第4話 密室
朝、小百合が出勤準備をしていると、スマホが震えた。
みなみちゃんからだった。「何だろうな? 何かの相談かな?」と思いつつ書かれていた文字を見て驚きのあまり自分の目を疑った。
「パパが死んでた」
短い文だったが、嘘や冗談でないことははっきりしている。小学校の低学年で言えるものじゃない。
小百合は勤務先に体調悪くて休むと伝え、真っすぐ早瀬のマンションへ向かった。
途中で小川にも知らせる。
現場は既に警察が立入禁止の黄色いテープを張めぐらせていて、「中には入れない」と言われた。
*
小川三次は連絡をもらってすぐに病院へ休むと伝え早瀬のマンションへ向かった。
そこには人だかりができていてその中にうろうろしている白湯を見つけ、「白湯なにやってる?」
事情を訊いた三次は警官に「弟です」嘘を言って通してもらう。
居間はかつて訪ねた時のように綺麗に片付いていて、侵入者が忍び込んだ感じはしない。
寝室に入ると陽子さんがみなみちゃんを抱きしめる様にして座り込んでいた。
「みなみちゃん、奥さん……」
目を真っ赤にした陽子さんの顔を見た途端、白湯は言葉を詰まらせた。
「わざわざ、……」陽子さんはそれだけ言って頭を下げる。
白湯は顔面を蒼白にして、わなわなと震え、唇を一文字に結んで、ぼろぼろと涙を流ししゃがみこんでしまう。
「おい、大丈夫か?」
三次はその姿に驚きながらも支えて椅子に座らせた。
しばらくして、刑事が来て「自殺の可能性が高いようなんですが、事件性がないとも言い切れないので遺体を解剖します。確認のためだと思って下さい」
陽子さんは驚いたようだが静かに肯く。
玄関ドアにチェーンはかけられていなかったが施錠はされていたという。二泊旅行から帰って来た陽子さんがみなみちゃんと一緒にドアを開けて室内に入り、出勤前の夫の姿を探したが見えないので夫の部屋を覗こうとしたら、何かにつかえてドアが開かないので体重をかけて押し、少しだけ開いたドアの隙間に頭を突っ込んで中を覗くと夫の身体がドアに寄掛かっていたという。
先輩は部屋の中でドアノブに紐を結んで首を吊っていたのだ。
そばにコップが転がっていて床が濡れ、近くに空の睡眠薬の瓶があった。
「瓶の中に薬はどのくらい入ってました?」三次は、陽子さんが説明をしている最中に気になって訊いた。
「多分、半分くらいは」
「先輩は部屋の鍵をどこに置いていたんだろう?」
「部屋の奥の机の開いていた引き出しの中にありました」
「あとの鍵は奥さんとみなみちゃんとで持ってるんですよね?」三次は立て続けに質問した。
「えぇ、ですから、事件性なんてないと思うんだけど……」
ハンカチで目頭を押さえながらも陽子さんは答えてくれた。
「小川さん、こんな時にそんな話をしなくても……」
白湯に言われてそう思う。「ごめん、つい気になっちゃって。奥さん、すみません」
「あの女のせいなのよ。……」陽子さんがポツリと、だが、確信しているような言い方をした。
「村雨みどりさんのことですか?」と、白湯。
「えぇ、あの女が主人と不倫なんかするから、主人が悩んで……」
三次は白湯と顔を見合わせる。 ――どう言って良いものか……
「いや、ひょっとすると事件って、あの女が主人を殺したという事じゃないかしら」
突然、陽子さんが同意を求める様な眼差しを三次に向けて言った。
「えっ、でも鍵が……」
三次が答えると、「陽子さん、密室をトリックで作ったかもですね」白湯が陽子さんを煽るようなことを言い出した。
「白湯! そんないい加減な事言うな。そこは警察が調べてるんだから」
