規則違反
「ふーむ……」
エクセルシアは腕を組み、競技場にいるヒューデルを見つめていた。
戦争中の国の王子らしく、その実力は非常に卓越している。
特に、精巧な細剣術は、毎日鍛錬を欠かさないエクセルシアでさえ感嘆の声を漏らすほどだ。
「どう思います?」
「悪くないわね。」
これほどの実力であれば、父が推薦してきた理由も理解できる気がした。
かなりの美男子で、しかも実力も優れているのならば、エクセルシアも気に入るだろうという考えで縁談を進めたのだろう。
だが、彼女が重要視しているのは顔ではなかった。
『私を倒せるかどうか、それが問題ね。』
エクセルシアがにやりと笑うと、シャルロットは首をかしげた。
「あなた、あのヒューデル王子に勝てると思っているの?」
エクセルシアの問いに、シャルロットはヒューデルの戦う姿をじっと見つめた。
素早い動き、鋭く力強い攻撃。
それだけでなく、回避魔法で相手の攻撃をかわし、風の魔法を細剣にまとわせて敵の攻撃を弾き返す。
まるで剣と一体となったかのような自然で滑らかな動き。
「私が勝つのは不可能です。」
「まあね。あなたも鍛錬はそれなりに頑張っているけど、ヒューデル王子とはそもそも年齢差もあるし、実戦経験も少ないだろうしね。」
ヒューデル王子の年齢は知らないが、見た目にもシャルロットより年上に見える。
1歳差だとしても、彼が毎日1時間以上鍛錬している人間ならば、最低でも365時間の差がある。
特に戦争中の彼は、鍛錬ではなく実戦で磨かれた動き。鍛錬だけで成長してきたシャルロットとは大きな違いがある。
「はあっ!」
気合の入った声とともに鋭い槍の刃が緑の光をまとった。
「スピアピアス!」
冒険者の鋭い槍がヒューデルに向かって飛んでいく。
ヒューデルは微笑を浮かべ、剣を振って飛んできた槍の刃を打ち払った。
地面に突き刺さった槍が強烈な爆発を起こし、冒険者は顔を歪めながら攻撃を続ける。
まるで子どもと遊ぶ大人。
それ以上でも以下でもない状況に、冒険者は歯ぎしりする。
「コロシアムに出場したなら、ちゃんと戦えよ! なあ?!」
冒険者が距離を取りながら彼に叫ぶと、ヒューデルはくすりと笑った。
「私がちゃんと戦えば試合がすぐに終わってしまうでしょう。遠くからここまで来てくれた観客の皆さんに楽しんでもらわないと。それに……」
ヒューデルは視線を競技場の一番高い場所に向けた。
そこにはエクセルシアが座り、彼を見つめていた。
「婚約者にもっとアピールしたいですからね。」
「くそっ……!」
槍を持って再び突進する冒険者。
「ライトスピア!」
槍の刃に鋭い光がまとい、ヒューデルの顔をかすめた。
頭をわずかに傾け、ぎりぎりで避けたヒューデルだったが、光の刃が彼の顔をかすめ、頬から血が流れ落ちた。
「……」
その瞬間、ヒューデルの目が変わった。
周囲の空気の流れすら歪んだかのようで、まともに息ができなくなった。
『な、なんだ……?』
冒険者は後ずさった。
何かがおかしい。
「し、審判! 降参する、降参だ!」
「降参! ベクター選手からの降参が――」
「誰が認めた?」
イアンが競技場に上がろうとすると、ヒューデルが腕を伸ばして彼を止めた。
「え?」
「この男の降参を受け入れるかどうかは、相手である私が決める。」
「それは審判の権限――」
「私に逆らうつもりか?」
ヒューデルが顔を向け、イアンを見つめた。
完全に歪んだ表情に、イアンは後ずさる。
「わ、わかりました、王子様。」
「降参! 降参だってば!」
コツ、コツ。
ヒューデルが履いている靴のヒール音が競技場に響き渡る。
その場に座り込んだ冒険者は、近づいてくるヒューデルを見上げていた。
「た、助けて……助けてくれ……」
完全に怯えきり、逃げることすらできない冒険者。
その瞬間、ヒューデルは細剣を持ち上げ、冒険者の左胸に突き刺した。
「ふぅ……」
