ザルパラの姫
ガタガタと揺れる馬車の音が響き渡る。
大体1週間くらい経っただろうか。
3日ほど数えた後、疲れ切ってそれ以上数えなくなったので正確には分からない。
「うぅ……お尻が……」
地下鉄や、せめて自動車でもあればこんなに時間はかからなかっただろうに。
この世界では交通手段といえば馬車くらいしかないため、他の都市に行き来するのに時間がやたらとかかる。
もちろん魔法の中には瞬間移動魔法もあるが、大勢の人を移動させるには大量の魔石が必要で、費用がかなりかかるのだとか。
「うぅぅぅ……」
子供たちの表情はどうにも暗い。
貴族が乗る馬車はクッションが基本装備で、横になって多少快適に眠りながら移動できるが、この馬車は団体用のため座席は狭く、クッションもない。
こんな馬車に慣れていない人なら当然お尻が痛くなるのも無理はない。
「なんでこんな馬車で移動するんだよ……」
「いっそ学校で休んでた方がよかったかな?」
あちこちでひそひそ話が聞こえてくる。
「何日くらい経ったんだ?」
「うーん……6日と半日経ったから、もうすぐ到着するよ」
表情一つ変えずに淡々と答えるニール。
どうやら慣れているようだ。
「ニール、お前は平気そうだな?」
「うちの家はそんなにお金持ちじゃないから……馬車もこれに近いのを使ってるし」
「なるほどね……」
男爵と子爵の違いはそれほど大きくない。
確かに給料の差や領地の広さには違いがあるが、それも微々たるもので、基本的にエルハウンドでは男爵と子爵を区別する主な理由は魔法の使用可否にある。
「見えた!見えたぞ!」
学生の一人が叫ぶ。
すぐさま窓の外を覗き込むと、遠くに巨大な都市が見えてきた。
「なんだあれ……?」
川が通る巨大な都市。
草原に作られた都市らしく、開発するのに特に苦労はなかったのか、城壁がかなり広く作られており、その中には様々な建物や塔が建っている。
森の中に建てられ、地形を均すこともせずにぎっしりと詰まっているラブリンスとは対照的な巨大な都市。
あれがザルファラのバトレイヴンだ。
「楽しみだな、そう思わない?」
「だな」
本当に楽しみだ。
都市で見物するのも楽しみだし、
『ルアナ……』
あの女性が俺に何を頼んでくるのかも楽しみだ。
&&&
入口から騒がしい声が聞こえてくる。
「お前この野郎……!人にぶつかったら謝るのが当然だろうが!」
「ぶつかったのはお前だろ!お前こそ謝れ!」
一人や二人が争っているだけでなく、あちこちで同時多発的に喧嘩が起きている。
「なんでこんなに喧嘩してるんだ?」
「どうやら今回コロシアムが開催されるから、あちこちから大勢の人が集まってきたんだろうな」
ニールの話を聞くと確かに、彼らは剣や斧などの武器、鉄甲やプレート付きの革鎧などの装備を身に着けている。
「まだコロシアムも始まってないのにな……」
「威圧してるんだろうさ。『俺はこんなに荒っぽいぞ、参加するなら覚悟しろ』ってな」
馬車の窓の外を見物している俺の背中にアリアが寄りかかりながら、外を眺める。
「本当に野蛮ね」
「確かにな」
コロシアムの試合開始前からあんなに争いたいものなのか。
もちろん前世で見たTV放送のUFC(Unlimited Fighting Championship)でも試合前にお互いの顔を突き合わせて威圧することはあったが、その威圧と目の前の威圧は……レベルが違う。
『ほとんど冒険者たちだな』
道を歩いている人々の9割は冒険者のように見える。
ガタッ、ストン。
馬車が止まり、御者台に座っていたアレイラ先生が叫ぶ。
「全員馬車から降りろ!」
言葉が終わるや否や、学生たちは馬車から降り始める。
あちこちでうめき声が漏れ、何人かは外の木に向かって胃の中を吐き出し、何人かはストレッチをして座りっぱなしで凝り固まった体をほぐす。
「なんだってそんな大げさにするんだ、大げさに!まるで休まずここまで走り続けたみたいじゃないか」
