第5話 不倫関係

 小川三次は、白湯小百合が自信有りげに「絶対トリックがある」と断言し、他殺説を主張するので心穏やかではなかった。

 警察も一時は早瀬明の死を自殺と断定し捜査を打ち切ろうとしていたのだが、愛人だった村雨みどりには別に男がいることがわかって、その男も視野に入れ捜査を続けているようだった。

その捜査がどこまで進んでいるのか、白湯に教えたかったが警察からその細かい情報はもらえなかった。

 三次は平職員だが学生時代に取得したネットワークに関わる幾つかの国家資格のお陰で、院内の医療システム、給与システムのほか業務や承認などのシステムの責任者に任命されていた。

もちろん、保守契約を締結している専門業者がシステムのトラブル対応のほか定期的にメンテナンスをしているので、三次が行うべき作業は日常的な各種管理簿の加除修正と見回り程度なのだが、何をやっていても「システムの保守をしてます」などと言うと、上司は詳細を聞きもせずスルーしてくれる。

なので、一ノ瀬刑事に見せてもらった自殺現場の写真と説明資料を日中堂々と目を通すことができるのだ。


 警察は死亡推定時刻を、当初遺体解剖所見から二十一時から二十三時としたが、二十二時十五分に死亡した早瀬明から妻の陽子に、二十二時半には愛人の村雨みどりに夫々電話を入れている、それにより二十二時半から二十三時としたのだった。

遺体は二枚の閉じたドアの奥にあったところを発見されている。

「白湯はああ言ったが……、しかしなぁ、この密室にトリックがあるとは思えないけどな……白湯は本当にわかるんだろうか?」三次にはそれを想像できなかった。


 二日後、白湯から「陽子さんが今夜七時に塚本と会う」と連絡がきた。


 三次は白湯とファミレスで、塚本と背中合わせになるように位置取りして録音準備をし、待った。

やや遅れて来た塚本は三次らにはまったく気付く様子もなく、ニタニタしながら陽子さんと対座した。

塚本だけが楽しんでいるような雑談が続いた後、コーヒーを啜り、「これから先、みなみちゃんをひとりで育てるのは大変だろう?」

塚本が本題に入ったようだった。

受け答えが進んで、「俺は、仲人だからまったく縁が無いという訳でもない、でな、どうだ、俺が面倒見てやっても良いんだが……」と、塚本が言った。

「えっ、……」陽子さんが息を呑む様子が手に取るようにわかった。

「まぁ、今すぐ良い悪いを聞こうとは思わないが、俺も管理職でそこそこの収入はある。うちの夫婦には子供がいなくてな、なんなら将来養子に迎えても良いとさえ思ってるんだ」

