第12話
「――はぁ、明日も仕事なのに」
「いいじゃないですかぁ。最寄り駅で飲んでるわけですしぃ」
昨日に続いてどうしてこうなるのか。俺はてっきりその辺のファミレスにでも行くだろうと踏んでいたが、冬子さんが見かけによらず『酒が欲しい』なんて抜かすから全国チェーンの居酒屋『鶏平民』にやって来た。満席であることを願ったが、ちょうどピークアウトのタイミングですんなり案内された。
1、2杯の付き合いならまだ良いが、冬子さんは『2時間飲み放題』を人数分注文。俺たちが反論する余地を与えず、その強引さには妹の初夏も呆れていた。
飲み放題になってしまったら飲まなきゃ損。俺としても2日連続の飲み会ということを忘れていつも通りアルコールを摂取した。
で、タブレットから飲み放題のラストオーダーを知らせる音が鳴る。つまり、あっという間に90分が経過したということだ。
この間に色々なことを聞いた。佐富士冬子は初夏の3つ上の34歳。まさかの俺より年上という衝撃を受けた。そして初夏も俺の1つ上。まさかの一番年下という構図ができあがっていた。
それを知った冬子さんは、一気に砕けた感じに話しかけてくるようになった。俺としても改まれるより接しやすいけど、俺が道案内してあげたこと、もう忘れてるだろうな。それぐらい快活で、ノリの良い人であった。
「うーん……やば、一気に眠気来た……」
「本当に学ばないね。お姉ちゃんって」
「うるさいー。初夏には関係ない……」
「気持ち悪くない? トイレ行く?」
「ううん平気……眠いだけ……」
なんて言いながらテーブルに突っ伏せる。確かに見た目に反して良いペースで飲んでいたからなぁ。
「お水もらいますね」
「本当にごめんなさい」
対照的に、初夏はペースを抑えて冬子さんの様子をうかがっていた。話してみると、この二人の仲の良さが垣間見える。突っ走る姉と冷静に物事を見極める妹。定期的に会っているらしく、今日も定例会と称して会いに来たらしい。
「良いですって。気持ち悪くなったりしてないですかね」
「多分大丈夫です。店出るころにはケロッと起き上がると思うので」
「そうですか。なら良いけど」
初夏は彼女の背中をさすっている。今日上京してきたということは、少なからず移動疲れもあるだろう。心理的にも疲労があっただろうし、色々と運悪く重なってしまったな。
冬子さんが眠ったことで、自然と俺と初夏の二人きりの空間になった。
この90分で色々話したが、そのどれもが当たり障りのない話だけ。俺の仕事だったり、冬子さんの仕事、そしてこれまでのこと。初夏に関することは、一つも話題に挙がらなかった。まあ、冬子さんが喋りすぎたという側面もあるんだろうけど。
わずかに残っている梅酒のソーダ割りを飲み干すと、初夏の視線が突き刺さった。
「……こんなこと、本当にあるんですね」
「まあ……そうっすね」
お互いにそれ以上、何も言いようがなかった。俺としても狙ったわけではない。偶然にも初夏を2回助け、今日道案内した女性が初夏の姉だった、なんて奇跡という言葉で片付けるのも
「あの……」
ずっと聞きたかったことがある。それは冬子さんが居ないこのタイミングでしか聞けないこと。俺が彼女と出会った日の出来事。
どうして、あんなことをしようとしたのか。もっと手段はあったはずなのに、どうしてあの場所で動いたのか。本当は――助けて欲しかったのではないか。無意識に湧き出る言葉たちを、素直にぶつけたかった。
「くじいた足は大したことありませんでした」
「あ、そ、それは良かったです」
先手を打つように彼女が口を開いた。確かにそっちも気になっていたが、それではない。でも彼女の口ぶりは、俺が言葉にしようとしていたことを察したような雰囲気があった。こういう時、何の前触れもなくハッキリと聞くことができる桜野のすごさを実感する。だから営業成績も抜群なんだろうな。
「先週のことなんですけど」
俺は桜野のようにはなれなかった。妙に言葉を選んでしまって、初夏に誤魔化しの余地を与えてしまうと分かっていながら。
「……何のことですか? 覚えていないです」
案の定、俺の予想通りだった。だけど今の話の流れで、それは中々強気だろう。
