第4話 臭気よ、今日もありがとう

 俺はパリスの姿を見て衝撃を受けた。

 パリスがパリスでは無いのだ。


「おい、パリス。お前どうしたんだ?その格好は何だ?」


「え?うん ちょっとね…」


 とパリスは若干、はにかんだような薄笑いを浮かべた。

 パリスがパリスではない、それはパリスがいつものPARISと胸に書かれたTシャツを着ていなかったからである。

 パリスにとってのPARISTシャツ、それは俺にとっての白ブリーフと同様、奴にとって象徴のようなものだ。

 それだけではない、今日のパリスはいつもと違う。

 紺のジャケットを着用し、その下には白いシャツ、さらには蝶ネクタイまでしていやがる。

 しかも今日はいつもの臭ってきそうな汚いスニーカーではなく、ちゃんと磨かれた艶のある革靴まで履いているのだ。

 これは只事ではない…


「パリス。それがお前の変化なのか?もしかして今度はお前のPARISTシャツが世界から消えたのか?」


「違うよ。これはたまたまだよ」


「だったら何だ?その格好で大学へ行くつもりなのか?」


「え?違うよ」


 と言い放ったその刹那、


「いやいや、うん 大学へ行くよ!」


 と言い直した。こいつ怪しい…

 13時に学食へ来いと言った約束を破り、どこかへ行こうとしていたのか?


「パリス、それならいつものPARISTシャツはどうしたのだ?」


「え?うん…」


「正直に言ってみろ。お前はどこに行こうとしている?」


「うん 大学へ行く前にちょっとお風呂に入ろうと思って…」


 パリスのニヤつきがこれまでにない色を帯びた。


「風呂だと?それはどこだ?」


「鶯谷…」


「鶯谷に温泉でもあるのか?」


「温泉ではないんだけど…」


 パリスのその一言の後、誰かが俺の脇腹辺りを軽く突いてきた。


「風間。風呂は風呂でも違う意味だよ」


 西松が耳打ちをしてきた。


「それは何だよ?」


「風俗じゃないかな。鶯谷と言えば風俗だよ」


 西松のその耳打ちに思わず溜息が漏れた。

 だからか。だからパリスは柄にもなくめかし込み、ジャケットに蝶ネクタイと革靴なのか…

 しかも鶯谷ときたか。

 俺たちがこの世界の変貌ぶりに戦慄している時、こいつは暢気に風俗

か。


「風呂なら大学に着いてからにしろ」


 わかっている。わかっているのだが俺は敢えて言ったのだ。

 パリスはあくまでも“風呂”と言ったのだからな。

 俺はここで強めの眼差しをパリスへ送り、


「話はそれからだ…」


 と決め台詞を放つと、パリスは仕方無いとでも言いたげに頷く。



「話の途中だったが、試しに秋津まで行ってみないか?