「ほぼそんな感じですけどね」
3日に一度は村に立ち寄って寝てはいた。
ただ、それだけだ。
夜9時頃に村に到着して眠り、朝5時に起きて再出発するだけだったので、十分に休んだとは言い難い。
「3日に一度、ベッドで7時間も寝かせてやったなら、十分休んだと言える。貴族のお前たちが冒険者になることはないだろうが、冒険者たちは依頼の締め切りに追われて3日どころか1か月間まともなベッドで寝られないこともある。それを知っておくんだな」
「先生も言ったじゃないですか。なることはないって。それなら知る必要もないですよね」
トレイナーが肩をすくめて言う。
「はぁ、まったく……」
呆れたのか、先生は苦笑し、深いため息をついた。
「いいか、さっさと全員宿に入れ。人数を数えてチェックインするからな」
「はーい!」
学生たちは次々と宿の中に入っていく。
「サイレンス・ビジランター」
腰に差していたワンドを誰にも気づかれないようそっと取り出し、小さく呪文を唱えた。
特に問題になりそうな人間は感じられない。
『一応念のため……』
今、学校から持ってきた馬車は全部で3台。
貴族が乗る馬車である以上、犯罪者たちに狙われる可能性は非常に高い。
そのため、移動中も何度もサイレンス・ビジランターを使って周囲を確認してきたが、都市には様々な人々が集まる分、より注意を払う必要がある。
「エドワード!何してるんだ!」
「はーい!」
サイレンス・ビジランターを周囲に一通り放ったし、あとはルアナを待つだけだ。
学校に戻るまであと1週間ほど残っているから……その間にルアナの方から接触してくるだろう。
&&&
「先生。」
高い天井に吊るされたシャンデリア、入り口には各国の貴族たちが談笑するメインホールで休憩している先生方のもとにシャルロットが歩み寄った。
「どうしたの?」
ソファに腰掛け、先生たちと談笑しながら疲れを癒していたアレイラがシャルロットを見上げた。
「少し外に出てもよろしいでしょうか?」
「外に?どうして?」
「こちらに知り合いがおりまして、挨拶を交わしたいと思いまして。」
「知り合いというのは……貴族か?」
「はい。」
アレイラは顎に手を添え考え込むと、うなずいた。
「君なら問題ないだろう。いいよ、行ってきなさい。日が沈む前には戻るように。」
「ありがとうございます。」
シャルロットは先生たちに頭を下げて礼を述べると、そのまま振り返り、扉を開けて外へ出た。
&&&
人々の間をすり抜けるように歩き、シャルロットがたどり着いたのは、積み上げられた煉瓦の上に砂が塗られた城壁、その周囲を取り囲む円形の湖、一箇所だけ城門と繋がる橋がかかった、ザルパラの王城だった。
シャルロットが入り口に向かうと、兵士たちが彼女に近づいてきた。
「どなたでいらっしゃいますか?」
「公女様に、エル・ハウンドのアフロニア公爵家、アルメラ・シャルロット・デ・ヴァイントゥス・アフロニアが参りましたとお伝えください。」
「かしこまりました!」
兵士は頭を下げて礼をすると、すぐさま城内へと走っていった。どれほど時間が経っただろうか。再び戻ってきた兵士がシャルロットに道を開けた。
「どうぞお入りください。」
シャルロットはそのまま王城の中へと足を踏み入れた。
&&&
城内は華美というよりも質素だった。豪華な装飾品が飾られてはいたが、値打ちに見合わず雑然と置かれており、床に敷かれたカーペットも掃除こそ行き届いているものの、あちこちに破れた痕跡が見られる。さらに、装飾品よりも圧倒的に多くの武器や装備が掛けられたラックが、歩くたびに視界に飛び込んできた。
階段を登り、2階、3階へ。そしてたどり着いた一室。 シャルロットはその扉をノックした。
「公女様、シャルロットです。」
「入りなさい。」
中から聞こえてきた声に従い、シャルロットは扉を開けて中へと入った。室内には甘い香水の香りが漂っていた。中には、運動用と思しき巨大な鉄の器具や、剣や武器を使った訓練用のマネキンがいくつも立ち並んでいた。その一部はすでに壊れて床に散らばっており、それらを壊したと思われる槍や斧が壁に立てかけられていた。
