7.最強の盾
ノグレントの王都イーリアまでは、馬車に揺られて五日かかった。
途中で宿に泊まる際は、アリスタ伯爵令嬢が宿代を負担してくれたのだが、キリクはクロイと同室だった。
眠っている間は魔法が解けるため、獣の皮で作った着ぐるみを纏って眠った。母親が用意したものだった。
少し息苦しかったが、それでも身を隠すためには、着ぐるみを着て寝るしかなかった。
そういう趣味だと言えば、文句は言われなかったが、クロイは変なものを見る目をしていた。
そしてようやく王都に辿り着いた頃には、キリクは随分と痩せた気がした。
男のふりをするのは予想以上に大変で、長年一緒にいたクロイにバレないか冷や汗ばかりかいていた。
馬車で王都イーリアの城下門をくぐった瞬間、キリクは思わず感嘆の声を漏らしそうになるが、慌てて声をのみこんだ。
村とはまるで別世界のようだった。石畳の地面がどこまでも広がっており、町には屋台だけでなく、立派な店が数多く並んでいた。
白い壁が続く美しい景観に圧倒され、キリクは緊張も忘れて町に見入っていた。そしてそんなキリクの向かいに座っていたアリスタ伯爵令嬢——ガンナは小さく笑う。
「町が珍しいですか?」
「……珍しいです。まるで別世界みたいで」
「そうですか。村から出ることがなければ、外の世界を知ることもないでしょう。ですが勇者の血縁であれば、旅をすることもあったのではないですか? 勇者ゾロフ様の兄弟なのでしょう?」
「……え? ええ、まあ。俺は鍛錬しかやってこなかった剣術バカなもので、外の世界というものを知らなかったのです」
キリクはとってつけたような言い訳をする。
口調や言動は父親を真似ているのだが、
「でしたら、今後の仕事のためにも土地を知っておく必要もありますね。後日、少し観光の時間も設けましょう」
「ほ、本当ですかっ」
キリクが目を輝かせると、ガンナは微笑ましい顔をする。その顔は、少しクロイのようだったが——クロイの方はというと、表情のない顔をしていた。
「クロイさんも、ご一緒に観光をどうですか?」
キリクが声をかけても、クロイは「いらない」としか言わず。
敵でも見るような目をキリクに向けた。旅をする間も、ずっとそうだった。
その反応が、あまりにも普段のクロイとかけ離れていて、キリクは狼狽える。
いつもなら、なんでもキリアの言うことを聞いてくれるクロイだが、今はキリアではないせいか、話しかけたところでまともに反応してくれることさえなかった。
それでもキリアはクロイの優しさを知っているだけに、放っておくこともできず、たびたび話しかけた。そしてそんな二人を見守るガンナは苦笑する。
どうせなら、仕事仲間として仲良くしてほしいと最初に言ったのだが、クロイはなかなか気難しい性格だとガンナもわかったようだった。
それから王都から王城に移動すると、キリクはさらに目を輝かせた。
赤い絨毯が敷かれた回廊に、どこまでも高い天井。
厚い城郭に囲まれたノグレント王の巨城には、町以上に圧倒されるものがあった。
赤い絨毯が続く回廊の壁には、肖像画や風景画など、優美な絵画が飾られていた。
「まずは、お父様にご挨拶を」
そう言って、ガンナが父親であるアリスタ伯爵の働く執務室に向かっていた最中。
回廊を行き交う兵士たちが、血相を変えているのを見て、鈍感なキリクでさえも何か起きていることに気づく。
その異様な雰囲気が気になったのだろう。ガンナは通りががかった兵士の一人を呼び止めた。
「何事ですか?」
「あ、アリスタ伯爵令嬢——実は」
それから兵士は、アリスタ伯爵が行方不明の事実を告げる。何者かによって連れ去られたのではないかと、噂されているようだった。
「お父様が……行方不明?」
「はい。いつものように執務室で国王陛下と討論なさっておられたのですが、国王陛下が謁見で席を外している間に行方をくらましたようでして」
「それで、何か手がかりは?」
「今のところ、アリスタ伯爵の指輪が落ちていたのみでして」
「お父様の指輪? それってまさか……」
「ギルネシアの盾です」
「ギルネシアの盾?」
兵士の言葉に、クロイが反応した。いつになく険しい顔をするクロイに、ガンナは説明する。
「ギルネシアの国宝です」
「どうしてそんなものを、アリスタ伯爵が?」
キリアが驚いた顔をしていると、ガンナは苦笑する。
「身を守るために国王陛下から賜ったものです。ギルネシアの〝最強の剣〟は勇者が、〝最強の盾〟は王家が所有していました。その二つが合わさった時、英雄が起きるという伝説もあります。ですが、今は平和である証としてギルネシアが友好のためにノグレントにくださいました。最強の盾があれば、どんな攻撃も防ぐことができると言います。お父様は陛下の恩恵を受けている分、敵も多いので——表向きは保管役ということで、最強の盾を身につけているのです」
「そんな……じゃあ、その指輪を落としていったということは」
キリクが狼狽えがちに訊ねると、ガンナは静かにかぶりを振った。
「もしかしたら、もう命がないかもしれません」
暗い顔をするアリスタ伯爵令嬢に、クロイが冷静な口調で告げる。
「その最強の盾とやらはどこにあるんですか?」
「衛兵の話では、丁重に保管されているそうです。そのうち私の元に届くと思いますが」
「それを見ることはできますか?」
考えるそぶりを見せるクロイに、キリクは驚いた顔をする。あまり自分から話をしないクロイが、珍しく多弁だったこともあるが、指輪に興味を持つのが不思議だった。
だがクロイの図々しい申し出にも、ガンナは嫌な顔ひとつしなかった。
「護衛対象のことが気になりますか? それとも指輪が気になりますか? どちらにせよ、お父様の手がかりですから、あなたがたにも見てもらわないといけませんね」
その後、執務室に移動したキリクたちの元に、衛兵がやってきた。
衛兵はアリスタ伯爵が執務室からいなくなった経緯を話したのち、噂の指輪をガンナに渡した。
アリスタ伯爵がいない今、所有者はガンナということになっている。そしてガンナはさっそく、クロイに指輪を見せた。
するとクロイは素手では触らずに、ハンカチ越しに指輪を手にとると、それをあらゆる角度から眺めた。
「これは……」
「どうかなさいましたか?」
「これは本当に最強の盾なのですか?」
「ええ、もちろんですが……」
クロイの言葉に、ガンナは動揺した様子だった。
そしてクロイは数十秒ほど指輪を眺めたあと、ガンナに指輪を返したのだった。
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