21

 遥香ちゃんと付き合わせないように阻止するなんて、そんな話をしていたとは知らない彼は、私の足を本気で心配してくれた。


 冬樹の大切なものを、大切にしてあげられなくてごめん。


 冬樹の幸せを願ってあげられる幼なじみじゃなくて、本当にごめんね。


 その日の部活は休んだ。お母さんが学校まで迎えに来てくれて、そのまま病院に行ったところ、全治二週間の捻挫と診断された。歩行に問題はないが、完治するまで運動をしてはいけないという。


 ……じゃあ、二週間後に控えている大会はどうなるの?


 翌日、私は朝一番で陸上部の顧問に相談に行った。最後の大会なので、どうしても出場したいと伝えたが、病院の診断結果に従うようにと言われた。


「つまり、大会を見送るってことですか?」


「練習ができないまま本番に臨むことはできないし、残念だけど出場を取り止めたほうがいい」


「私にとっては最後の大会なんです。多少無理をしてでも、絶対に出たいんです」


「捻挫は重症の怪我ではないけれど、無理をすると関節内に傷がついて、変形性関節症になることもあるの。そうなったら一生付き合わなければならない怪我になる。豊永さんの気持ちはわかるけれど、顧問としては認められないわ」


 結局、私は先生を説得することができなかった。


 中学最後の大会と言っても、全国大会ではなく、ただ自己ベストを目指す地区大会に過ぎない。自分の名前が残るわけでもなかった。


 私は冬樹が陸上を始めたから、追いかけるようにやり出した。だから、彼が陸上を辞めた時だって、追いかけて辞めようと思っていた。


 だけど、タイミングを見失って、気づいたら走高跳びの選手は私だけになっていて、余計に辞めますとは言えない状況だった。


 高跳びへの熱意も、大会にかける意気込みもない。だから、無理をして出場する必要だってないはずなのに……。


「千夏、遅かったね!」


 上の空のまま教室に戻ると、りっちゃんたちがすぐに寄ってきた。


「職員室でなに話してたの~?」


「えっと、陸上の大会のこと」


「あーそういえばもうすぐだよね!」


「う、うん。でも足の捻挫の完治が間に合わないから大会は出ないことにしたんだ!」


 暗い雰囲気にならないように明るく伝えると、みんなが顔を見合わせた。


「そっか、残念だね。でも大会に出られなくたって、千夏は他のことで目立てるから大丈夫だよ!」


「そうだよ。高校でも陸上をやればいいんだし、これが最後ってわけじゃないよ!」


 励ましの声が、槍のように胸に突き刺さる。


 他のことで目立てる? 高校でも陸上をやればいい?


 なにそれ、なにそれ、なにそれ。


「他に言うことがあるんじゃねーの?」


 その時、冬樹が間に入ってきた。あまり怒ることがない彼が、珍しく怖い顔をしている。


「こいつが怪我をしたのは、昨日の体育が原因だろ。千夏はなんでもできるわけじゃなくて、友達に頼られてその期待に応えたいって思ってるから、なんでもやってるんだよ」


「…………」


「その優しさに甘えるなよ。こいつだって背負えることに限界はあるんだから、あんまり寄りかかりすぎないでやって」


 冬樹の言葉に涙が出た。人前で泣くなんて絶対にしたくなかったのに、今だけは我慢できなかった。


「ち、千夏ごめん! うちら悪いことしてたっていう自覚が全然なくて……」


「千夏がいつも笑顔で引き受けてくれるから、甘えすぎてた。足のことも本当にごめんね……」


 友達が次々と謝ってくれた。みんなに悪気がないことはわかっていた。でも冬樹がはっきり言ってくれたおかげで、自分自身の悪かったところにも気づけた。


「冬樹、ありがとう」


 休み時間、私は改めて彼にお礼を伝えた。昨日の怪我に気づいてくれたことも、普段から私のことを気にかけてくれていたことも、すごくすごく嬉しかった。


「大会、やっぱり出られないのか?」


「うん、ダメみたい。だけど、ちゃんと自分なりに区切りはつけようと思ってる。だから、冬樹にも見届けてほしい」



 ――捻挫が完治した夕暮れの放課後。私はグラウンドに冬樹とアッキー、そして遥香ちゃんを呼び出した。本当は冬樹だけでいいと思っていたけれど、最後だからこそアッキーと遥香ちゃんにも見てもらいたかった。


