかけに車掌は帽子を脱いだ。


「俺だよ。西松だよ」


「え?」


 目を凝らしてよく見たら、そこには車掌姿の西松が目の前に立っていた。


「西松、お前その格好はどうしたんだ?


「それは俺もわからないんだよ。俺もいつの間にか寝てて、起きたらこれだ。

 それよりも風間、お前…」


 車掌姿の西松は眉間に皺を寄せ、その細い目を見開いている。


「西松、なんだよ。その顔は」


「風間、立ち上がって窓に映る自分の姿を見てみろ」


 と言いながら、西松はどこかニヤついていた。笑いを堪えているようにも見える。


「何なんだよ…」


 西松の言う通り、俺は立ち上がり、車窓に映る自分の顔を見る。

 相変わらず俺は美しい…

 絶世の二枚目であるアラン・ドロンと酷似している。


「西松。何が言いたいんだ」


「下だよ、下」


「え?」


「首から下を見ろ」


 西松の言葉に従い下を見た時、俺の身体に震えが走り、全身から力が抜けて、その場にしゃがみ込んでしまった。


「えええええ」


 驚きのあまり、言葉にならない。


「お前、それどうしたんだよ」


 西松は俺の様子を見て耐えきれず笑う。


「それは俺が聞きたい。何故だ?」


「わからないよ。俺もいつの間にか寝ててこれだよ。何が起きたのかわからない」


「何故、何故だ…」


 今になって重力を感じた。

 重力の底にいるような感覚、ある意味懐かしくもあるこの感覚。

 身長165センチ、体重170キロの超が付くほどの肥満体。

 俺の身体は元に戻っていたのだ。

 顔以外、元の俺に戻っている。

 これは一体、何があったのか。


「なんかイカ臭かったことまでは覚えているんだけど」


「そうだよな。イカ臭えって話をしているうちに寝てた。それで身体だけ元に戻っていたとは…」


 寝る前のことを思い出そうとするのだが、イカの臭い以降のことを思い出せない。

 それよりもだ、せっかくの絶世の二枚目が…、なんて事だ。

 俺はやっとの思いで立ち上がり、改めて車窓に映る自分の姿を見る。

 顔だけアラン・ドロン…、顔は痩せているのに身体は超肥満体、これは異様な組み合わせだ。

 顔と身体の雰囲気の乖離が激し過ぎる。

 まるで顔だけ取り替えたアクションフィギュアだ。そんな俺を見て笑っている西松の姿が、俺の横に映っていた。

 西松の野郎…、またぶん殴ってやろうかと思うのだが、それよりもだ。

 俺は自分の身体以外にも違和感を感じた。


「おい、堀込はどこいった?」


「それがさ、さっきから堀込くんが見当たらないんだよ」


「そうか。まぁ、そのうち戻ってくるだろうよ」


 俺は改めてシートに腰掛けた。

 この身体は走る車内で立ち続けるには負担が大きいからな。

 そんな考え、これこそ典型的な肥満体の考えである。ついさっきまではそんな考えなぞ湧いてこなかったのに…


「風間、なんかおかしくないか?俺たちさっきまで端の三人掛けのシートに座ってなかったか?」


 西松の一言で何かに気付かされた。


「そうだった!俺たちは今…、七人掛けか?とにかくさっきよりも長いシートの真ん中に座っている」


「違うよ。ここは」


 西松がせわしなく、あちこち見回す。


「俺たち西武の6000系に乗ったはずなのに、これは違うよ!」


「言われてみれば、さっき乗った電車と違う気がする」


「何言ってるんだよ、違う気がするどころじゃないよ!これは全く別の車両だよ!」


 西松は口調を荒げた。


「けっ、景色も全く違う!これは池袋線じゃないよ!」


 西松は明らかに慄いている。


「うーん 言われてみたら違う気がする」


「何言ってるんだよ、違う気がするどころじゃないよ!これは全く別の車窓だよ!」


 何故にここまで西松は声を荒げるのか。

 俺は電車に興味なぞ無いのだ。だから車両の違いや車窓など知った事では無い。

 西松の態度が癇に障ってきた。


「お前は鉄オタだったのか?

 電車が違うだの車窓が違うだの、関心のない層には大した違いなぞ無いのだ!

 お前ら鉄道のオタクにとっては重大なことだろうが、お前の常識が皆の常識だと思ったら大間違いだ!

 思い上がるんじゃねえ!」


「ごめん…」


 西松の謝罪に少々、拍子抜けする。


「まぁ、いいさ。お前がそこまでむきになるのなら聞いてやろう。

 この車両はどのくらい違うんだ?」


「まずドアの数だよ。さっき乗った車両は片側に四つドアがある4ドア車に対して、これはドアが三つ。3ドア車なんだよ」


 西松の言葉通り、ドアの数が三つに減っていた。だからなのか、座っているシートの端から端が長く感じる。


「窓の形も違うし…、ちょっとこっちに来て」


 と言いながら、西松は立ち上がり、隣の車両に向かって移動する。

 俺もそれに続く。


 西松はドアを指差す。


「このドアには乗り降りする時に段差、ステップがあるんだよ」


 西松の言う通り、ドア前に段差があり、一段低くなっている。

 なんだこれ?俺はこうなっている電車に乗った事が無い。

 西松はそのまま、車端部へ行き、隣の車両へと繋がる扉の斜め上を指差した。


「ここに書いてある番号を見て。701って書いてあるでしょ?これは701系っていう車両だよ。

 主に東北で使われているんだ」


「東北?その東北で使われている電車がなんで西武池袋線を走っているんだ?」


「ここは西武池袋線じゃないよ。多分、東北のどこかを走っている」


「東北のどこかだと⁉︎」

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