タイトルは最後につくるもの
ぽちゃ
序章 発端
七月二十日。天気は晴れ。午前九時。目の前に広がる景色は、小さな離島だった。
菜々は机に肘を付き時計をじっと眺めた。時刻は午後の六時を回った。教室はオレンジ色に染まり、窓から夕陽が私たちを照らして後ろに大きな影をつくっている。
この地元を離れるまで、残り十五時間。
「ねぇ、部活終わってから一時間経ってるよ。明日の準備は大丈夫なの?」
時計の秒針のリズムに合わせてシャーペンをカチ、カチ、シャー芯が伸びてきたら戻す。そしてまたカチ、カチ、と鳴らす友人が口を開いた。
「ほぼ終わってるから大丈夫」
「え、帰る気?寂しくならんの?明日から夏休み終わるまで会えないんだけど」
シャーペン女は動きを止め、こちらを向いた。
「ずっと一緒に過ごす気だったから、そんな感覚どっかに捨てちゃったわー」
彼女のいう通り、菜々も「別れ」が曖昧である。「人生は出会いがあれば別れもある」と聞くが、菜々の友人の七割以上は幼稚園からの付き合いで所謂「幼馴染」。隣にいる彼女もその一人である。残りの約三割は、高校は離れたが、今でも昔と変わらずどこかに遊びに行ったり、通話しながら勉強するほど。「仲良くしたい」と思える人しか交流関係を築かない菜々の唯一経験した「別れ」は、小学生の頃、テーマパークで風船をもらったが、誤って手を離してしまい空に飛んでいったことぐらいだった。
「なんか、楽しそうじゃない?夏休みだけ離島暮らしってさ」
体を伸ばして「海で遊び放題」だの「夕陽がインスタ映え」だの一人で楽しそうに呟いているが、菜々にはどんな言葉も刺さらなかった。菜々には明日から向き合っていかなければいけない深刻な問題を抱えているからだ。
「ああぁ…十何年生きてきて、命の次に大切なスマホがただの重い金属板になると思わなかった…どう過ごせばいいんだろう…」
菜々は世間で騒がれている「スマホ依存症」の患者である。常に手が届くところにスマホがあり、ほぼ寝ている時以外はスマホに夢中。毎日の使用時間は十五時間は超えて当たり前だった。基本は動画サイトを見たり、広告で出てくるようなゲームをひたすら遊ぶ。インドアな菜々の生活に彩ってくれる存在がスマホだった。しかし、明日からWi-Fiのない生活が待っている。常に通信量に悩まされている菜々は渋々「脱スマホ生活」を送らざるを得ない状況になってしまった。
「折角の離島生活で、何ゲームしようと思ってんの!」
バン、とシャーペンを机に置いた友人は菜々の両肩を掴む。友人はカーテンの隙間から差し込む夕日に照らされ、目を細めた。こんなの第三者から見れば、青春ドラマの感動シーンと勘違いしてしまう。
「しないから…てか、出来ないし」
「うんうん。しなくていい。婆ちゃんがいるし、島民の人たちと仲良く過ごしなさい!お土産話楽しみにしてるから!」
菜々は強く握られて微かに痛みを感じる肩を撫でた。
二人で笑い合っていると、教室にチャイムが鳴り響いた。菜々は友人と目を合わせる。そしてさっと立ち上がって片付けを始めた。十年以上の付き合いだと目で会話するのは朝飯前である。落書きした黒板を綺麗にし、向かい合わせにした机も元の位置に戻す。友人はエアコンを消して、後ろの扉の鍵を閉めてくれた。毎月一回の恒例行事な影響で、私たちのコンビネーションは自信がある。あとは、リュックに荷物を詰め込んだら教室の鍵を閉めるだけ。
「次ここ来るのは九月かぁ」
「それは私もなんだけど?」
*
生温い潮風が菜々の髪の毛を揺らし、夏の太陽が肌を刺激する。
「じゃあ、気をつけて__」
父は車の窓を開けて、菜々に手を振った。菜々は船のエンジン音でうまく聞き取れなかったが、きっといつもみたいに過保護な事を言っているに違いないとため息をついた。しかし、そんな父も嫌いではないので仕方なく手を振り返した。
「おーい早よ入らんと置いてくぞー」
一樹さんに呼ばれ急いで船に入る。一樹さんは父の兄であり、港で漁師として働いている。彼の師匠の影響を受けて身についた名古屋弁が印象的な人だ。
父と一樹さんが話しているのを横目に見ていると、風で船がぐらっと揺れた。咄嗟に船の手すりに捕まり、身体を支える。その時、遠くにいる父と目があった。まるで一生の別れかのような潤んだ瞳でこちらを見ていた。