ヒューデルは目を閉じ、深く深呼吸をすると微笑みを浮かべた。
「すまない、少し興奮しすぎた……あ、死んでしまったのか?」
死んだ冒険者を見つめながら話すヒューデルは、その場に立ち上がり、残念そうに涙を拭う仕草をする。
「まあ、仕方ない。試合中の事故だからね。」
そう言って笑みを浮かべながらイアンを見る。
イアンは冷や汗を流しながら声を張り上げた。
「え、えー、今回の試合の勝者はヒューデル王子殿下です!」
誰一人として歓声を上げる者はいなかった。
ヒューデルは無反応な観客席に向かって手を振りながら、競技場を後にした。
警備兵たちは担架を持ってきて、冒険者の遺体を載せると、素早く退場した。
その光景を見つめていたシャルロットはごくりと唾を飲み込み、ゆっくりとエクセルシアに目を向けた。
「お姫様……」
「よくも……私の神聖な競技場を汚してくれたものね……」
これまでコロシアムを運営する中で、死亡者が出たことは一度もなかった。
しかし、今起きた殺人は戦いの最中の事故などではなく、降参を宣言した相手への明確な殺人行為だった。
彼の行動は戦士としての誇りも、コロシアムを主催した自分への礼儀も欠けている。
エクセルシアは席を立ち、前列に座っているジャルファラ国王のもとへ歩み寄った。
「父上。」
ジャルファラ国王はびくっと身を震わせ、ゆっくりと振り返った。
「な、なんだね、わが娘よ?」
「今年はヒューデル王子殿下がご参加されていますので、明日の試合で特別イベントを開催してみてはいかがでしょうか。」
「……特別イベントは決勝後に行う予定ではなかったか?」
「戦争中の国の王子様がわざわざいらしているのですから、きちんとおもてなししなければなりませんでしょう?」
彼女の棘のある言葉に、ジャルファラ国王は深いため息をついた。
「わかった、やれ。ただし、国同士の同盟を損なうようなことはやめてほしい。」
「ご心配なく、父上。ただ少し……」
エクセルシアはにやりと笑った。
「歓迎の挨拶をするだけですから。」
&&&
「今日は早く終わりすぎじゃない!」
アリアが不満そうに駄々をこねながら舌打ちすると、隣にいたニールが答えた。
「ヒューデル王子の試合を見て、他の参加者が棄権したみたいだよ。」
「まあね……」
ヒューデル王子の試合は衝撃そのものだった。
降参すると言った相手の降参を覆し、怯えた相手を殺すなんて。
たとえ試合に勝ったとしても、ヒューデル王子と対戦することになれば、同じことが起こらない保証はない。
そのため、今回のコロシアムに参加していた人たちはみな出場を辞退したようだった。
『はあ……』
正直、自分も辞退したい。
王子に負ければお姫様に会うことはできないだろうが、たとえ王子に勝ったとしても、何も得られないどころか、むしろ厄介なことになるだけだろう。
『もっと安全に血を手に入れる方法を考えるべきか?』
腕を組み、あまり働かない頭を絞ってみても、これといった案は浮かんでこない。
「じゃあ、私たちの修学旅行も早く終わっちゃうのかな?」
「たぶんそうだろうね。今回の修学旅行の目的はコロシアムの観覧だったから、早く終わったら早く帰……」
「それは絶対いや!」
アリアが足を踏み鳴らして叫んだ。
「嫌だって言っても仕方ないだろ。先生を説得しない限りは……」
「おお、それいい考え!」
ニールの言葉を聞いたアリアが前方へ駆け出し、先生に話しかけ始めた。
「アリア、本当に帰りたくないんだな。」
「学校から遊びに来たんだから、帰りたくないのはみんな同じだろう。」
自分の言葉にニールが周囲を見回す。
ほかの子たちもあまり良い顔はしていなかった。
「そうだな。」
まあ、こいつらは自分とは違って純粋に遊びに来た連中だからな……
自分は早く学校に戻りたい。
&&&
「どうした?」
夜遅くの路地裏で。
「私のこと、すごく会いたかったでしょ、エドワード~?」