三次は窘めたつもりだったが、陽子さんは白湯と顔を見合わせ頷いている。
「ちょっと状況をもう一度聞かせて下さい」部屋に入って来た刑事が言った。
それを機に二人は一旦その場を後にしファミレスに寄った。
「私、やっぱり自殺って信じられない。奥さんの言うように不倫相手に殺害されたのか調べたい」
「俺も、信じられない。……だけどよ、ドアは二枚も閉まってて中のドアは先輩の身体が寄掛かっていて開かなかったんだろ、トリックなんて無理だろ」三次が言うと、
「ふふふ、これだから素人は困る。テグス糸を使う方法とかあるんだよ、明智君」と、まだ目の赤い白湯がいきなりにっとして言った。
「なぁに、探偵気取りで。じゃ、どうやったんだ?」と、三次が突っ込む。
「そんな急には思いつかないわよ。でも、きっとあるはずよ……」と、今度は真顔の白湯。
三次はそれほど真剣に考えていないのだが、白湯は真面目に調べる気だと感じ、「しゃーないな、付き合うか……」三次はしぶしぶ呟いた。
*
翌日、先輩の不倫や横流しについて二人で手分けして院内を訊いて回った。
三次が八階を歩いていて急に院長室から怒鳴り声が聞こえたかと思ったら、眉を吊り上げた総看護師長の牧石若奈(まきいし・わかな)が勢いよくドアを開け若い看護師の手を引いて出てきた。
看護師の方は襟を片手で押さえて泣きじゃくっている。
ひと目で中で何があったのか想像がついた。
院長のセクハラ現場に総看護師長が乗り込んで彼女を助け出したというところだ。
「あの、セクハラ親父どうもならないな」怒りが込み上げてくる。
階下へ行く途中で刑事らしき人とすれ違う。
ひと回りして自分の仕事場へ戻ると、刑事らしき男が二人いた。
三次が席に着くとその二人がやってきて「小川さんですか?」
そこで相手の顔を見て、「ああ、先輩の家であった刑事さんでしたか」
苦虫を嚙み潰したような顔をする刑事は、「小川さん、病院の中を色々嗅ぎまわっているようですが、何か特別の理由でもあるんですか?」
言い方こそ優しいが、疑いの眼差しを向けているような感じだ。
「え、えぇ、まぁ」ちょっと答えを濁す。
「ちょっと、署の方でお話を聞かせてください。もうひとり女性も同じようにしてるみたいですが、どなたですか?」
「えっ、ああ白湯だけど、どうして?」
言ってしまってから、「あ、言わない方が良かった」後悔したが遅かった。
「どこの部署の方です?」
結局、二人とも署に連れて行かれて、あらぬ疑いを掛けられた。
午後になって解放され、白湯と話をしながら署の廊下を歩いていると、陽子さんと村雨みどりが鉢合わせしたところに出くわした。
「泥棒猫! あんたが主人を殺したんでしょ」陽子さんがいきなり村雨に掴みかかった。
一瞬引いた村雨だが、「あんたこそ、別れてって言われて殺したんじゃないの!」
怒鳴って陽子さんの髪の毛を掴んで引っ張る。
女性刑事が慌てて間に入ろうとするが、二人に弾き飛ばされ悲鳴を上げて転がった。
そこからは、怒号と罵声が飛び交い男の喧嘩と変わらない情景が続く、小川も小百合もただ呆然と見詰めていた。
男性刑事が四人ほど間に割り入ってようやく殴り合いが収まる。
二人とも鼻血を流し、唇を切っている。
髪はぼさぼさ、着衣も乱れて下着が露わに、まるで暴漢にでも襲われたようだ。
「小川! 小川じゃないか?」
いきなり男に声を掛けられた。
その方向を見ると、「……あ、一ノ瀬? 一ノ瀬正成(いちのせ・まさなり)か?」
満面の笑顔を向ける男は、高校時代の親友だった。
「お前、警察に就職したのは知ってたけど、ここで何やってんだ?」
「俺、ここの刑事だぞ、お前は?」
