地球外の歩き方
「少し歩けばいつもの場所に出ないかなあ・・・異世界転生なんてものは非現実ですよお・・・いや、『転生』ってのは正しくない。ぼくはぼくのままだ。声がたろすけさんの声だ。結局のところ、ぼくは死ななかったし、生まれ変わらなかった。とすれば、『転生』より『転移』が妥当ではないか?」
こういうわずかな差異に拘るのは職業病だ。独り言の多さもこれに由来する。頭の中に言葉や文章は湯水のように湧き出るが、語呂やリズムやアクセントは発声でしか分からない。物書きが表現にぞんざいでどうする? 秋の日の『バイオリンの』では風情とリズムが出ない。そこはやはり上田敏先生の『ヸオロンの』が秀逸だ。まあ、周囲の気配は夏色だが。
この即興詩人は鬱蒼の草葉を分け入り、木々を抜け、がむしゃらに小一時間ほど突き進んで、ようやく山道の法面らしき地形を発見した。高台へのマウンテンバイクの押し上げは芸術家にはハードだった。
はたして、そこは道幅一メートルほどの狭路だった。こういう道は山遊び用語では『シングルトラック』と言われる。日本の里山の参道や古道はだいたいこれだ。人やチャリやオートバイは通れるが、自動車は入れない。クルマが走れるオフロードは『ダブルトラック』である。『トリプル』や『クアドラブル』はとくに数えられない。いずれにも神社仏閣、墓場に遺跡、不法投棄とゴルフ場、そして、大容量の大杉林がテンプレートのように付属する。
しかし、この付近にはあの陰鬱な杉林が全く出てこなかった。植生は自然な雑木林だった。空気はすでに真夏を思わせ、春物のジャケットの中身をべとべとに蒸らした。
「人気のハイキングコースではないね」
ぼくは路面のノイズの多さを見て言った。そう、人気のコースはこんなに荒れない。しかし、道筋は見える。完全な手つかずの野山には思えない。
「ゼロ丸くん、行けるかな?」
ぼくの問いに愛機はしずかにうなずいた。
未知の林間ライドが始まった。道幅と斜度は及第点だが、路面と視界は失格だ。倒木と落石がタイヤを阻む。枝がホイールにからから絡まる。蜘蛛の巣が顔面をねちょっと捉える。スピードが上がらない!
数分の鈍足亀さんライドの後に分かれ道が現れた。分岐のたもとに石の祠とぼろぼろの切り株のベンチがあった。このような人工物は参道の風物詩だ。つまり、文化と宗教と人類の証拠である。
ぼくは分かれ道の行き先を慎重に確かめて、明るい広い方へハンドルを向けた。
尾根伝いのゆるやかな下りがしばらく続いた。しかし、路面のノイズ、鬱蒼の枝葉、蜘蛛の巣の猛攻は一向に収まらなかった。何でこんなにピンポイントで顔面にねとねとの巣が来るの?! 人寂しい裏道や通行禁止のルートはこんな感じである。そして、立ち止まった瞬間に小さな羽虫が顔の回りをぶんぶんホバリングする。メマトイかブユだ。イライラが募る。
神経をすりへらした末に、ぼくは出口らしいところに出た。そこは草地の広場だった。一角に大きな石の廃墟があった。お供えやお賽銭の類は見あたらない。野ざらしの無骨なオブジェだ。遠い昔の忘れられた祭壇かなにかのように見える。管理人がたまに来るか、マニアックな巡礼者がごくまれに立ち寄るか、そういう穴場だろうか?
スマホがぶるぶるして、アラームが鳴った。
「十七時、午後五時、ご帰宅のお時間です。でも、わりに暗くならないね?」
アウトドア愛好家の肌感で空の気配はお昼過ぎくらいに思えた。一時から二時くらい。これは本来のタイムラインではピザランチの時間だった。
森の中で感じた異国情緒は気のせいでなかった。空の下は広大な草原だった。日本にはこんな原野はない。四国のカルスト、安蘇のカルデラ、北海道のサロベツなどが近い雰囲気を持つが、この圧倒的なスケールにはぜんぜん及ばない。
「海外かゲームみたいだな。ほんまに貸し切りですわ、プライベート原野ですわ」
ぼくはやけくそ気味につぶやいて、ペダルをしゃこしゃこ漕ぎだした。
開放的な天然のグリーンはマウンテンバイクに格好のフィールドに見える。しかしながら、草地、芝生、グラスの乗り心地はそんなに爽快ではない。草の丈やボリュームが増えると、クッション性は高くなるが、抵抗力が強くなる。結果、てきめんにタイヤがもっさり重くなる。
さいわいこの草原には田んぼのあぜ道のような細い筋があった。こちらはグラス三、ダート七くらいの適度なオフロードだ。この広大なフィールドではここをちまちま走るのが最も効率的である。
むんむんの土と草の匂いは九州のド田舎のばあちゃんの家を思い出させた。といっても、ばあちゃんのところには乗用車と軽トラックとトラクターがあったし、町内の道路は妙にきれいなアスファルトだった。日本の田舎は自動車王国である。が、ここには道路族の気配は全くない。
そんな田舎の空気に一抹の変化が現れた。生臭い匂い、獣臭さだった。遠方に数軒の建物と大きな四足の動物の群れが見えた。
「豚? 牛? 馬? 羊? とにかく家畜だ。つまり、あれを飼う人間がいる。さあ、この地のヒューマノイドはどんな姿でしょうか?」
ぼくは詩人からジャーナリストに転身して、生臭い風上にチャリを進めた。
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