異世界道路事情
田舎の細道は石畳の街道に合流した。この地の初の舗装路、オンロードだ。こういう古風な石畳は仏蘭西語では『パヴェ』だ。イタリアのアッピア街道、フランスのパリ・ルーベなどは有名なパヴェである。日本では大阪の暗峠や箱根の旧街道、熊野の古道などがこれにあたる。
土の細道と石の街道の合流地点に道しるべがあった。シンプルな矢印のシンボルは分かったが、それ以外の表記はちんぷんかんぷんだった。楔形文字やヒエログリフより未知の文字に目がちかちかした。
ぼくは解読を諦めて、木陰の草むらに横たわった。すると、街道の交通量はぴったり半減した。ぼくが脱落した後にはこの長大なパヴェの通行者はたったの一台だけだった。石畳の彼方に馬車らしい物陰がのろのろ揺れた。のどかな風景に瞼がおのずと重くなった。
まもなく、とことこ音とがらがら音が聞こえた。
「蹄鉄と車輪、文明の英知ですな。でも、空気入りのゴムタイヤはどうですかね?」
ぼくは欠伸しながらゼロ丸の太いブロックタイヤをにぎにぎした。
ご存じのようにゴム製品は近代の発明だ。空気入りタイヤの創始者は十九世紀の英国の獣医師のダンロップさんだ。チャリに乗ると頭痛を起こす息子のための英国紳士の自家用品が空気入りタイヤの起源である。この由縁からママチャリのチューブの口金は『英式=ダンロップ式』の名を持つ。もっとも、本家の英国ではダンロップ式はすでにマイナーで、米式か仏式がメジャーだ。ダンロップさんの涙目が浮かぶ。
ちなみにホイールとニコイチだったダンロップさんちの空気入りチューブタイヤを独立型のアタッチメント方式にしたのがアンドレ・ジュール・ミシュランさんだった。自転車乗り及び乗り物好きはこの二人に足を向けて眠れない。
さて、なんでダンロップさんの息子はチャリで頭痛に見舞われたか? 理由はおもに車輪の硬さである。大昔のタイヤ及びホイールの外殻は木や鉄や空気なしのゴムの塊だった。そして、道路はこういうパヴェだった。硬いソリッドな車輪で石畳を走ってみよう。工事現場のドリルのような乗り心地だ。事実、十九世紀後期のフランスのミショー式自転車は俗に『ボーンシェイカー』と呼ばれる。骨ぐらぐらシステム。
同様の理由で当地の馬車は石畳の街道ではとことこしか進まない。荷馬車は駆け足できない。正味の速度は徒歩ペースである。スピードアップは事故と破損の元だ。
この荷馬車の雰囲気は質実剛健な業務用車両、運搬用の軽トラックのような風情だった。
「郵便馬車? 客車には見えないな。とにかく、ぼくは乗れんわ。絶対に酔う」
この郵便馬車らしきものが乗り物嫌いの前に通りかかった。座席の御者がこちらをちらっと見て、すぐにゼロ丸へ視線を移した。
「やあ」
ぼくはにこやかに挨拶しつつ、相手の様子をチェックした。一見、物騒な銃器の類は見当たらなかった。しかし、護身用のナイフと棍棒は平和主義者の文人には十分に威圧的だった。
ぼくは馬車から少し遅れて、シンプルな飛び道具の射程圏外約二百メートルの距離を置き、付かず離れずで追走した。
パヴェはれっきとした舗装路だ。しかし、乗り心地はよろしくない。石畳の敷石の寸法は不揃いだ。半畳くらいの大きな石、こぶし大の丸石、瓦礫みたいな平たい砕石が混在する。ところどころに剥げや陥没があるし、剥き出しの部分も少なくない。当然ごとく硬い車輪の馬車の荷台はごとごと揺れる。ふとドナドナのメロディーと歌詞が頭に流れた。
で、ここをマウンテンバイクで走るのはおもしろくない。フィーリングが単調でミニマムだ。ダイナミズムが全くない。同じ理由でオフ車のライダーやトレイルランナーは山中の丸太階段や石段を嫌う。
実際問題、ぼくはパヴェのがたがたに飽きて、路肩のダート部分に移行した。足元はややもっさりするが、乗り心地はマシになる。そして、速度は不要だ。先行車両は時速六キロの亀さんペースでしか走らない。
ところで、現地の馬車のライン取りは道路の中央よりやや左寄りだった。路面の状況でたまに右側へ膨らむが、基本的に左側をキープする。日本、英国などと同じだ。ぼくにはしっくり来る。そして、これは当地の文化に反しない。
英国や日本の左側走行は騎士や武士に由来する。大半は右利きだから、右手で武器を扱い、左手で手綱を握る。それで道の右に寄って、騎馬武者と向き合うとしよう。右手の武器のリーチが短くなる。対面の一騎打ちで不利だ。右寄りで不利を被らないのは少数派のサウスポーの剣士だけだ。結果、自然と騎馬は左寄りになる。
フランスの革命政府はこの前時代的な古臭い伝統に逆らうためにあえて右側走行を採用した。ナポレオンはそれを欧州全土に広めた。ゆえに大陸側の列強はほぼ右側通行である。
と、この俗説が真実であれば、目の前の左側走行の馬車は現役の騎士や武士の存在の暗示である。この地には騎馬武者、馬の人、ライダーが主要な通行人として現存しうる。
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