「俺は、病院の管理課で働いてる」
その後、ここにいる事情を話した。
「じゃ、一ノ瀬、早瀬明の捜査資料見せてくんないか? 俺の尊敬する先輩なんで自殺でも他殺でも理由を知りたいんだ。頼むよ。あ、これ、白湯小百合って言う仲間でさ、一緒に調べてるんだ」
三次は、一ノ瀬に無言で袖を引かれて取調室へ入る。「ちょっと待ってろ」と、言って一ノ瀬は部屋を出ていった。
しばらくはじっと待っていたが、……待ちきれずドアを開けようとしたとき、一ノ瀬が戻って来た。
書類を抱えている。
「まだ、それほど捜査は進んでいないが、部屋の見取り図とか状況説明だとかがあるからここで見てけ、俺は三十分したら戻ってくるからその間だけだぞ」
「おー、サンキューさすが親友、一ノ瀬だ」
「うっせ、じゃ」
言葉は悪いが昔のままの一ノ瀬を見た気がして三次は嬉しかった。
全ページを写真に撮ってから資料を見ていると、白湯の目が光った。
「何かわかったのか?」
「ふふっ、帰ってから調べるけど、同じような密室ミステリー小説を読んだことあるの。きっとトリックがあるわよ」
*
あっという間に初七日を迎えた。
先輩の自宅に病院関係者や親戚が大勢訪れ、入り切れない若手の職員はお参りを済ませると帰るしかなかった。
昼を過ぎて親戚も引き揚げ、病院関係者も大方帰って三次と白湯、仲人の塚本だけが残った。
「おう、お前たち、もう帰っても良いんだぞ」塚本が三次に向かって言った。
「あ、いえ、ちょっと奥さんに頼まれごとがあって、……」三次はそう濁したが、陽子さんから「塚本が残ってたら帰らないで」と、白湯が頼まれていたのだ。
以前から陽子さんが塚本のいやらしい目付きに身の危険を感じていてのことだった。
「そっか、……」塚本は仏壇脇に控えていた陽子さんに近付いて何やら話しかけ、「じゃ、今日はこれで、また、来るから」
陽子さんの肩に手を置いて帰って行った。
「陽子さん、何言われたの?」塚本の姿が見えなくなるとすぐに白湯が訊いた。
「『旦那のことで話があったんで、何処か食事にでも誘いたかったんだが、今日は彼らに用事があるみたいだから帰るけど、二、三日したら来るから。その時は他に用事を作らないでくれ、ゆっくり話したいからさ』そう言ったんだけど、何の話しか心当たりは無いのよ」陽子さんは心底嫌だという顔をして白湯を見詰めて言った。
「じゃ、来る日時決まったら教えてください。私も来ます」白湯は陽子さんが言い終えるのを待ちきれないのか、言葉を重ねるように言った。
「えぇ、家で会わずに、外で、ファミレスかどこかで会うことにするわ。そばにあなたがいてくれたら心強いけど……」表情を緩めて陽子さんは白湯を見詰める。
「えぇ、良いですよ。そうしましょ」
「じゃ、その時は僕も白湯と一緒にいますよ」三次も黙ってはいられなかった。
「そ、ありがとう。助かるわ」
*
数日後、SNSに<札幌東区の<原杉総合病院>の放射線技師H氏、謎の死!!>と銘打って警察が単純と思われた自殺を事件性があるとして解剖したと解説を加え、あたかも「病院内に殺人者がいる」と誤解を招きかねない表現をしていた。
百万件を超える再生回数や十万件を超える<いいね>、フォロワー数も多数に上るなどバズる。
「誰だこんなの投稿したの! 相手探して取消させろ!」院長が院内のあちこちで喚いているが、みんな無駄なのを知っていて無視している。
事務長だけがうろうろして院長の意向を徹底しようとしているが、効果のあろうはずもない。
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