ろくよん! ~新米自衛官 榊幸太郎の異世界戦争録~

大島ぼす

第1話 勇者召喚

 2000年代初頭 日本 埼玉県 陸上自衛隊某駐屯地にて


 まだ六月だというのに酷く暑い。いや熱いのだ。燦燦さんさんと輝く太陽のせいで、俺の体は生まれてこの方、経験したことのないような灼熱を味わっていた。ガコガコと、頭に被った鉄帽が不愉快な音をたて、その重さで俺を苦しめた。


 汗がとめどなく流れ、目に入ってしまうが、俺は拭うこともできなかった。腕はもう疲労で限界に達し、顔まで上げる力が無い。手に持った小銃が心の底から憎たらしく、その場に捨ててやろうかと幾度も考えた。だがそんなことはできるはずもない。


「サカキィ! どうした! 同期に置いて行かれてるぞ! これが実戦なら、てめぇのせいで部隊は全滅だぁ!」


 何しろ、先ほどからずっと副班長の小野三曹さんそうがべったりと俺のそばで伴走しているのだ。俺の耳元でひたすら罵声を浴びせ――いや叱咤激励してくれている。こんな状況で小銃を地面に叩き付けようものなら、反省どころでは済まない。殺されてしまう。


 汗のせいで目が酷くしみる。同期たちは遥か彼方を走っているように見えた。実際にはそこまで距離が離れているわけではないだろうが、気持ち的にだ。この距離は永遠に縮まらないような気がした。そう思った瞬間、目の前が揺らぎ始めた。


 ……悔しい。どうして自分はこんなにもダメなのか。最後までこの調子で置いて行かれるのだろうか。このまま最後の訓練を終え、卑屈な態度で同期たちと接しなければならないのだろうか。俺の心は絶望感に包まれつつあったが、頭を振って気合を入れなおした。


 いや! ダメだ! こんなところで終わってはダメだ! 力をふり絞れ幸太郎! お前はこんなところで終わる男じゃない!


 そう自分自身を叱咤し、とっくに空っぽになっている体力を気力でカバーして走る速度を上げた。


「そうだ、榊! その調子でみんなに追いつけ! ……おいお前ら! 同期を置いていくのか! 回れぇ進めぇ!」


 副班長が遠くにいた同期たちに号令を掛けると、皆、隊列を反転して俺の方に向かい始めた。


 そうだ! 最後の力をふり絞れ幸太郎! お前は自衛官だろうが! 国民を守るのがお前の任務つとめだ! 仲間が待っている! くじけるな! 戦え! 戦うんだ! 最後まで――


 そう、意気込んでいる最中、ふっと足元の地面が消えたような気がした。グルンと視界が逆さまになり、先ほどまで感じていた暑さが消えた。むしろ涼しい、いや寒いのだ。


「榊! しっかりしろ! 気をしっかり持て!」

「「「榊二士にし! 榊二士にし!」」」


 ビチャビチャと俺の体に何かが掛けられた感触があったが、いつの間にか目の前が真っ暗になっていた。小野三曹と同期たちが俺を呼んでいるようだが、応えようにも声が出ない。口の感覚すらない。


 やがて声も聞こえなくなった。暗黒の中、ただ何も感じることはなく、まるで母のお腹の中にいるようだとふと思ったが、それが最後の思考となった。


 ●


 気が付くと、俺は天井を見上げていた。……知らない天井だ。営内の居室では無さそうだ。駐屯地の医務室だろうか? それにしては変だ。天井に蛍光灯すらなく、妙に薄暗い。背中の感触もごつごつしていて、床に直接寝ているかのようだ。


「成功じゃ! 若い男ですぞ!」

「勇者が降臨した! これで戦局を挽回できる!」

「衰弱しているようです。早く保護を!」


 何やら騒がしい。俺は声のする方向を見た。顔は既に動かせるようだ。視線の先には……何というか一言では表せない集団がいた。西洋甲冑を着た男だったり、魔法使いが着るようなローブを纏ったジジイ、極めつけはドレスを着た女性……。


 少し前にヒットした映画、キング・オブ・ザ・リングを思い起こす連中だ。テレビゲームのキャラクターの様で現実感が無い。


「混乱して暴れるかもしれませんぞ。ひとまず睡眠魔法を」


 そうローブの男が言うと、口元で何かを唱え、俺の意識は再び闇へ沈んだ。


 ●


 俺が再び意識を取り戻すと、やはり見たこともない天井が視界に映った。今度はベッドに寝ているようで、フカフカした心地よい感触だ。居室のベッドなど比べ物にならない。俺は体を起こして、周囲を見回した。俺は短くスポーツ刈りにした頭を掻きながら困惑した。


「……どうなってるんだ、これは……」


 俺のいる部屋はひどく年代がかっているというか、映画やドラマに出てくる西洋風の部屋だった。床はモザイクタイルというのだろうか? 石材で出来ているようだ。


 他にも今時見ないような、大きな銀色の水差しや壺、カフェにあるような丸テーブル等の家具が置かれている。いつの間にか着てる服も有名RPGの布の服のようだった。それにしても一体何故こんなところに?