塚本は自分の話に酔っているのか、耳を赤くして押しつけがましく言った。

「奥さんがいるのに、……私に愛人になれと言うんですか」寸秒の間も空けず陽子さんは刺々しく言った。

「まぁそう言う事になる」塚本はまだ自信有りげに続ける。

「お断りします。子供と二人でやっていきます。まして愛人だなんて……私をバカにしないで下さい!」陽子さんの声が怒りに震えている。

「まぁまぁ、急に言ったから驚いたかもしれんが、じっくり考えての事なんだ。あんたも考えて見てくれ」

「何と言われても、お断りします。もう、二度とこの話はしないで下さい。それと、家にももう来ないで下さい!」

陽子さんが勢いよく立ち上がってぷいと店を出ていってしまった。

「おい、出よう」三次は白湯に声を掛け陽子さんを追った。


 陽子さんの家にお邪魔すると、陽子さんはかなりいきり立っていて収まりがつかないのか涙まで見せていた。

「ごめんなさいね。あんな事言われると思わなかったもんだから、つい、かっときちゃって……」

涙を拭ってお茶を淹れてくれた。その手はいまだ微かに震えている。

「わかります。旦那さんを無くしたばかりなのに、愛人になれなんて非常識も甚だしいわよ」

白湯も爆発寸前と言った感じの喋りをする。

「家に居る時はチェーンを掛けて、塚本がいつ来てもドアを開けないで追い返した方が良いね」

三次も無神経な塚本に腹を立て、同時に陽子さんの身を心配して言った。

「えぇ、そうするわ。今日はいてくれたから思い切って言えたのよ、二人ともありがとう」

陽子さんも椅子に掛けてお茶を啜る。

「そんな、お礼なんて、……私、困ったことあったらいつでも飛んできます。みなみちゃんとも約束してますから」

三次は何も付け加えなかったが白湯と同じことを言いたかった。

――白湯もできれば、<私>でなく<私ら>と言って欲しかった……


 その後、白湯が言い出して、亡くなった先輩の部屋を見せてもらうことになった。

白湯は、家の鍵が引き出しの中のノートの上に乗っていたことを再確認して頻りに頷く。

部屋のドアのところではドアを開け閉めしたり、屈んでドアの閉まる位置や段差を見ているようだった。

「何か、わかったのか?」三次が声をかけると、「うん、まぁ、だいたい……」自信有りげだ。

「……陽子さん、次の日曜日にお邪魔しても良いでしょうか?」白湯が言った。

ちょっと首を傾げたが「えぇ、良いわよ。みなみも喜ぶわ」と、陽子さん。

「何よ、何しようってんだ?」三次は意味がわからず訊いた。

「小川さんの親友の刑事さんなんて言ったかしら?」

「一ノ瀬だけど」

「そうそう、その一ノ瀬刑事に連絡して一緒に来て欲しいのよ」

「えっ、じゃ、密室のトリックがわかったってことか?」

「へへっ、それは来てのお楽しみ。じゃ、陽子さん、日曜日の十時頃良いですか?」

「えぇ、小百合さんって可愛いお嬢さんかと思ってたら、名探偵なのかしら?」

陽子さんの顔に微笑みが浮かんだ。事件以来初めて見た優しさの溢れる笑顔だった。



「じゃ、説明します」

白湯は陽子さんの家に集まったみんなが見えるようにドア鍵とテグス糸を掲げる。

「先ず、この鍵穴にテグス糸を通したら、鍵は外に置いておきます」

次に白湯は糸の先端をかざして、

「この先端を玄関ドアの郵便受けの隙間から室内に入れます。そうして、糸をご主人の部屋へ、そのドアには製氷機の氷を挟みます。そうするとドアは氷が融けるまで閉まりません」

白湯は実際に氷を挟んで三次らに見せる。

「おぉ、なるほど」一ノ瀬が大袈裟に驚く。

白湯はそのまま糸を引き出しのノートの下を通して折り返し、戻って玄関ドアの郵便受けを通して反対の糸の先端と結んで輪にする。

「この様に輪にしたら、鍵の後ろにテグス糸で団子を作ります」

そう言って、鍵と結び目の間をぐるぐると巻いて縛り団子を作って、鍵本体の穴が通らないことを示した。

「こうすることで鍵がノートにつかえ、さらに後ろのテグス糸の団子に挟まれて動けなくなります」

白湯は自慢気に言って、「では、鍵を送ってみます」

全員が外へ出てドアを閉め、実際に鍵とテグス糸の団子を郵便受けから中へ入れ、反対側のテグス糸を引くと鍵は白湯の予言通り部屋の中を進んでゆく。

……そして、何かに引っ掛かった。

「引っ掛かったので、今度はテグス糸を切って逆回転させます」

そう言いながら糸を切って、鍵を通した方の糸を引くとスッとテグス糸が引き抜かれる。

「どうなってるか見に行きましょう」

白湯を先頭に引き出しを覗き込むと、「おぉ、鍵が中に入ってる」一ノ瀬が感動の雄叫びを上げた。

「白湯、見事だな。良くここまで思いついたな」三次も思わず褒める。

「それじゃ、主人は、殺害されたってこと?」陽子さんは戸惑ったような声を上げた。

「お姉ちゃんすごーい」みなみちゃんは大喜びだ。

「それから、……」一ノ瀬がそう言って故人がスマホに残したという遺書の写真を見せて、

「最後に、『さようなら』と書いてるだろう。でも、ほかの手紙やスマホの文章には『さよなら』と『う』は書いたりしていないんだよ。だからなんか変だなと思ってはいたんだ……やはり、これ犯人の偽装ってことだな」

「それで、一ノ瀬刑事、床の濡れたとこの成分って分析したのかな?」白湯が訊いた。

「いや、してないけど、どうして?」

「冷蔵庫にミネラルウォーターがあるから、睡眠薬もそれをコップに入れたんじゃないかと、でも、氷は恐らく水道水、……」と、白湯。

「そっか、その両方の成分がでたら、氷が使われた可能性があるという訳だ。なら、今も製氷機の中の氷は?」

一ノ瀬がそう言って陽子さんの方を向く。

「はい、水道の水で氷を作ってます。それに、飲み水はミネラルウォーターと決めてたので、小百合さんの言う通りだわ」

「……じゃ、署に戻ってもう一度殺人の可能性を捜査で明らかにします。奥さんその時にはもう一度色々聞きたい事出ると思うのでお願いします」一ノ瀬の目付きが刑事のそれになっていた。