初夏は俺と目を合わせようとしない。本当に姉とは正反対で、口数も少ないし慎重に言葉を選んでいる感じがある。相手が俺だからかもしれないけど。
ジョッキに入った人数分の水が運ばれてきた。でもそれを配膳するような気にはなれなくて。取り皿に残った冷めた焼き鳥が
「僕の行動が間違っていたとは思いません」
視線を上げると、彼女と目が合った。あの時と同じような目をしていたから、無意識に出た言葉だった。色々と切り出し方は考えていたのに。
「そうよね。あなたには関係のない話だもの」
冷たい。さっきまで冬子さんに見せていた顔は影を潜めて、無機質で心が凍ってしまいそうな声が響く。店内に流れるBGMがうるさいのが唯一の救いか。
「関係はないです。どうあがいても、この先も」
「ならこの話は終わり」
「ただ無責任に助けてしまったと、思っているのも事実です」
正直な感情だった。彼女が死のうが生きようが、俺には関係のない話。ただ少なからず本気で『死んでしまう気』だった初夏を助けて、彼女の人生設計を狂わせたのも確かだった。
初夏の表情が少し変わる。俺の発言に驚いている様子だ。
「でも謝りません。プロポーズ失敗してものうのうと生きてるヤツだっているわけですし」
「それはあなたの考え方。私は違う」
「でも結果的に、いまあなたは生きている。お姉さんにも会えたし、なぜかこうして俺と飲んでいる。人生わけ分からなくて楽しいと思いませんか?」
彼女は口をギュッと結んで、まるで喉から出かけた言葉を閉じ込めているようにも見えた。苦しい胸中を覗き込んでいるみたいで、少しだけ気が引ける。
水が入ったジョッキを配膳すると、初夏は落ち着きを取り戻すように口を付けた。
「楽しいとか、そういうのは、もうどうでも良い」
「俺は楽しかったですよ。まあ、どうなるか不安でもありましたけど」
「……姉は昔から誰とでも仲良く出来る人だから」
「別に冬子さんだけじゃないですって。佐富士さんだって、こうして普通にお話してるじゃないですか」
まあ、かなり淡々とだけど。でも受け答え自体は丁寧だと思うし、全然コミュ障とかではないと思う。ただ言葉を選んでいる慎重さが相手にも伝わるから、相手が緊張しちゃう場合もありそうだ。
「今日の二人を見て、仲良いなって思いましたよ。俺、一人っ子だから昔はきょうだいに憧れてたんですけどね」
「そう、ですか」
別に返答を求めていたわけじゃないけど、想像以上に素っ気ないものだった。どのみちこの会話はこれ以上広がらないと思うし、そろそろ冬子さんを起こした方が良いだろう。
俺の視線から察したのだろう。初夏が彼女の背中をさすりながら声を掛けると、ケロッとした表情で起き上がった。思っていたよりも正気を保っていて『ご馳走するからお金はいらない』なんて言っている。正直悪いと思ったが、かなりの圧に従わざるを得なかった。結局そのまま冬子が会計を済ませ、店を出た。
「あ、ごめんお手洗い行ってくる。ちょっと待ってて」
「えーっ。もう店出る前に行っておきなよ」
「ごめんごめん。すぐ戻るからー!」
そう言いながら、冬子は再び店内に姿を消す。今度は物理的に初夏と二人きりになったわけだが、空気感はまあ微妙なまま。
暖かい店内とは違って、クリスマスイブの冷気は容赦なく俺たちの体を冷やす。でも火照った体には心地の良いものだった。
「春日さん」
初夏が俺の名前を呼んだ。多分初めてか。彼女と会うときはいつも酔っているからよく覚えていない。彼女の方を見ると、真っ直ぐな瞳をしていた。
「はい?」
「先ほどおっしゃいましたよね。『無責任に助けてしまった』と」
「ええ、言いました」
「私は、無責任な人が嫌いなんです」
え、唐突に悪口? いやあ傷つくって……。
そりゃあ言ったよ? でもそれは言葉の綾というか、本心であり本心じゃない言葉じゃないか。助けてあげたとは言わないけどさ、なんとか踏みとどまらせたんだからもう少しこう……ねえ?
「だから、私とトモダチになってください」
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