「落ち着け、幸太郎こうたろう。これまでの事を思い出してみろ」


 俺は思わず独り言を言いながら、これまでのことを思い出してみた。まず俺は二十歳の自衛官だ。自衛官といってもなりたてだ。今年の四月に入隊し、新隊員教育の真っ最中だった。


 俺は大学受験に失敗し、浪人だったのだが、既に二浪しており、流石に三浪は出来ないと大学を諦め、陸上自衛隊に入隊したのだ。国防に強い関心があったわけではなく、折からの不況で浪人生が今から就職するのは難しいように思えたからだ。それに親にも金銭的に苦労を掛けた。自衛隊に入隊すれば、すぐに親から独立して駐屯地の中で暮らすことになり、家計も楽になるだろうと考えたのだ。


 幹部候補生の試験を受けることも検討したのだが、俺は体力が無く、厳しい幹部教育に耐えられるのか不安だった。ひとまず、街の掲示板に張られた自衛官募集のポスターに書かれていた電話番号に連絡すると、すぐに家に担当者がやってきた。


 来ているのは普通のスーツだったが、屈強ないかにも自衛官という男だった。話を聞くと、任期制隊員なら色々な人間がいるから、初めは体力が無くても大丈夫だよ、と優しく教えてくれた。その後、恐ろしく簡単な試験を受け、無事入隊できたのだ。


 そして教育も大詰めを迎え、最終訓練として駐屯地内を武装して走っていたのだが……


 そうだ! 俺は皆から遅れて……走っている最中に倒れてしまったのだろうか? ではやはりここは駐屯地なのか……或いは自衛隊病院にでも運ばれたのか……それにしては部屋が異常だ……俺はうんうん唸りながら考えた。


「そうか! どきっとカメラだな!」


 俺は思わず叫んでしまった。これはあれだ、よくあるテレビのサプライズ的なものに違いない。海外の番組で、寝ている間に場所を移し、ゾンビパニックになった社会だと思わせるサプライズを見たことがあるのだ。それ以外に説明の仕様がない。


「くそ! 防衛庁め! テレビ局と手を組んでこんな下らない仕掛けにいくら掛けたんだ! 国民の血税を何だと思ってる!」


 俺は義憤に駆られながら、カメラを探し始めた。天井やベッドの下。色々見て回ったが何も見つからなかった。それでも諦めずにあちらこちらを家探ししていると、不意にドアが開いた。


 開いたドアから入ってきたのは、ドレスを着た女性だった。ドレスと言っても、ウェディングドレスのようなものでは無く、ギリシャ若しくはローマ風と言っていいのだろうか? 白一色のワンピースドレスだ。


 両腕に黄金の腕輪を嵌め、サンダル風の履物を履いている。サンダルと言っても銀色に輝いているので、これも豪勢な物だ。便所サンダルとは訳が違う。


 女性は薄桃色のロングヘア―で、美人と言っていい顔立ちだが、不思議と欧米人の雰囲気は無く、かと言って日本人とも感じない独特の印象を俺に与えた。とにかく、突然の美女の出現に俺は固まってしまった。床に這いつくばったままでだ。そんな格好の俺に、美女は話しかけてきた。


「お目覚めですか勇者様。……お元気そうで何よりです」

「ゆ、勇者? ……俺、いや私のことですか?」

「ええ。とにかく、事情を説明しますので、私に付いてきてください。……失礼しました。私はユリアナと申します。ご不安でしょうが、今しばらくご辛抱ください」

「は、はあ……」


 そう語ると、彼女は俺を先導しはじめた。俺はこれがサプライズの類だと思っていたが、とにかく立ち上がり彼女に付いて行った。勇者などテレビゲームでしか聞かない単語を大真面目に言う彼女に、文句をつける勇気は俺には無かった。そういう意味では俺は勇者とは言えない。何かの間違いというか壮大な仕掛けとしか思えなかった。


 現実感など一切感じぬまま、俺は石畳の廊下を彼女の後ろについて歩いた。



【用語解説】


 反省:懲罰として腕立て伏せ等を行う事。

 鉄帽:軍用ヘルメットのこと。愛称として、テッパチとも呼ばれる。

 小銃:自衛隊で使用される軍用ライフルのこと。

 副班長:教育班に配置される助教(教官)のこと。通常は班長(三曹)と班付き(士長しちょう)の構成だが、三曹が班付きのポジションにつく場合、副班長と呼称する。

 営内:駐屯地内の隊員が暮らす居住区域のこと。

 防衛庁:現防衛省の前身組織。

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