__まじで恥ずかしいんだけど?
菜々は最後の最後まで滲み出る過保護に嫌気が指した。
「…よし。行ってきまーす!」
「出発進行―!」
船はゆっくりと出発し、それに比例するように父の車が小さくなっていく。
波に揺られながら、菜々はあの夜を思い出していた。
野崎菜々は父の野崎昌樹と二人暮らしだ。菜々が幼い頃に母親が不慮の事故に遭い、父子家庭で過ごしてきた。父は何度も父子家庭を心配したが、菜々は父と過ごす道を選んだ。
ある夜、菜々はいつものように一人で夜ご飯を済ませ、お風呂に入り、テレビでドラマを見て過ごしていた。すると玄関から物音がし、遠くから父の声が聞こえた。
「おかえり。味噌汁温めてくるね」
「ありがとう。菜々、少し話があるからこっち来て」
いつもニコニコしているか、過保護モードでソワソワしているかの二択の父がいつもより深刻な顔を出して椅子に腰をかける。熱帯夜なのに空気が冷たく感じる。椅子のキシ、という音も緊張するほど緊迫した状況で、先に口を開いたのは父だった。
「七月末から八月いっぱいだけお父さん県外行かなきゃいけなくなって、一人暮らしさせるのは心配だから申し訳ないが親戚の家で過ごして欲しいんだ」
菜々は驚愕した。念願の「SJK(セカンドジェーケー)」を手に入れた彼女は夏休みはこれでもかというぐらい満喫する気だった。まるで、丹念込めて作ったガラスが落とされたようだった。菜々は何度も何度も考えた。しかし、父の過保護っぷりに冷静に居られず
「なんで? 私もう十七だよ、そんなに信用してない?」
思わず机をバン、と叩き、コップに入っているお茶が揺れる。父は黙ったまま俯いた。娘の見慣れない怒りの感情に目を向けたくないようだった。テレビからドラマの台詞が小さく聞こえ、より緊迫さが増したようだった。俯いたままの父は上から私の手を包んだ。
「そうだな。十七歳の娘に対して過保護だよな。でもな菜々、一人暮らしなんていつでもできる。向こうでも菜々と近い年齢の子はおるだろうし、都会から離れた暮らしは絶対に無駄にならないと思うんだ。我慢してくれ」
父の度が過ぎた過保護は好きじゃないが、唯一の愛娘が治安がいいとは言えないこの街で女子高校生が一人暮らしするのも少しだけ怖いと思った菜々はゆっくりと了承した。父は優しく微笑み、「ありがとう」と応えた。
__これから一ヶ月、どうなるんだろう…
「おーい」
菜々はビクッと起き上がる。
「前見てみぃ?でら綺麗だで写真撮っときな」
一樹さんは菜々の手をとり立ち上がる菜々の補助をする。菜々は船の揺れに若干酔いながら体を起こすと、広がる光景に声を上げた。
三六〇度、全てが青かった。神秘的且つ、何が潜んでいるか分からない恐怖も同時に感じる青から、白色との調和が綺麗にとれた青。この世の青を全て独り占めしているかもしれないと菜々はニヤついた。昔から青が好きな菜々は普段から青を身につけている。今日は、青と白のストライプ柄のワンピースに、お気に入りのスニーカー。菜々が幼い頃から大好きなアーティストのトートバックに同アーティストのライブ限定缶バッジ(青バージョン)だ。一樹さんは菜々の格好を見て、ハッとしたように話しかける。
「写真撮るで、昌樹…じゃなくて、お父さんに送りゃ〜」
確かに、と思った菜々はスマホを一樹さんに渡し、青をバックにピースをした。
「昌樹といい意味で似とらんな。でも、鼻とか、色白なところとかね、昌樹の良いところだけもらっとるな〜羨ましいわ〜」
一樹さんは大きく口を開けて笑った。
「まあひゃあ着くで、ちょこっとゆっくりしとってな〜」
器用に舵を切る一樹さんの姿を見ながら、もう一度目を閉じた。
「嬢ちゃん、起きてちょーだゃあ。着いたで〜」
続く
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