白ブリーフ無頼 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン4

飯野っち

第1話 ある夕食のテーブル

 ある夕食のテーブル。

 その上には大皿に盛り付けられた麻婆豆腐、その横にはこれまた大皿に盛られた七面鳥の骨付きモモ肉、三本。血の滴るようなステーキ。

 その横には彩り豊かな野菜のサラダ。鯵の開き。刺身。

 バジルの入った緑色のパスタ、ジェノベーゼってやつか?それと納豆、茶碗に盛られた白ご飯。ワカメと豆腐の味噌汁。

 三人家族にしては少々大きめのテーブルに目一杯並べられた料理、このちぐはぐな夕食は何だ。和なのか、洋なのか、中華なのか意味がわからない。


 俺の前に置かれたグラスにビールが注がれる。

 向かいに座る父が注いだのだ。


「お前も大学のサークルでビールぐらい飲むんだろ?」


 父の顔は既に紅潮している。


「俺はサークルに入っていないから、飲む機会はあまり無いよ」


 俺の一言に父は笑う。


「そうか。でも今日はめでたい日なんだから、たまには飲めよ」


 父に促されるままにグラスへ口を付ける。

 苦い。俺には酒、とくにビールの有り難みがわからない。

 その苦味が表情に出ていたのか、父が声に出して笑う。


「忠紀、社会に出れば酒を飲む機会も増える。今のうちに慣れておいた方がいい」


「忠紀、無理に飲むことないんだからね」


 父の横に座る母が口を挟んだ。


「忠紀はもう真っ赤じゃないの」


 母のその言葉を受けふと見たら、自分のシャツの胸元から覗かせる肌が朱に染まっていた。

 おまけに顔が火照っている。


「顔は私に似たが、体質はお母さん似だな」


 父の声は低音かつ、柔らかな語り口だ。


「違います。逆です」


 母はそう言った後、イタリア語で何か捲し立てている。

 母は生粋のイタリア人だ。普段からイタリア語訛りの日本語を話し、何か感情的になることがあると、イタリア語が出てくる。

 母は若い頃、ジーナ・ロロブリジーダとかいう女優に似ていたという話だ。

 若い頃の写真を見せられたことがあるのだが、まぁ似ていなくもないかという感想であった。

 現在、赤羽のジーナ何某を自称している。

 一方の父は昭和の大スター、田宮二郎と酷似している。

 そんなジーナ何某と田宮二郎との間に生まれたのが俺だ。


 父と母の言い争いが続く。

 言い争ってはいるが、仲が良いからこその馴れ合いみたいなものだ。

 なんて事のない家族の日常の風景。


「忠紀、お前はどっちだと思う?」


 母の捲し立ての最中、父が俺に話を振ってくる。

 父は若干困惑したような表情をしていても、低音かつ柔らかな語り口、絵に描いたような爽やか二枚目であることに変わりない。

 まるで昭和のホームドラマのような絵だ。


「うーん どっちだろうなぁ」


 俺は適当に受け流す。

 父も母も顔を紅潮させ出来上がった状態だ。

 


 この温い家族の団欒は何だ。

 こんな事、今まであったか?

 ありふれた日常でありながらも、今まで知らなかったこととも言える。これは何だ。

 違和感を感じる。


「忠紀は私の方だね」


 母が不意に日本語で言い放つ。


「違うよ。忠紀は私に似ている。

 忠紀、お前もそう思うだろ?」


 忠紀…、無料乗り…、ただのり…


 ただのりぃ?

 俺の中の疑問が溢れ出て急激に膨らんでいく。それは水道の蛇口に付けられた水風船の如く。

 しかし蛇口の栓をそのままにした水風船は弾け散る。


 俺は忠紀では無い。


 詩郎だ…、風間詩郎だ。

 風間詩郎こと、シロタンだ。


 ここは何だ?俺はどこにいる?

 そんな中、紅潮した父の顔を見て衝撃を受けた。

 あの烈堂ではなく、いつかの俺の記憶に沸いて出た“本当の父”の姿であった。


 意味のわからない夕食をなんとか平らげた後、団欒に背を向け、俺は自分の部屋へと戻った。


 部屋の収納の奥から木の独楽を見つけて、それを手に取り、軸を人差し指と親指で摘み、床の上で回してみる。

 床の上で独楽が回転し始めた。


 俺はこの独楽を父からもらったのであった。

 もらった日のことははっきりと覚えている。いや、思い出したのである。

 しかし、それ以降の父の記憶といえば、烈堂との記憶のみなのだ。

 そして、今ここに再び現れた田宮二郎似の父は何なのか。


 そんな中、部屋の窓の外に見知らぬ顔の男がいることに気付いた。

 不意の衝撃に思わず息が止まる。


「おっ、お前、そこで何をしている」


 俺はやっとの思いで声を絞り出す。

 夜、窓の外に謎の男が立っている恐怖に、何か武器は無いかと部屋を見回した。

 銃だ、銃は無いのか?俺は銃を持って来なかったのか?

