休みの始まり
馬車がガタガタと音を立てながら走り続ける。
一週間と三日。
ついに、あの地獄のような補習授業から解放された。
残された夏休みの期間は約3週間。
この3週間でやるべきことを全て終わらせなければならない。
『まず家に帰ったらやることは…』
両親に挨拶を済ませた後、すぐに体力鍛錬を開始。
鍛錬を終えたら森に入り、自分の魔法を使いながら、その正体を少しでも解明してみる。
その後は毎日、体力鍛錬と魔法の調査を繰り返す。
それを続ければ、自分の魔法についていくつかは明らかになるだろう。
「到着しました~」
馬車を操る御者の声が聞こえる。
顔を窓から出して見ると、村の景色が目に入る。
遠くから見た村の景色は、出発した時とはかなり様変わりしている。
広くなったのはさておき、小屋しかなかった村にレンガ造りの家がいくつか建ち、ただ囲いがあるだけだった村に、削られた丸太で作られた防壁が立てられているのが見える。
誰かにとっては短く、誰かにとっては長い半年という時間。
その間に変わった村の様子を見ていると、感慨深いものがある。
爽やかな自然の空気。
時折、牛糞のほのかな香りが鼻に入ってくるが、その匂いさえ懐かしく感じられる。
「帰ってきたぞ、アルセル!」
ついに、この世界での故郷、アルセルに到着した。
馬車に乗りアルセルに来る途中、雨が降ったり、いろいろな出来事があったが、もうこれ以上トラブルに巻き込まれることはないだろう。
「ふふん~」
遠くに見える自宅、アルセルでひときわ目立つ邸宅を眺めながら、鼻歌を口ずさんだ。
&&&
「…」
茶をすする音が部屋に響く。
頭には冷や汗が流れ、胸にはもやもやとした思いが募る。
静かな部屋の中、父と私は同じソファに座り、向かい側でお茶をすすっている人物を見つめていた。
「父さん!」
「何だ?」
「どうしてあの人がここにいるんですか?」
「夏休みに気分転換しに来るって手紙が来てたんだ。」
「手紙?」
父は腕を組んでうなずいた。
「公爵家のお嬢さんが私の領地に気分転換に来られるというのに、断るわけにはいかないだろう?」
「いや、それはそうですけど…」
学校にいたときとは違い、白い革のズボンに袖にフリルのついたブラウス、その上から青い華やかなベストを着た女性、シャルロットが茶をすすりながら私を見つめている。
『いや、ここは本当に僻地の中の僻地なのに、いったいここで何をするつもりなんだ?』
本当に、心底理解できない。
夏休みなら、夏休みらしく家でゴロゴロすればいいのに。
「少し遅かったね、エドワード。」
「ええ、補習授業があったもので。」
「補習授業?」
隣でピリッとした父の鋭い視線を感じる。
「ほら、みんなそうじゃないですか?少しでも多く勉強したくて残って勉強する…」
「そうか?」
シャルロットは飲んでいたティーカップを置いた。
「ここに来てからどのくらい経つんですか?」
「うーん…たぶん4日くらいかな。」
「4日なら…もうそろそろ帰られる頃ですね。」
「いや、夏休み中はずっとここに滞在する予定よ。」
心臓がドクンと跳ねる。
夏休み中ずっとここに滞在するということは、私が村の案内役兼護衛をしなければならないということだ。つまり…
『魔法を調査する時間がなくなる…』
それだけは絶対に避けなければならない。
「シャルロット先輩、親御さんも心配するでしょうし、そんなことしないで早く帰っ…うっ!」
帰るよう説得しようとした瞬間、父が私の口を塞ぎながら笑顔を浮かべる。
「ごゆっくりお過ごしください、シャルロット嬢。」
「こんなわがままを聞いてくださり、ありがとうございます、ヒギンス卿。」
「はは、どういたしまして。」
『誰の許可で滞在を認めるんだよ?!』
父の手を押しのけると、父は私の肩に手を置きながら笑った。