一ノ瀬が帰りかけると、その背中に向って、

「村雨を早く掴まえて欲しいわ」

陽子さんはそう言った、が、三次も白湯も先輩のやっていた医薬品の横流しにやばそうな男達が絡んでいることを知っているので、即答できなかった。


「じゃ、……」三次が帰ろうと言い出しかけた時陽子さんが、「お昼ご飯用意してあるから一緒に食べて行って、みなみも喜ぶから、ね」

言いながら、もう食卓テーブルに食器を並べ始めているので、嫌とは言えず、白湯と顔を見合わせて肯いた。



 翌週、三次は白湯と手分けして先輩と仲違いしていたような人物を探して院内を歩き回った。

思わぬところにその相手はいた。

「うちの課の高木信良(たかぎ・のぶよし)係長が早瀬さんと言い争うところをうちの課員が何人か見たみたいなの。早瀬さんが、何かを指摘してそれを係長が『言いがかりだ』みたいに言ってたらしいわ」

白湯が自慢げに言う。

「ほー、灯台下暗しってこの事だな。じゃ、他に噂無いから高木係長を調べよう」

「係長の噂をほかの部署の女の子たちにも訊いてみるわ」

「そうだな、俺は、……係長の不倫とか、……仕事終わってから尾行もしてみるか」

「そうね。その時は一緒に行くわ。ひとりじゃ心配だし」

「ははっ、ま、デートを兼てな」三次は半分冗談で言ったのだが、……。

「なら、行くの止めよっかな」白湯に冷たくあしらわれてしまった。

ちょっとしょげると、

「嫌なら最初っから行くなんて言わないわよ」そう言った白湯の笑顔が一層可愛く見える。


 華の金曜日、三次と白湯の尾行する高木が行動を起こした。

飲食店街で待ち合せをしているらしい高木を見張っていると、ひとりの女性が手を振りながら現れた。

「えっ、あれって会計の五十嵐伸江(いがらし・のぶえ)さんだわ」

高木も手を振りすぐに女の肩を抱いて歩き始めたのだった。

「不倫ってことね。驚いた」白湯が呆れたって顔をする。

「だけどさ、先輩も不倫してたろ、同じ不倫してる相手を指摘とかできないんじゃないか?」

「え、……そう言われたらそうね。他に何かあるのかしら? ……」

「……金かな?」ふと思いついて三次は呟いた。

「金って? 会計だから、……もしかして使い込みとか?」

「ああ、まさか覚せい剤とかじゃないだろう。中毒になったら目付きが変わるからわかるし」

「私、伝票調べてみるかな、……でも、だとしてもよ、放射線技師の早瀬さんがそれをどうやって知ったのかしら? ……」白湯がそう言って考え込む。

「ん~、そこは考えてもしょうがないよ。俺は、会計システムから高木と五十嵐の起票したものを抽出してみるかな。……でもさ、使い込みってどうやってやるんだ?」三次はそっちの方はさっぱりだった。

「そうねぇ、……架空の出金伝票を起すとか、請求書を作るとか、かな。もっと色々あるとは思うけど」

「じゃ、実際に病院が支払った金と請求書と出金伝票を付け合わせすればわかるか?」

「それでわかる場合もあるだろうけど、架空の請求書をどう見つけるかよ。事務長が全部チェックして承認印を押すことになってるから、仮に無い物があれば怪しいってことになるけど……」

白湯も自信があって言った訳じゃないみたいだ。

「その印鑑は一種類だけ?」

「いや、幾つかあるはずよ。事務長の不在時に代理で押させる場合もあるから」

「そっか、こっちはシステム上の映像で探してみるな。そっちは?」

「ひと月分まとめてある綴りを幾つか保管庫から持って来て家で見てみる」


 一週間調べて夕食を兼て居酒屋で待ち合わせをしていた。

三次は、白湯が顔を見せると、モバイル画面で注文をしていた手を止めて、「どうだった?」待ちきれずに訊いた。

「ダメだった。全部事務長の押印あった」白湯は相当無理して調べてたんだろう、覇気を感じられない程疲れた顔をしていた。

「俺もだ。支払いと請求書とも一致してた。使い込みじゃないのかな?」

三次が言うと、「でもね、高木さん個人の靴とか時計とかブランド品らしいわよ。それに五十嵐さんも私らの給与じゃ買えないようなブランド物を身に着けてるんだって、更衣室の噂よ」