 部屋に銃は無い。そうだ、机の引き出しにカッターナイフがあったはずだ!

 俺は急いで机へ近付き、引き出しからカッターナイフを取り出し構える。


 すると同様にして、窓の外の男もカッターナイフを構えていた。

 畜生…、これで優位に立てるはずだったのだが、こいつも武器を所持していたとは…

 どうする、父を呼ぶか。それとも携帯で警察を呼ぶか。

 携帯はベッドの上、しかも俺のベッドは窓際に配置され、さらに携帯が窓際に置いてある。これを取りに行って隙を見せたら最後、カッターナイフで切り付けられること間違い無し。

 どうする…


 窓の外の男との睨み合いが続く。

 こいつは何者だ。

 自警団か?

 違うな。俺が見た自警団の連中と言えば、カビ臭そうな冴えない顔の奴ばかりであった。

 それに対して、こいつはかなりの二枚目だ。こんな二枚目はテレビの画面か、映画のスクリーンでしかお目にかかったことがない。

 そう、こいつはかつての世界的二枚目スター、アラン・ドロンの若かりし頃と瓜二つである。

 こいつ、只者じゃないぞ。何者だ…


「お前は何者だ。自警団か?それとも…」


 と言うと、窓の外の男は口元だけ動かした。

 しかし、声は聞こえない。

 何だ、こいつは…

 俺がカッターナイフを構え直すと、窓の外の男は俺と同じ動きをした。


「お前、俺の真似をしているのか?」


 違う?もしかして…

 俺が左手で自分の頬を触ると、男も同様に自分の頬を触る。


「え?」


 その皮膚の感触は何かが違う。

 俺は自分の鼻を触る。

 違う!明らかにこれは俺の鼻ではない。高さが違う。鼻が目と目の間辺りからでは無く、眉と眉の間から高くなっている!

 自分の顔を触る。撫で回す。

 違う、違うぞ!俺の顔の堀が深くなっている。試しに鼻の穴に指を突っ込むと、鼻の穴が前よりも大きくなっていた。

 窓の向こうの男も、二枚目台無しの鼻ほじりポーズをしている。

 あいつは俺なのか?

 鼻から指を出し、そのまま唇に近付けると、窓の外のアラン・ドロンも鼻くそを食おうとしている。

 二枚目がやらなそうな恥ずかしいポーズをやってみると、窓の外の男も俺と全く同じポーズをした。


 窓の外のアラン・ドロンは俺だ。

 俺なのだ。自分の姿が窓に映っているだけなのだ…

 それでも俄かには信じられない。

 ベッドの上に転がるスマートフォンを手に取り、カメラを起動させ、そしてインカメラにする。


 スマートフォンの画面にはアラン・ドロンと瓜二つの男が映し出されていた。試しにそのまま、写真を撮り、アルバムを開くとやはりアラン・ドロン似の自撮り画像があったのだ。


 自然と笑いが込み上げてきた。


「やっとだ。


 やっと、


 俺のターンが回ってきたのだ!」


 こんなに嬉しいことはない。

 気が付いたら俺は絶世の二枚目。

 しかも、しかもだ。

 今気付いたのだが、俺は肥満体では無くなっていた。しかも前よりも視線が高い!



 それはいい、それはいいのだが、俺は大事なことを忘れていた。

 俺が俺である所以たるもの…


 俺はズボンのベルトを外し、ボタンを外し、そしてファスナーを下ろした。


 そして、ズボンを一気に膝まで下ろす。


「あった…、あったぞ…」


 笑いの次は眼から熱いものが溢れ、それは股間を包む物に溢れ落ち、シミとなる。

 視界がまるで別世界のように歪むのだが、それでも俺にははっきりと認識出来る。

 例え世界が歪んでいても、神々しいまでに煌めく純白は揺るぎない。

 純白は永遠の輝き。


 その純白は白ブリーフ…、

 白ブリーフだ。

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