淡い金髪、強い意志が宿る大きな瞳。シャルロットと似た背丈で、体格もそれほど大きくはないが、チューブトップだけを身にまとい、露わになった腕や腹には筋肉が刻まれている。
戦の女神がいるとすれば、こういう姿だろうかと思わせる、美しさと強さを兼ね備えた女性が振り返り、シャルロットを見つめた。
「久しぶりね、シャルロット。」
シャルロットは頭を下げた。
「はい、公女様。」
「もう、公女様なんて呼ばないで。私たちの仲でしょ?名前で呼んで。」
シャルロットは微笑みながら部屋の中に足を進めた。
「今日も訓練をされているのですね。」
「私がじっとしているのが苦手なのは知ってるでしょ?」
「だから国王陛下に何度も叱られたのですよね。」
「仕方ないでしょ?見た目は母譲りだけど、性格は父そっくりなんだから。」
女性はベッドの上に置かれていたタオルで顔の汗を拭った。シャルロットは彼女に近づきながら言った。
「伺いました。もうすぐご結婚なさるとか。」
その言葉に、汗を拭っていた女性の手が止まった。
「いや、しないわ。」
「えっ?」
女性はタオルを投げ捨て、再び鉄の器具に向かって歩き出した。
「私の性格、知ってるでしょ。」
「性格といいますと……」
女性は両手で鉄の器具を持ち上げ、肩に担ぎながらスクワットを始めた。
「私より弱い人と結婚するつもりは毛頭ない。」
その瞳が鋭さを帯びた。
「たとえ父の決定でもね。」
「では……」
10回連続でスクワットを終えた女性は鉄の器具を地面に叩きつけた。その衝撃で床が震え、天井から砂が落ちてきた。
「父に言ったの。相手の人にコロッセオに参加するようにって。参加して……」
息を切らせながらベッドに腰掛け、言葉を続けた。
「私を倒してみろって。それができたら結婚してもいいって。」
それが本当に思い通りになるのだろうか。 シャルロット自身ならおそらく不可能だ。公爵家の令嬢である彼女も父の命令には逆らえないのだから。王族である彼女ならなおさらだろう。
「国王陛下もご承諾されたのですか?」
「そんなわけないでしょ。『お前を倒せる人間なんてこの世にいるはずがない』って反対されたわよ。でも……」
女性は目を細め、窓の外を見つめた。
「私は自分の意志を曲げるつもりはないわ。たとえ一生結婚できなくても。」
シャルロットは思わず笑みを浮かべた。
「さすが公女様です。」
「私の頑固さ、知ってるでしょ?」
「ええ、よく存じ上げています。」
シャルロットは踵を返し、扉の方へと歩き出した。
「それでは私はこれで失礼します。」
「もう帰るの?一緒にご飯でも食べようよ。」
「遅くなると先生方が心配されますので。」
「先生?」
シャルロットは頷いた。
「今日は家門から直接来たわけではなく、学校の修学旅行で来ているので。」
「こんな遠くまで修学旅行で?」
「はい。」
「何のために?」
「コロッセオ見学のためです。」
「そうなの!?」
女性はその場に立ち上がり、シャルロットのもとに駆け寄り、満面の笑みで両手を掴んだ。
「じゃあ、私と一緒に見学しようよ。」
「えっ……?」
「コロッセオを見学するなら、しっかり見た方がいいでしょ?」
「ですが、私は生徒会長として生徒たちの護衛を……」
「それなら心配ないわ。兵士を送ってしっかり護衛させるから。」
シャルロットは少し悩んだ後、大きくため息をついてから微笑んだ。
「分かりました。それでは公女様にお任せします。」
「任せて!」
「では、失礼いたします。」
シャルロットが踵を返し、扉の外へと出ていくと、女性はベッドに仰向けに寝転びながら、にやりと笑った。
「今回のコロッセオは退屈しなさそうね。」
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