白湯はまだ諦めずに言う。

「支払先とグルなんてことは無いのかな?」三次の思い付きだった。

「そうねぇ、無いとは言えないけど、事務長は知ってるからねぇ……私、お魚食べたい」

三次は、白湯が好きだと言っていたホッケ焼き定食を頼んで、「ホッケ頼んだぞ。飲み物はハイボールで良いか?」

白湯は指を丸めてオッケーサインを作る。そして、「それとも、事務長が見逃してるとか?」と言って、自信は無いけどといった風に首を傾げた。

「ふーむ、事務長が弱みを握られてるとか? あまりピンとこないけど、その辺も一応調べてみよっか?」


 小川は事務長の人事記録台帳に書かれていた札幌の高校へ行って卒業アルバムを見せてもらい驚いた。

原杉院長と同級生だった。

同窓会名簿を調べ、札幌在住のクラスメイトに会うことができた。


 二人は仲が良かったというよりは、鬼山事務長は原杉院長のボディーガード的存在だったという。当時ひ弱な原杉は同級生や先輩などから虐めの対象にされていて、鬼山がそれを見かけ助けてからそういう関係になったようだ。

その頃の鬼山は身長が百八十センチを、体重は九十キロを超えていた上、悪人面した風貌にさすがの先輩らもビビったようだ。

それ以来、大学こそ別々だったが同じ札幌の住人、付き合いは途切れることなく原杉が医師免許を取得して父親の経営する今の病院に就職すると、鬼山を事務職で雇った。

しかし、医療事務の資格を持たない鬼山は原杉の身の回りや雑用を熟しながら、その資格を取ったようだ。

もちろん、原杉がその為の費用を全額負担したというのは病院内でも有名な話だ。

 そんな鬼山だが、同じ課に就職したばかりの女性と付き合っていたという、

それが、なんと今は高木の愛人となっている五十嵐伸江だった。


「え、五十嵐さんが恋人だったなんて、高木は知ってるのかしら?」

三次の話に白湯は目を丸くする。

「ああ、ここからが本題なんだ。鬼山と五十嵐は四年ほどして別れることになったんだが、その理由わかる?」

白湯は顎に手を当て首を傾げ「性格が合わなかった? とか、あっ、鬼山が浮気した!」

「ふふふ、残念。当時の院長、つまり原杉博の親父から大手薬品メーカーの役員の娘を嫁にどうかという縁談が持ち込まれたんだ」

「ああ、良くある話だわね」

「ところが、その時、五十嵐は妊娠していたんだ」

「え、それじゃ……」

「そう、鬼山は金で決着をつけようとしたんだが、五十嵐は抵抗した。……すったもんだがあって、結局五十嵐は流産してしまったんだ。それをこの病院の産婦人科医の鹿内頼子(しかない・よりこ)が処置をした。だから、医療システムにその辺の記録が残ってたんだ」

「もしかして、その流産、仕組まれたんじゃ……」

「いや、そこはわからない。ただ、その後、鬼山は五十嵐と別れることになったんだが、五十嵐のやることに口をだせなくなったんだ」

「そう言えば、うちの課長が鬼山と仲良くて自宅へも行ったことが有るらしいのよ。奥さんは良いとこのお嬢様で我儘で独占欲も強く、飲んだ上での冗談だけど『旦那浮気したら?』と訊いたら『即、離婚。そして今の病院にも居られなくなるでしょうね』と鬼山に召使でも見るような目を向けたと言ってたらしいのよ。だから、五十嵐とのことも私らが考える以上に必死に隠してたんじゃないかしら」

「なるほど、そう言う理由があったって訳か。納得だな」

三次の不可解に思っていたことがすっきりした。

「見逃すって、お金の使い込みを、でしょう?」白湯が眉をひそめて言う。

「白湯は知らないか? いまだに五十嵐は毎月二十万くらいの現金を持って行くそうなんだ『事務長が請求書を預かってるから』と言ってね」

「えっ、私は窓口だから後方事務の事はわからないのよ。……じゃ、高木の使い込みってそのことなのかしら?」

「いや、高木がにやにやしながら鬼山事務長とこそこそ喋ってるのを俺も見たことあるから、五十嵐の事をネタに高木自身も五十嵐と同じことをやってたんじゃないかと思うんだ」

