バイク対バイク
とうげのピークからの一望でレースの展開が瞭然となった。トップはベイン、二位はタロッケス、三番手は往路のランナーで、後続は混戦だったが、最後尾は地平の果ての二輪馬車だった。
騎馬の脱落とランナーの健闘は意外だが、勝負は自転車勢二名の一騎打ちだ。そして、復路の序盤の長い緩い一キロの下り坂が最初の難関となる。
納期と製作の都合からぼくのドライジーネとベインのチャリにはブレーキ装置がない。安全型自転車の名が廃る。そして、減速は加速よりテクニカルだ。恣意的にコントロールしないと着実に事故る。
ベインのバイクはペダル付きの固定ギアの自転車だ。ペダル、クランク、シャフトの動きがリアホイールとダイレクトに連動する。これは競輪や一輪車の車両と同じである。フリー機構なしの後輪は空回りしない。バックが出来るのもこのためだ。
当然のごとくリアホイールの回転はシャフト、クランクに連動する。結果、下り坂ではペダルは扇風機のように勝手にぶんぶん暴れ回る。乗り手はこれを脚力で抑え込んで、うまく減速しなければならない。ブレーキできなければ、重力で指数的にスピードアップする。
つまり、恐怖を乗り越え、足をペダルから外せば、最高速でぐんぐん加速できる。しかしながら、全くブレーキできない、止まれない。おまけに足元でぐるんぐる回るペダルが猛烈に邪魔で危険だ。
実際、ベインはノーブレーキのフリーフォールで少し下ったが、猛烈な加速にビビって、ばっと飛び降り、とっとっとっとつんのめった。落車寸前の危なっかしい乗り方だ。こっちがはらはらする。
他方、ドライジーネのホイールは前後共に個別で回転する。車輪は連動しない。ただの荷車、カートだ。ブレーキはまんま靴底である。乗り手は地面に踏ん張って止まる。通称ド根性ブレーキ。登りの逆の発想で慣性を適当に削らなければならない。すると、手押し小走りは非効率的になり。乗車スタイルがベターとなる。
結果的にこの下りのセクションで適切な速度をスムーズにキープできたのはタロッケスさんだった。ベインのおっかなびっくりのダウンヒルはまだぎくしゃくと不安定だった。下りの途中で順位が入れ替わった。
「社長、お先に失礼します」
ぼくは余裕の表情を装って、定番の台詞を投げかけた。ベインはむっと唸ったが、ペースを変えなかった。汗の多さや息遣いの荒さから疲労は歴然だった。固定ギアの下りは実にハードである。しかし、こちらの足の事情もそう変わらない。膝がぴくぴくする。
ぼくは社長を置き去りにして、カーブ区間に入った。途中ですれ違った後続の人々はバイクの速さに一様に驚いて、「あっ」とか「おっ」という声を上げた。良い反応だ。と、同時にこれはぼくの背後の社長兼職人兼走者を元気づけて、勇気と希望と謎のパワーをもたらした。
仏頂面の御者と馬車が最後にとことこ通りすぎた。この徹底的なマイペースはもはや名人芸だった。他方、ぼくとベインは石畳の右と左の側道に分かれて、単発的な逃げと差しを順繰りにローテーションしながら、ぜいぜいはあはあと競り合った。
ついにスタート地点のデル橋が現れた。泥仕合はここで終わり、石合戦が始まった。つまり、ダートの側道がなくなって、道が石畳だけになった。途端に木製の車輪がばたばた暴れ、背骨がぐらぐら揺れた。
しかし、ぼくらはスピードを緩めず、勝利のチャンスを感じ取って、必死のパッチで加速した。群衆のさきに広場とゴールが見えた。
まさにそのときだった。後方から何者かの足音が急激に接近した。ベインではない。彼は横並びの位置にいる。馬か? しかし、通さないぞ!
ぼくが進路を狭めて後ろをちらっと振り向いた次の瞬間、車両と車両の狭い隙間をすり抜けて、一体の人影がぐんと飛び出した。何とランナーだった! それはすごいスピードでぼくらをぶっちぎって、ゴールに駆け込んだ。
ほんの数秒後、ぼくとベインはほぼ同時に広場へなだれ込み、ふらふらよろめいて、横倒しに倒れた。疲労で言葉は出なかったが、表情で真意は伝わった。
「負けた?」
ベインの口からそんな言葉が出た。
「勝ったと思ったが・・・」
ぼくは茫然と呟いて、人だかりを眺めた。そこには完全なる勝者がいて、さわやかな笑みをこちらに見せた。
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