「みんな、今日は私のために集まってくれてありがとう」


 グラウンドには、すでに走高跳び用のマットとバーが用意されている。みんなに来てもらったのは、自分だけの大会を開くためだった。出場選手は私だけで、観客は三人。地区大会で着る予定だったユニフォームにも腕を通した。


 グラウンドに、土の香りを含んだ風が吹く。こうして、この場所で飛ぶのも今日が最後になるだろう。高い位置で結んだポニーテールのヘアゴムをきゅっと、締め直した。


 大会では、バーの高さは自分で選ぶことができて、その高さになるまで選手はパスができる。三回失敗したら終わりというルールも大会どおりに行い、バーの高さは自己ベストの一五〇センチからにした。


 ガシャンッ。一回目は足が引っ掛かってしまった。


「千夏ちゃん、頑張って!」


 冬樹とアッキーが見守ってくれている中、遥香ちゃんは両手を胸の前に組んで、お祈りをしてくれていた。


 本当にいい子だからこそ、どんなに嫉妬心が芽生えていても、冷たくすることなんてできない。

 

 一五〇センチは、二回目で成功した。そして次のバーの高さは、一五五センチ。飛べば自己ベスト更新になる。


 小さな息を吐きながら、助走を始める。地面を強く蹴る足音が響き、バーの手前で体を反って跳び越える。ガタンッと、足がバーに当たった。ぐらつくバーを横目に見ながら、自分の体がマットに沈む。瞬時に顔を上げてバーを確認すると……。


「と、飛べた……」


 一五五センチに設定したバーは、落ちずにスタンドに残っていた。これが私の中学三年間の集大成。ようやく自分の中の区切りがついた気がして、ホッと胸を撫で下ろしていたら、遥香ちゃんが勢いよく抱きついてきた。


「千夏ちゃん! すごい、本当にすごいよ……!!」


 遥香ちゃんは自分のことのように、泣いてくれていた。続いて「お疲れさま」と、声をかけてくれたのは、アッキーだった。そして、最後は。


「千夏、よく頑張ったな」


 冬樹に、優しく頭をぽんっとされた。


 部活なんて、いつ辞めてもいいと思っていたけれど、最後までやってよかった。みんなに見てもらえてよかった。心の区切りをつけることができて、本当によかった。


「もう、みんなして泣かせないでよ……!」


 気づくと、顔が涙でぐちゃぐちゃになっていた。


 それぞれに好きな人がいて、それぞれが同時に幸せになることはできない。誰かの恋が叶った瞬間に、誰かの恋が終わる。だから、私たちはきっと綺麗な関係にはなれないだろう。だけど、それでも。


「よし、今日は千夏ちゃんのお疲れ会しよう!」


 遥香ちゃんが、そんなことを提案してくれた。


「そうだな、なにか旨いもの食いにいこう。冬樹が六割で、俺たちが四割出すよ」


「いや、なんで俺が六割なんだよ?」


「じゃあ、私、全部出してもいいよ! ブタの貯金箱にお金貯めてるから!」


「わわ、遥香ちゃん! そこまでしなくていいよ! 女子は男子に奢ってもらおう!」


 わいわい、がやがや。お疲れ会の話が弾む。

 

 私の部屋にいる金魚は、今も仲良く四匹で泳いでいる。私たちは、あんなふうにうまく泳げないし、もしかしたら、いつか傷つけ合う日がくるかもしれない。


 だけど、それでも。


 今だけは、大切な友達との時間を大事にしたいと思った。

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