明日へのナイトライド

 かくして、両者は柱と柱の間のスタート位置に着いた。ぼくはラインより内側にフロントタイヤの前端をセットし、あちらは爪先をセットする。ゴールの判定はゼロ丸のタイヤの先端、ザザ殿の身体の一部である。


 重要なスターターの役目は補佐くんに委ねられた。若きビドネス人の手から旗がすっと上がり、周囲の私語が消えた。


「位置について・・・よーい、ドン!」


 両者の出だしはスムーズだった。フライングやミステイクはない。ザザ殿がスタンディングでダッシュしながら、猛烈な加速を見せ、一気に差を広げる。一方のぼくは初速のもどかしさを覚えつつ、ペダルをがしがし踏み、徐々にスピードを上げた。


 コースの半ば、百メートルほどの地点ではまだザザ殿が先行だった。そこでようやくぼくとゼロ丸の動きが完全に一致して、リズミカルな一体感が生まれた。それから、差が徐々に狭まって、ザザ殿の背中が肩に、肩が胸にと目に入った。


 しかし、こちらが抜きかけたところで驚異の勇者はさらに再加速して、ほぼ同列に並んだ。ここでぼくの頭の中で何かがぷちっと弾けて、周囲の景色がゆっくりになり、ザザ殿の息遣いがはっきり聞こえ、ゴールが異様にはっきり近く見えた。

 

 ゴール手前の数メートル、最後の最後で動いたのは三人目だった。一瞬、ゼロ丸がぎゅんと飛び出した。それはぼくの無意識の動作だったか、目の錯覚だったか、興奮した脳の誤作動だったか、しかし、こいつが勝手に動いたようにぼくには思えた。


 ぼくとザザ殿はゴールラインを通り過ぎて、慣性で神殿の前まで進み、互いの顔を見合わせて、ジャッジの方を振り返った。


 市長さんは興奮した様子で走ってきて、ぼくの手を取り、高々と掲げた。見物客の歓声が上がった。


「速過ぎる!」


 ザザ殿はほんとど初めて本気の驚きの表情を見せた。


「そうだ! 速過ぎる!」


 ぼくはそれと同じ顔をして、自分の手と市長さんとゼロ丸をぱちぱち眺めた。


 こうして、神聖な儀式の前の戯れは終わった。一同は公園の仮設テントに引き上げて、軽食や飲み物をつまんだ。


「ぼくはあなたを見直しました。さあ、これはぼくのおごりです」


 補佐くんは尊敬の眼差しで言って、勝利の美酒をどぼどぼ注いだ。


「足がぷるぷるする」


 ぼくは椅子にへたりながら、祝杯をちびちび飲んだ。絶妙な緊張と極限の負荷のせいで腰から下がバグってしまった。ふくらはぎがやたらつるし、膝がぴくぴく震える。


 他方、ザザ殿はアスリートらしくけろっと回復して、ちやほやの渦の中に戻り、握手や雑談に悠然と応じた。やはり、こちらが本物の勇者の姿だ。


 後夜祭が始めった。お偉いさん方のありがたい話を聞き流しながら、ぼくはゼロ丸からバラしたパーツを組みなおした。ケーブル類はきれいにまとまらなかったが、標準の機能は復活した。


 黄昏の中で火が焚かれた。神官がこれを松明にともして、それをザザ殿に渡した。我らの勇者はこの聖なる炎を掲げ、一行を率いて、神殿へ行進した。


 祭壇は神殿の真ん前にあった。周辺の石灯籠のイルミネーションが幻想的だった。ザザ殿の手から聖なる炎が薪に移り、火柱が上がった。祭りの真のフィナーレだった。


 ぼくは勇者の邪魔をしないように端っこにいたが、補佐くんはいつのまにか市長の近くにいた。この若者の出世街道がふと見えた。


 激烈な運動、勝利の美酒、そして、聖火の熱気で頭がくらくらして来た。身体はいよいよ不調だった。


 ぼくとゼロ丸は皆からそっと離れて、冷たい空気を吸いに行った。


 このとき、灯篭の脇の木立に何かの物陰がちらっと見えた。リネシス? 鹿か? しかし、鹿がほんのり輝くか? そうか、あれこそが神の使いでないか? 


「リーンだ!」


 ぼくは手押しでどたどた追いかけたが、ふくらはぎのつっぱりを感じると、ゼロ丸にまたがって、最後のアシストをオンにした。

 

 木立の合間にほのかな光の獣の影が静かに行き交う。ぼくはふらふらとそれに迫るが、なかなか追いつかない。こんな霊妙な動物があるか? リーンだ、麒麟だ、神の獣だ!


 この目がその鹿のような獣の神秘的な輪郭をはっきり捉えた瞬間、ゼロ丸のフロントがすとんとすっぽ抜けて、大地の感覚が足元から完全に消えた。はたまた、風景がゆっくりになったが、霊獣のシルエットはあいまいにぼやけた。

 

 直後、物凄い衝撃が足裏から脳天までどかんと突き抜けて、ぼくは死んだ。

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