神様どうかこの人を

倉予 入琉

生きていて

 コンビニでコーヒーを初めて買ったのは、高校三年の冬。バイトが終わり、少し感傷的になった日のことだった。

理由なくそんな「エモい」シチュエーション化したわけではない。


 姉の後を追うまま、家の近くのコンビニでアルバイトを始めたはいいものの、ここまで彼氏との時間を削ることになるとは、思ってもみなかった。白い息を吐く。

お金が稼げる嬉しさから、ついシフトに入りすぎてしまった私に、彼は優しく「頑張ってる愛彩が好きだよ。尊敬する」と応援の言葉をかけてくれていた。

はずだった。 


「ごめん、もう愛彩が何を考えているのかわからない。このまま、好きかわからないのに付き合い続けるのはお互いのためにならないよ。別れよう」

わかっていたはずだったからこそ、言葉を理解することを頭が拒んだ。いや、心か。

「やだ。別れたくない」

言葉が止まらなかった。私より頭悪いじゃん、蒼太。その程度の小さい脳みそなんかフル回転させたところで、出た結果はエラーに違いないじゃないか。

「なんで?バイトで時間とれてなかったから?ごめんそれは、でも応援してくれてたじゃん。それとも本心じゃなかった?でも私、付き合う前に言ったよね、十月は忙しいからその時期が終わってから付き合うほうがいいと思うよって。それでも付き合おうって言ったのは」

「ごめん、本当に」

「-別れたくない。好きなんだよすごく」

「わかってる。それは本当にうれしい。だけど、俺にはそれが愛彩の本心かどうかわからないんだよ」

一瞬、やけに重く感じる静謐で冷たい空気を飲み込む。

「本心」

「だよね、でもごめんね。別れよう」


 悔しかった。私のことが大好きだと言っていた蒼太が、好きかどうかわからなくなったと言葉を発したこと。

私の言葉に疑心暗鬼し、私と別れる以外の選択肢を取らなかったことが。

何よりも、私自身が一番、自分の気持ちを見失っていたことに気づかれた気がして。


「最低だよなあ」

別れて二日、あの日の夜ベッドに入り枕を濡らして以降、一度だって泣いていない。別れ話を電話でされて、精一杯の強がりから出た言葉は、「幸せになってよ、私がどんだけ可愛くなっても、目もくれないくらいに。でも後悔はしてね」だった。


私は優しくない。

幸せになってだなんて、今までの恋愛においても、つい先日終わりを迎えた恋愛に関しても、微塵たりとも、塵以下のダニほども思っていない。

 いつかでいい。それが別の彼女ができたときであれば尚更良い。

「私」という忘れ難い存在を思い出して、寂しくなって、恋しくなって、声が聞きたくなって、頭を撫でたくなって、笑顔を見たくなればいい。今の彼女に不満はなくていい。ただ、私との日々と比較して物足りなく感じれば上々吉。


「本当、あんたのその性格が治らない限りは、まともに恋愛は無理じゃないかな」

「個性だよ、これありきでみんな私を好きになってるんでしょ」

「違うわ。その性悪に惹かれた訳じゃない、憶測にはなるけど。愛彩が持ち合わせた、ギリあるかわいい部分が視界と脳のほとんどを占めてしまって、盲目になってるだけ。実際、頭のいいあんただからこそ、自分のタイミングで相手に振らせて後悔させるってことできてるんだろうし。来るもの拒まず、去る者はマジで追わない。本当、嫌味なくらい器用な女だよ」

スニーカー越しに道路の冷たさが伝わる気がした。焦りにも似た感情がこみあげてきた。思わず身震いして、足早になる。

「嫌味でもなんでも。結局のところそんな女の子を自分のものにしたいって思っちゃった元彼たちは、一瞬の欲にこの先一生苛まれることになる。自意識過剰で結構、私モテるし」

「はあ。そういう自信から生まれてる才能と可愛さね、羨ましいわシンプルに」

「家着いたから。切るわ、ありがとうね付き合ってくれて」

「ううん、バイトお疲れ。おやすみ」

「はあい」


 寝ている両親を起こさないよう、スライド式の重い扉を静かに開閉し、施錠する。

リビングは暖炉からの余熱でまだ暖かい。ぼんやりと赤くなっている薪を見つめ、ぼうっとしながら暖を取る。暖炉横の常備された薪を追加でくべようか、脳の片隅で迷っていると、リビングに面した部屋から妹が出てきた。

「ごめん、起こした?」

「おかえり。起きてただけ。お風呂まだ入ってないし」

学校から帰り、先ほどまで眠っていたのだろう。結った髪の乱れが物語っている。

「入りな。お姉ちゃんそのあとでいいから」

「お姉ちゃんが先に入ってよー、今からドラマ始まるからそれ見てから入ろうと思ってたの」

高校に入学してなお、相変わらずマイペースな妹に思わず小さなため息を吐いた。

 深夜に放映されているドラマを見たがる妹を、姉としては若干心配しながらも、今日は早めに眠れそうだ、と内心安堵する。何せ、寝るまで電話を繋いでいた日常はもう終わった。そのことを考える度、やはり物言えぬ寂寥感に押しつぶされそうにはなる。


その夜は、何故だか珍しく中学時代の同級の一人が夢に出てきた。

私はすでに、進学先の県外で一人暮らしをしていた。彼とは河川敷で座り込み、長々と話し込んでいる。

「-でも、そうだな。-ああ」

所々が川のせせらぎで聞こえない。目の前にいるはずなのに、触れることのできない、許されないこの制約はなんだ。

お願い、稜。聞こえないからもう少し大きな声で話してよ。

声を出せば終わってしまう気がする。懐かしいこの時間の流れ方。

「生きていてくれれば、また会いに行く。-がとう」


「何でよ」

 自分の口が動いたのを感じ、目を覚ました。嫌な夢、なのに懐かしい。

久方ぶりに連絡が取りたくなるが、連絡先らしきものの繋がりは何も持っていないこと、別れた進学先の高校で孤立しているという話を思い出した。


その日、元彼となった蒼太から長々と復縁を求める内容のメッセージが届いていたが、見なかったことにしてスマホを回収かごに放り込んだ。


「愛彩、クリスマス暇でしょ?あ、二十五日じゃなくて、二十四日」

「なに、暇なわけないでしょ。大雅さんに誘われてるから」

「千賀先輩かあ、うちらとのパーティーとどっちが楽しそう?」

「メンツは?あとなにするか」

「私、サヤ、ハナ、ヒメカ、ユノン、スイ、愛彩。プレゼント交換と買い出し行ってクリスマスパーティー」

「うーん、大雅さん断るか」

「やっぴー」

ルンルン、という擬音がぴったりな様子で跳ねながら教室の後方に去っていくミクを横目に、相変わらず楽しそうだな、とチクリと痛んでいた心の中の逆剥けをそっと撫でた。

 高校三年の冬なんて、受験で忙しくて思いで作りなんか出来ないだろう。そう失望していた入学当初が懐かしい。

 

 中学の卒業式、高校の入学式の両方が中止になった年代に生まれた自分を悲観していた時期もあったが、紆余曲折の末、この現状に満足はしている。

 顔も知らない画面越しの住人につけられた「不幸の世代」という不名誉なあだ名は、案外しっくり来ているが、それは日常から不幸を嘆いている「不幸な人」、からの命名ゆえなのだろうか。

 卑屈でうつむき気味な自分が、チャイムの音に焦ってすっこんでいった。

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