この考えに三次は自信を持っていた。

「そういうことなら、幾ら伝票調べてもおかしなものが出るはずないわね。……そっか、月間二十万未満の支払いだと小口扱いになるから相手の会社をきちんと調べないのよ、だからわからなかったんだ」

白湯が腑に落ちた顔で何度も頷く。

「へぇ、そんなルールあるんだ」

「それを早瀬さんが指摘したとすれば、十分もめる原因になるんじゃない」

「ああ、高木か鬼山が犯人だな。アリバイ調べよう」

三次が言うと白湯はちょっと渋い顔をして、「それ小川さんの親友の刑事さんに言った方が良いんじゃない? だって、犯人だとしたら人殺しよ、気付かれたら命狙われるの私嫌よ……」

訴えかける様な白湯の目、……少しの間、見つめ合ったが「わかった。お前を危険な目に合わせられないから一ノ瀬に話して捜査してもらうな」

にっこり微笑む白湯は、「じゃ、私、高木扱いの先月分の請求書をコピーして小川さんに渡すから、相手の企業を調べてもらって」

「おぉ、そうだな。その方が一ノ瀬も動きやすい」



 小川のところに一ノ瀬から電話が入ったのはそれから一週間が過ぎた日だった。

「お前の病院に伊勢功って奴いるか?」と、一ノ瀬が言う。

「ああ、俺と同じ管理課にいるけど、あいつがどうかした?」

三次はひとつ年上だがいつも態度のでかい伊勢が嫌いだったし、悪そうな顔をしてるので何かやららして警察の世話にでもなったのかと思った。

「ふむ、高木って奴がそいつに毎月金を振込んでたんで何の金か聞いてるんだが言わないんでな」

三次は聞いた瞬間にピンとくるものがあった。 

「なる、……俺達のいる管理課って、組織上は職員の怪しげな行動とか、不正が行われていないかを監視する立場なんだよ。だから、……」三次がそこまで言うと一ノ瀬が「それじゃ、……」と遮った。

「それじゃ、伊勢が高木の使い込みに気付いて脅して金を巻き上げてるってことは考えられるな」

「えっ、まぁな……」色んな言葉が頭に浮かんでどう言って良いのか……。 

「その伊勢って相当な悪だな。高木以外にも金を振り込んでる人がいる」

一ノ瀬の言葉は三次の想像を越えていてただ唖然とするしかなかった。

「おい、大丈夫か?」

声を掛けられて我に返る。

「ああ、ちょっとびっくりしただけだ。人は見かけによらないって言うが、奴は見るからに悪って顔してるんで俺嫌いなんだ」

「そういうことか。ま、人は見かけじゃわからんけどな。もう少しわかったらまた連絡入れるわ」

 三次は曰くのついた伊勢の行動を見張ることにした。

 管理課も総務部の中の一部署なので、各部署の備品の入れ替えや、蛍光灯の交換なども仕事だからそういう点検も含めて毎日のように各部署を歩き回るのが日課みたいになっている。

見張りを始めて三日目だった。伊勢が二階の薬品保管庫に入った。

伊勢はその部屋に用事は無いはずだった。

何があるのか気になりそっとドアを開けて中に入る。

……保管庫には備品用のスチール棚のほか薬品類や劇物などを格納するための施錠付き書棚やキャビネットなど数十台が所狭しと並んでいて、大柄な伊勢でさえその姿をすぐには見つけられなかった。