 秋津から先がどうなっているのか確認するのもいいし、東京都と埼玉の境に行って、地図アプリの空白地帯が現実にどうなっているのか、確認してみないか?」


 秋津は東京都東村山市だったと思う。秋津の次の停車駅は所沢であり、東京と埼玉の境界が近くにあるはずだ。

 俺の提案に西松と堀込は同意した。パリスは…、他人事のような顔をしながらも頷いた。


 その後、俺たちは西武線、池袋駅の地下改札を通り、ホームのある地上階へと出て、数分後に出発する秋津行きの電車へと乗った。

 その間、堀込は電車の運行種別にも驚き、不服そうにしていた。

 堀込曰く、特急や急行だのが消え、各駅停車しか無いことが許せないらしい。

 俺は元々、電車なぞ所沢から少し乗る程度、しかも鉄道に関心が無いからな。堀込の気持ちなどわかるわけがない。



 俺には電車の車端部にある、三人掛けシート真ん中に陣取る習慣がある。

 今回も例外なく三人掛けの真ん中だ。

 しかし、かつての俺ならその巨漢っぷりから、三人掛けシートを独り占めとなるのだが、今の俺だと両隣に人が座れるだけの余裕が出来る。

 その為、右隣に西松、左に堀込が座り、その向かいの三人掛けシートにパリスが座った。

 今の俺は巨漢でなくても身長180センチ強あるからな、小さくはない。それで横に二人座られると窮屈なのだ。

 昼間の空いてる車内、この車端部だけ席が埋まった。

 俺は今、自分の習慣を呪っている。



「そういえば西松。お前の両親も別人になっていたんだよな?」


 俺は右隣に座る西松へ話しかけた。


「そうなんだよ。前とは似ても似つかない両親でさ、母さんがイタリア人なんだよ」


「イタリア人だと!」


「うん 父さんは日本人だけど、わりとはっきりした顔のイケメンでさ。だったら俺の顔ももうちょっとはっきりした顔でもいいと思うんどけどね」


 西松は少しばかり残念そうな表情を浮かべた。

 西松の言う、母親がイタリア人で父親がはっきりとした顔立ちのイケメン、今の俺との共通点に不穏な何かを感じる。


「お前の両親は誰に似ているとか、あるのか?」


「わからないよ。わからないんだけど、母さんはジーナなんとかに似てるって言ってる」


「ジーナ・ロロブリジーダか⁉︎」


「そう!風間。お前は海外のことに詳しいんだな」


「詳しくはない。俺の母親もそれを自称しているからだ!」


「何だって!」


 俺はポケットの中からスマートフォンを取り出し、


「まさか、お前の父親はこの人に似ているんじゃないのか⁉︎」


 俺は田宮二郎の画像を検索し、それを西松に見せた。


「そう!この人によく似てるというか、この人そのものだよ」


 西松のその一言に俺は言葉を失う。


「この画像は田宮二郎という俳優のものなのだが、俺の父親も田宮二郎と酷似している…」


「おい、そんなことあるのよ。これは偶然か?」


 と堀込が声を上げた。

 そんな中、電車の車内アナウンスが次の停車駅を告げると、パリスが不意に立ち上がった。


「どうした、パリス」


「ごめん、シロタン!本当は予約が入っているんだ」


 だからか。さっきからパリスは落ち着きなく、スマホを取り出し何かを見る動作を繰り返していたのだ。

 時間を見ていたのだろう。


「風間、まぁいいんじゃないの」


 西松が耳打ちをしてきた。

 堀込も西松の意見に同意のようだ。

 確かにな…、パリスだし、まぁいいだろう。

 この行いもパリスらしいと言えばパリスらしい。


「いいだろう。楽しんでこいよ」


 俺のその一言にパリスは好色そうな半笑いを浮かべる。


「うん ありがとう」


 と言った後、パリスは電車が停車し、ドアが開くと足早に降りていく。その後ろ姿から期待感が見え隠れする。

 パリスはわりと中肉中背といった体型であるのだが尻だけデカい。

 そのパリスの後ろ姿から期待感に胸が躍る、ではなく尻が躍っている様に見え反吐が出る思いだ。

 不快だ。不快な尻め…、思い切り蹴飛ばしてやりたい。

 それはいいとして、


「堀込の家はどうだ?お前は特急りょうもう号の車内で射殺された後、何か環境の変化はあったのか?」


「環境とか家族が別人になっていたとかは無い。無いんだけど…」


 俺からの問い掛けに、堀込は悲痛な表情を浮かべ口ごもる。


「何だよ、言ってみろよ」


 俺からの促しに堀込は一回深呼吸をし、決意したかのような面持ちになり、


「足が臭えんだ。半端じゃなく臭うんだ」


 堀込の繊細さの欠片も無いぐらいのくどい顔が神妙な表情を浮かべ、足が臭いという意外な告白をした。

 それが妙な滑稽さを生み出し、俺は思わず笑ってしまう。

 そうだ、堀込と言えば、大学へ向かうバスの車内で、パリスの足臭を俺の臭気だと決めつけ、俺をバスから降ろしたことがあったのだ。


「笑うなよ」


 と堀込に言われても笑えるのだ。

 俺は笑いを堪え、


「何を言うのかと思えば足が臭いとはな。お前の足は元々臭かったんじゃないのか?」


「そんな事は無い!西松、俺の足は臭くないよな!」


「うーん 臭さを感じたことはないかな」


「そうだよな!元々臭くなかったんだって!」


 西松の証言に堀込は小鼻を膨らませて、勝ち誇ったような表情を見せる。


「だったらどれだけ臭いのか、一回靴を脱いでみろよ。

 話はそれからだ…」


「それはやめておいた方がいいっ!

 あまりにも臭えから、俺は家で絶対に靴を脱ぐな!って言われたんだよ。それぐらい臭えんだって!」


 堀込が自分の足が如何に臭いかを力説する中、西松が数回、鼻を軽くすするような音をさせた。


「何かにおわないか?」


 西松の言葉に釣られ、俺も鼻をひくつかせてみた。


「いや、とくににおいはしないぞ。堀込が足が臭い臭い言うから、錯覚でも起こしたんじゃないのか?」


「違う。本当に何かにおうんだよ。これは足のにおいとは違う気がする」


 西松がそう言いながら鼻を鳴らす。

 その刹那、俺もその臭気を感じた。


「ああ!におってきたぞ!これは何のにおいだ?」


「あっ、におってる!結構臭えけど、これは俺の足とは違う!」


 堀込も謎の臭気を感じたようだ。


「ああ。堀込の言う通りだ。

 俺は足のにおいってやつをパリスの野郎から、嫌というほど味合わされているからな。

 こいつは足のにおいじゃない。


 これは…


 これはイカのにおいだ…

 所謂、“イカ臭え”ってやつだ」

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