つながる世界

 リーンへの移動は一日で完了した。補佐くんは文句を言いながら、ボーンシェイカーによく耐えた。免許皆伝だ。

 

 他方、ぼくは断続的なキックバイク生活で急激にシェイプアップして、二十代なかばの体重に戻った。太ももは過去一でパンパンだ。ゼロ丸を無暗に使わないのはパーツとバッテリーの消耗を避けるためとひそかな野望のためである。


 リーン市は典型的な衛星都市だった。市街は古い城壁の中にすっぽり収まり、城外にはのどかな田園地帯が広がる。しかし、四年に一度のお祭りを控えたこの都市は首都より大混乱だ。市内の広場から城の庭まで仮設の掘っ立て小屋と幌馬車とテントがすし詰めだった。


 そして、この古都のもう一つの名物が混雑に拍車をかけた。そこにも、ここにも、あそこにも四本足の柔和な動物が悠然と我が物顔で行き交った。


「鹿だな」


 ぼくはその動物を見て言った。


「あれはこの地では『リネシス』です」

 

 補佐くんはその単語を現地訛りでつぶやいた。


「リネシス?」


「ええ、この地方では『小さなリーン』を意味します。リーン神の使いですね」


「奈良みたいだな」


 ぼくは偶然の一致に感心した。リネシスの厚かましい泰然な人懐こさは完全に春日大社の鹿でしかなかった。


 城のとなりの広大な公園が祭りの会場だった。翌週の開幕を控えて、参加者や関係者らしき人々が現場でてんやわんやだった。

 

 特筆は公園内の路面だった。フラットなタイル床のパーク、体育館みたいな木製フロアの広い東屋、完璧なきめ細かい土のトラック、砂利の回廊、石の柱廊、小ぎれいな芝生の小道などなどが我々を狂喜させた。


 ぼくらは関係者に交じって、パークでしばらく遊び惚けた。フラットな硬い地面にはソリッドホイールは最高の乗り心地だった。と、大騒ぎが度を越して、見回りがやってきたが、必殺の賄賂が一切を解決した。


「ここでブースを出せないかな?」


「聞いてみましょう」


 ぼくらは逆にその見回りを問い詰めて、運営本部の情報を聞き出した。


 リーンの祭りの委員会は城中にあった。城主は市長であり、かつ大会の委員長だった。この人がたまたまその場に居合わせて、ぼくらの話を聞いてくれた。結果、試乗会の許可があっさり下りた。お祭りの活気のせいか、連日の激務のせいか、担当各位はなにか上の空だった。


「ヤダムさん、リーン神殿にお参りしません?」


 城から宿への道すがらに補佐くんが言った。


「それは私情ではないか?」


 ぼくは意地悪を言ったが、白い目でにらまれて、その寄り道に付き合った。


 リーン神殿は城の西側の静かな森の中にあった。石作りの立派な柱廊とドームは古代のロマンを感じさせ、敷地内の大量のリネシスの群れは足元を警戒させた。


 神錆びた建物の中心に御神体があった。それはまさに『大きなリネシス』の像で、巨大な鹿の怪物のようにしか見えなかった。


「リーンですよ。ありがたい神さまです」


 補佐くんは神妙な面持ちで言った。


「御利益は?」


 ぼくはせっかちに尋ねた。


「リーンは平和と幸運の神さまです。一足で千里を走り、雲を泳ぎ、時を駆けると言われます」


 ビドネス人の博識な解説は像の前の案内板からの引用だった。


「じゃ、ぼくらも必勝を祈願して、参らせて頂きましょうか」


「え、何か出場するの?」


 補佐くんは聞きとがめた。


「ナグジェの敵をリーンで討つ。このタロッケスとゼロ丸に神速のご加護を与えたまえ」


 ぼくは鹿っぽい神の像に鹿爪らしくむにゃむにゃ言った。


「分かりました。手配しますね。で、重量級にします? 無差別級にします?」


「平和の神の名のもとにしばき合うのは不毛でないかね?」


 この平和主義者はわりに武闘派な補佐くんの意地悪な発案をとがめて、リーンの像の前の案内板を見た。もちろん、表記はビドネス語だった。


「読めますか?」


 補佐くんはビドネス語で尋ねた。


「読めるさ! ただし、理解できない。通訳してくれ」


「小さなリーンを意味する『リネシス』はこの町の象徴であり、人々から愛情と尊敬を集め、手厚く保護されます」


「ふむふむ」


「また、『リーン』という呼び名は比較的に新しい時代のもので、古い時代には『ツィリーン』や『キーリン』とも称されました」


「ふむふむ・・・キーリン?」


 ぼくはふと食いついた。


「はい、この単語は『キーリン』です。頭文字が大文字でしょう? これは直後の母音を伸ばす印です」


 補佐くんはビドネス語の基本を細かく説明した。


「キーリン?」


 ぼくはアホみたいに呟いて、神速の霊獣の古い呼称と木の像を見比べ、電撃的な霊感に打たれた。心は瞬時に千里を駆け、雲の彼方に飛んで行った。


 そう、あの山、あの道、あの茂み、何かの気配がごそっと動いて、ぼくらを異世界へダイブさせた。それはまさに『鹿のような獣』でなかったか? 


「大丈夫ですか? 目がばっきばきですよ?」


 補佐くんの声が頭にがんがん響いた。


「平和と幸運の神、時を駆ける鹿のような獣・・・キーリン?」

 

 そんなこじつけがあるか? いや、でも、山田たろすけは数時間で『タロッケス・ヤダム』になったぞ。この世界の『リーン』はかの世界の『麒麟』ではないか?


 ぼくはその神の像の前でしばし呆然とたたずんだ。

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