「さあ、エドワード。ここで休むのは後にして、シャルロット嬢と一緒に外へ出て、村を一周案内して差し上げたらどうだ?」
「案内って、それは人をつけて…」
「どうだ?」
笑顔を浮かべているが、目は殺気を放っている。
ここでさらに断れば、あとで二人きりになったときに散々叱られるだろう。
「わ、分かりましたよ。」
「よし、エドワード。それでは、シャルロット嬢、エドワードと一緒に出かけて風でも感じてきてください。」
「ありがとうございます。」
シャルロットが席を立ち、外へと歩いていく。
不満だらけの顔で私が外へ出ようとした瞬間、父が私の腕を掴んで言う。
「よく聞け、エドワード。」
父は真剣な表情で私を見つめる。
「必ずシャルロット嬢の心を掴むんだ。」
「は?」
「我がエステル家が子爵…いや、伯爵、侯爵へと昇格するには、シャルロット嬢が必要不可欠なのだ!」
「今、僕に政略結婚しろって言うんですか?」
「政略結婚だなんて!」
父が私の脇腹を肘でぐいぐいと突く。
「見たところ、シャルロット嬢はお前を気に入っているようだ。それに、シャルロット嬢ほどのお嬢さんなら、控えめで美しく、実力も兼ね備えた完璧な結婚相手ではないか?」
「いや、完璧とかどうとかより、僕が気に入らないと…」
「余計なことを言うな。早く行って案内してこい。」
父が私を外へ押し出す。
『父さん、話くらい最後まで聞いてくださいよ!』
「何かあったの?」
『僕に何の権限があるっていうんだ…』
父がやれと言ったらやるしかない。
もちろん、結婚のことではなく村の案内の話だ。
結婚については、父が何を言おうと譲れない。
「何でもありません。さあ、行きましょう。村をご案内しますから。」
「うん。」
私は前へ歩き出し、シャルロットを連れて村へ向かった。
まだ舗装されていない道に、数日前に降った雨のせいで地面がぬかるんでいる。
「安いよ!安い!」
「大根3本でたったの100コッパー!」
「玉ねぎ1袋50コッパーです!」
『かなり変わったな。』
幼い頃は何もなかった村の中心地。 学校に入学するために旅立つ頃には鐘楼が建設中だったが、今ではすっかり完成しており、周囲には商人たちが店を開いている。
「ここが市場?」
「ええ、そんな感じですね。」
「そんな感じって?君も知らないの?」
「そりゃあ、この村は今発展している途中ですからね。僕が学校に行くために出発しようとしていた頃、この鐘楼が建設中だったんです。」
シャルロットは顔を上げ、高くそびえる鐘楼を見上げた。
「じゃあ、エドワードも村のことをよく知らないんだ?」
後ろを歩いていたシャルロットが前に出て、私を見つめる。
「じゃあ、一緒に調べよう。アーセルについて。」
耳の横まで垂れ下がった髪を後ろにかき上げるシャルロット。 日本だったら、あの姿に多くの男性が一目惚れしていただろう。
キム・ジョンウンを倒すための訓練ばかりしていて、女性に対する知識がまるでない私ですらだ。
「でも案内するくらいはできるので、あまり心配しないでください。」
顔が熱くなるのを感じた私は、すぐに視線をそらした。 やはり名高いアフロニア公爵家。 私の平凡な人生では縁遠い存在だ。
ギィッ。
月が浮かぶ夜明け、ゴブリンが尖った耳をピンと立て、周囲を見回している。 そして棍棒を振り上げ、緊張した表情で何かを見つめる。
サク、サク。
草を踏む音を立てながら、一歩、また一歩とゴブリンの方に近づく一人の人影。 ゴブリンの視界に現れたその人物に、ゴブリンが棍棒を振り上げて突進する。
「ケギャッ!」
ゴブリンは高くジャンプし、相手に棍棒を振り下ろすが――
ガシッ。
その手を伸ばした相手に首を掴まれる。 そして、その人物が力を込めると、ゴブリンの首が潰され、目が白目を剥き、絶命する。