「おい、お前、なんで俺を尾けてんだ!」いきなり怒鳴られ振向くと仁王立ちした伊勢が三次を見下ろしていた。

「えっ、いや、たまたま鍵開いてたんで誰かいるのかなって……」

「昨日も、一昨日も、尾けてたんじゃないのか? いつから管理課の人間が管理課の人間を監視することになったのよ? ん? 言ってみろ!」

ただでさえ大柄な伊勢が大きな壁のように覆いかぶさってくる。

「早瀬さんと、なんで揉めてたの?」

相手は年上と言っても一歳しか違わない。「そんなにびくびくする必要はない」と自分に言い聞かせ、思い付きで口にした。

一瞬たじろいだ伊勢を三次は見逃さなかった。

「伊勢さん、早瀬さんの何か弱みを握ってたんじゃない?」三次は畳みかける。

「ば、ばかな事言うな。……それより、勝手にひとを尾けてんじゃねぇぞ」

そう言って出ていこうとする伊勢に「高木さんとも何かありますよね」

三次が言った瞬間、ドアノブに掛けた伊勢の手が止まる。

「お前だな、警察にチクったのは……小川っ!」ゆっくり三次の方へ向き直り、眉を吊り上げ近付いてくる。

――やばっ、怒らせちゃったかな……三次は逃げ場を探す。

伊勢が三次に向かって手を伸ばしてきた時、ガチャとドアが開いた。

「小川さん?」僅かに開いたドアの隙間から覗いた顔は白湯だった。

「お、おう、白湯……」三次は伊勢の脇の下を潜り抜けて白湯の肩を押しのけてドア外に出る。

「いやー助かった。ありがとう」

白湯を急かしてその場を離れる。

「一緒にいたの伊勢さんでしょう? 話し声が聞こえてたけど、あんな所でどうしたの?」

階段を上りながら言ってなかった一ノ瀬の話を正直に伝えた。

時々振り返ったが伊勢が追いかけて来る気配は無さそうだ。

「ばかねぇ、どうして言ってくれなかったのよ。ひとりじゃ危険でしょ。……ちょっと待ってて」

白湯は二階の医師控室や階上のナースステーションに封書などを届けに来たみたいだった。

「悪かった。白湯が危険な目に遭ったらと思ってさ」

「で、伊勢さんと早瀬さんが争ってたの?」

「いや、それ思い付きで言ったんだけど、伊勢が思いのほか驚いてたんできっと何かあるんだよ」

首を捻った白湯が「今まで、調べててそんな話出なかったわよね、伊勢さんが単に『こいつ何言ってんだ』って思っただけじゃないのかしら?」


「お前、伊勢を問い詰めたのか?」

その二日後、一ノ瀬刑事が語気を強くして電話を掛けてきた。

「ああ、ちょっとあってな」

「余計なことすんなよ。こっちが調べずらくなるだろう、もう近づくなよ」

「ああ、わかったよ」

「それでな、院長の原杉博とその娘の菜七も伊勢に金を振込んでいたことがわかった。本人たちは個人的な仕事の対価だと言うんだが、何か知らないか?」と、一ノ瀬。

「いや、聞いたこと無いな。個人的な仕事ってなんだろ?」

「例えばだけど、誰かを調べるとか探偵みたいなことをさせたということは考えられるんだけどよ。実際にそういう事があったという証拠は何も無いんだ。俺は、院長側に何かがあって強請られていると思うんだが、お前にその心当たりが無いかなと思ってさ」

「いや、ないな」

三次はそう答えたが、白湯が言ってた十五年前の院長の医療ミスの事が頭をかすめた。

「そうか、もう少し追求するが、証拠がないんで白を切られたらどうしようもないんだ。何か情報掴んだら教えてくれ」


 三次は白湯に一ノ瀬から聞いた院長と娘の話をし、「なぁ、十五年前のお父さんの事、……」

言いかけたが、ちょっと白湯の気持ちを考えると言いずらく戸惑っていると、

「わかった。家にその時のカルテあるから明日持ってくるわ。それを基に医療システムを調べるんでしょう?」

割とあっさり白湯が言ってくれた。

「ああ、時間経ってるから強請りのネタになり得るかはわかんないけど、情報として一ノ瀬に伝えようと思うんだ。良いかな?」

白湯の顔色を窺いながら恐る恐る訊いてみた。

「もちろん。でも、院長も私が当時のカルテ持ってることを知ってるから、もしかすると、他にもっと証拠があって、それを伊勢が掴んだとすれば強請りのネタになるかもね、……」

あまり気にしてなさそうな白湯に三次はほっと胸を撫で下ろす。

「小川さん、そんなに私に気を使わなくても大丈夫ですよ。ふふっ」

ドキッとしたが「なんだ、見抜かれてたのか。良い思い出じゃないからさ……」



 数日後、SNSに<市内H総合病院の内部で強請り!!>と銘打って、管理課の<I氏>が複数の職員の弱みに付け込んで強請っていると書き込まれ。本文には横流しや使い込み、不倫などかなり具体的に書かれていた。

「誰だ! こんなもの書かせたのは!」院長は喚き散らすが誰も反応するはずもなく自然に世間が静まるのを待つしかなかった。


「あれ、でも横流しってどうして強請りの件と結びついたんだろう?」

三次が疑問を呈する。

「想像で書いてるんじゃないのかしら」白湯は余り相手にしてない素振りだが、三次は気になってしようが無かった。

「これ書いた奴がさ、伊勢と先輩が言い争っているところを目撃したとか、じゃないか?」

「なら、伊勢さんに直接訊くしかないんじゃない」

白湯がきっぱりと言った。

「そうだな。一ノ瀬に訊かせよう」

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