「会いたいわけないだろ。俺は忙しい人間なんだ。用件があるなら簡潔に言え。」
「ひどい~」
ルアナが頬を膨らませながら足を鳴らす。
鼻で笑うと、ルアナはため息をつきながらこちらに言った。
「今回のコロシアムで棄権するつもりじゃないよね?」
「ヒューデル王子の殺人事件のせいか?」
「そうよ。あんたもまだ子どもだから~もしかして怖くなって棄権するんじゃないかって、このお姉さんが心配で様子を見に来たのよ~」
「心配する必要なんてないだろう? コロシアムで手に入れようが、他の場所で手に入れようが、結局はジャルファラ姫の血を手に入れてお前に持っていけばいいだけの話なんだから。」
ルアナが首をかしげる。
「他の場所? 他に手に入れられる場所があるの?」
「それは……」
自由時間に考えても、食事をしながら考えても、特に良い案は思い浮かばない。
可能性があるとすれば、城に侵入して姫の部屋にこっそり入り、血だけを少し採取することだが……
『そうなれば本当に指名手配犯になる……』
俺の人生が終わる。
「やっぱり無いのね?」
「お前も少しは考えてみろよ。その血が欲しいのはお前だろうが。」
「何言ってるの~? コロシアムの方法は私が考えて準備まで全部やったんだから、次はあん.た.の.番!」
俺の頬をつついてくるこいつの指を払いのけた。
「コロシアムで棄権しないほうがいいわよ。その方法が一番簡単だから~」
『今のところ、それが最善なのは確かだな……』
他に方法が思いつかない限り、このコロシアムを諦めるわけにはいかない。
ルアナがニヤリと笑みを浮かべて背を向けて歩き出す。
「じゃあ、あんたが姫様の血を必ず手に入れるって信じてるからね~!」
「ちょっと待て。」
「まあ、エドワード! 私と離れたくないのね?」
「そうじゃない。一つ聞きたいことがある。」
「聞きたいこと? なあに~?」
「バートレイヴンで何を企んでいるんだ?」
俺の言葉に笑っていたルアナが真顔になる。
「何の話かしら~? 私にはさっぱり分からないけど!」
「ちゃんと話したほうがいいんじゃないか?」
腕を掴んだ手に力を込めると、ルアナが鼻で息を深く吐いた。
「本当に何の話か分からないってば。」
「お前の指示じゃないのか? 夜ごと路地裏でチョークを使って魔法陣を描いているのを見たんだ。」
「その話、もう少し詳しく話してくれる?」
普段は見せないルアナの真剣な顔。
「最近、夜になるとカオスウェイブの連中が路地裏をうろつきながら魔法陣を描いているのを見た。お前の命令じゃないのか?」
「私が何のために? あんたが私の目的を果たしてくれるって言ったから、大人しく待ってるのに、何をするために私が連中を使って路地裏に魔法陣なんて描かせるわけ?」
「じゃあ……あいつか……」
「誰を見たの?」
「お前の仲間に弓を使う女がいるか?」
「弓を使う女の子なら……」
「昨日、カオスウェイブの連中を尋問しようとしたときに、そいつが邪魔してきたんだ。」
ルアナは腕を組んで考え込み、そして微笑んだ。
「ああ、その子ね~?」
「誰なんだ?」
「それは……秘密~」
その言葉を最後に、ルアナはすぐさま屋根の上に飛び上がった。
「じゃあね、エドワード。後でね~! 姫様の血は絶対手に入れてよ!」
「待て! 誰なのか教えていけ!」
「それじゃ、バイバイ~!」
そのまま屋根の上を走り去っていくルアナ。
せめてヒントくらい教えていけよ。
自分の聞きたいことだけ聞いて消えるなんて。
「もう二度と話すもんか。」
「さてと……」
俺は振り返り、路地裏の出口を見つめた。
「今日も調べるとするか。」
ここから少し離れた場所で、また魔法陣を描いている連中がいる。
そいつらを尋問すれば、きっと答えが見つかるはずだ。
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