赤いローブに巨体を持つ男。 深く被ったローブのフードの下から、皺の寄った目と飛び出た歯が覗いている。
「ふむ……」
手に付いたゴブリンの青い血を軽く払うと、彼は周囲を見回した。
『確かこの辺りだが……』
男は死んだゴブリンの頭を踏み潰して肉塊にすると、前方へゆっくりと歩き出した。 どれくらい歩いただろうか。 森が途切れ、彼の目の前に一つの村が現れる。 ちょうど開発が進んでいる最中の村だ。
「ここか。」
彼の前に散らばる赤いローブの仲間たち。 男は村をじっと見つめ、不気味に笑った。
「さあ、探してみるとするか……」
村の外れの森で、私は一人でいる。 今日のこの自由な時間を手に入れるために、昨日はひたすら村を案内して回った。 そのおかげで今、シャルロットは屋敷の中の一番良い客室で横になっている。
手をぎゅっと握る。 マホガニー製の杖の柔らかな握り心地が手に馴染む。
村は変わったが、この森は変わらない。 いつものように人のいない静かな森。 さえずる鳥たちと、遠くで聞こえる小川のせせらぎ。 なんとも言えない気持ち良さを感じる。
深く息を吸い込む。 都市で蓄積された毒素が抜けていくような気がする。
「さて、やってみるか……」
私は杖を握りしめた。 そして目の前の木を睨みつけ、呪文を唱えた。
「ファイアーボール!」
目の前に陽炎が立ち上り、それと同時に魔法が――
『魔法が……』
発動しない。 発動しないどころか、魔法を使うときに感じる杖の振動すら感じられない。 何かがおかしいと思い、杖を見つめた。
「あ……」
以前、教会の地下で戦ったときにひびが入っていた杖。 どうやらひびが原因でマナが正常に伝わらず、魔法が発動しないようだ。
「こんなことなら都市で杖を買っておくべきだった!」
頭を抱えて叫んでみるが、よく考えると杖を買うお金がなかったので、知っていても買えなかっただろう。 結局、頭を抱えるのをやめ、後頭部を掻いた。
「それならどうすれば……」
とりあえず村で杖を探すしかなさそうだ。 しかし、もし村に汎用型の杖しかなかった場合、私はこの休暇中に何もできず、家で休む羽目になるだろう。 いや、それどころか新しい杖を手に入れるまで魔法が使えなくなる。
『それだけは絶対に避けなければ……』
1学期中ずっと、魔法を調査するためにこの休暇を待ち望んでいたのだ。 たった一本の杖のせいで、この貴重な時間を無駄にするわけにはいかない。
『どうかありますように……』
村には商人がかなりいたので、このマホガニー製の杖と同等の杖を売っている人がきっといるはずだ。
『いてくれよ……』
お願いだ!
賑わう村。 多くの商人たちが呼び込みをする市場で、私は周囲を見回しながら杖を売っている商人を探している。
『なんでないんだ……』
少ない商人たちが持っている杖をすべて調べた。 だが、どれも学校の杖と同程度のものばかりで、マホガニー製の杖と同等のものは見当たらない。 いっそ良い杖を売っている店でもあればすぐに飛び込むのに、杖を売っている場所自体が見つからない。 やはり田舎の村だ。
『冒険者たちすら来ないから、そんなものを売る理由がないんだろうな。』
頭を掻きながら周囲を見回していると、一軒の店が目に入った。
『ウィスピア雑貨店……』
以前、ニールに相棒として紹介されたマーガレット・ウィスパーの家門であるウィスパー家が経営する商会の店だ。 ウィスピア商会はエルハウンドでもかなり大きな商会。 雑貨店なら杖の一つや二つくらい置いているのではないだろうか。
『ダメ元で行ってみるか……』
私はウィスピア雑貨店に向かい、扉を開けた。
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