5-6 素直に嬉しかった
キリエさんのお薦めのお店はオムライス専門店だった。
看板には「キッチン卵」などとある。シンプルで実に分かり易い名前だ。そう言えば「大衆食堂」だの「普通のレストラン」だの、キリエさんの選ぶお店はそんな類いの名前が多い。
専門店と謳っているわりには、メニューにチキンライスもあればチャーハンもあったし、グリンピースの豆ご飯やピラフ、リゾットもあった。
要はご飯系統のバリエーションを揃えたお店らしい。カレーライスは無いのですねと言ったら、「カレーはまったく別の食べ物ではありませんか」と何処か憤慨したような口調で
僕はそんな変なコトを言っただろうか。
「今日は何処か心此処に在らずといった感じですね」
サラダも全部平らげて、食後の珈琲を飲んでいるとそんな風に話し掛けられた。
「此処のご飯はお口に合いませんでしたか」
「いえ、そんなコトないです。美味しかったですよ」
彼女が勧めるがままに頼んだ此処のカンバンメニュー「平凡オムライス」は、名前どおり特別な料理じゃなかったけれど、また食べたくなるようなクセの無さが良かった。毎日は流石にカンベンだけど、朝食で食べる卵かけご飯みたいな味わいと言えば一番近いんじゃないだろうか。
ちょっとだけ考えた後、思い切って「この町で行ってみたいところが在るのですが、どうすれば行けますか」と尋ねてみた。
「面白いコトを聞きますね。よろず屋さんから地図はもらったのでしょう?それを見れば迷うことは無いかと思いますが」
それは普通の町の話である。キリエさんやその知人の住む町は、僕の知っている平凡な日常より一寸だけ、脇に逸れた辺りに存在して居るではないか。僕が望んだときに時に入り込めるとは限らない、不確かであやふやな町だ。
何と言うか「こうすれば間違いが無い」という確実なやり方が欲しかった。
そんな風に付け加えたのだが彼女はにべもない。
「世の中は不確かなモノで満ち満ちています。絶対確実な事柄なんてタダの幻、煙のように儚く消え失せる蜃気楼です。
望めば門は開かれると、以前にも申し上げたではありませんか。心を決めてベストをつくし、そして現状を受け容れる。為すべきコトを為せば、あとは座して天命を待つの心持ちで良いのではありませんか」
そんなコトを仰るのである。
「い、いえ、そうじゃなくてですね・・・・」
ただ単に、僕は目的の日時その場所へ確実に着きたいダケなのである。
「ダメですよ、デート中に他の女性のコトを考えては」
「他の女性って・・・・」
確かに、あのキツネのお面を被った女性からのお誘いに、どうやって訪ねて行こうかと気を揉んでいた。だから反論は難しかったし、彼女が言うとおり褒められた話じゃないだろう。
いや、単純に失礼だよな。
反省して素直に「すいません」と謝った。すると急に、目鼻のない彼女はクスクスと笑い始めるのである。
「冗談です。わたしを目の前にしているというのに、気もそぞろだったのでイジワルをしてみたくなったダケですよ」
何処に行きたいのですか、と訊かれて少し迷った後に、キツネ面の女性から受け取った名刺を差し出した。
「やはりおゴンさんでしたか。この場所は良く知っていますよ。教えるのはやぶさかではありませんが、条件があります」
そう言って彼女は、にっと笑った。
おゴンさんの云う件の場所は町の外れだった。
日本家屋を改装した喫茶店で、ドアの所には「本日貸し切り」の札が掛かっていた。呼び鈴を押すとくぐもった返事が聞こえ、出てきたのは動物の面を被った小太りの男性だった。お面には小さく丸い耳と目の周りに黒い隈取りがあった。
ひょっとしてタヌキだろうか。
「ああ、申し訳ありません。本日は貸し切りの予約が入っておりまして」
「いえ、客ではなくておゴンさんからお招きを頂いた者です」
そう言ってもらった名刺を取り出して見せた。
「おや、それではあなたが光島さん?お話は伺っていますよ」
タヌキの面を被った男性は、「どうぞ」とドアを開けて迎え入れてくれた。
「そちらの方も彼女からの紹介で?」
「いえ、わたしは啓介さんの付き添いです」
僕の後ろに控えていたキリエさんはペコリと軽く頭を垂れた。男性は「そうでしたか」と軽く頷いて、僕と共に中へと誘ってくれた。
「すいません、急に押しかけてしまって」
「いえいえ、仲間内だけの集まりですからお気兼ねなく。そちらの女性の方も」
「キリエと言います」
案内された店内はテーブルや椅子が片付けられていて、思いの外にがらんとした広さがあった。壁際にアップライトピアノが在り、数脚の椅子と大きな弦楽器のケースが置かれていた。
そして僕ら三人以外は誰も居なかった。
「他のメンバーも直に集まって来ますよ。あと、そのケースはひょっとして」
「あ、はい。僕のオーボエです。おゴンさんが聞いてみたいと仰っていたので」
「そうでしたかそうでしたか。いや、楽しみです」
「お邪魔じゃないですか?」
「とんでもありません。大歓迎ですよ」
新たに椅子を二つ出してもらって僕とキリエさんは腰を下ろした。待つこと暫し。
一人二人とドアを開けてやって来る人達は、どういう訳だかみんな動物のお面を被っていた。三人目はおゴンさんで、「あら、いらっしゃい」と喜色を滲ませた声で僕に会釈をし、「何故あなたが此処に」と不本意そうな声でキリエさんに声を掛けた。
「啓介さんの付き添いです。不埒な輩に悪戯されないよう付いて来ました」
「アナタの方が余程にそうだと思うけれど。まぁ、いいわ。ゆっくりしてらしてね」
どうやらこの二人は旧知らしい。でも何だろ、二人の間に漂うこの奇妙な雰囲気は。
何処かで似たようなシチュエーションが在ったな、と少し考えてはたと気付いた。パーティとかで皿の上に残った最後の料理を誰が取るのか、手を出したくとも出せず、互いに様子を伺っている様に似ているのだ。
楽団は四人でワンチーム。そして楽器はアップライトピアノとコントラバス、そしてアコースティックギターが二本だ。
管楽器を捜していたとおゴンさんは言っていたが、確かにこのメンバーでは弦楽器しか居ない。練習曲はジャズとクラッシック、そしてポップスだった。
四人とも上手い、というか演奏し慣れている感じだ。プロ並みと言うには憚られるだろうけれど、メリハリあるし安定していて滑らかさがあった。
「ひょっとして、捜していたのはサックスだったんじゃないですか?或いはトランペットとか」
「まぁ確かにこのメンツならジャズって感じよね」
「わたし的にはフォークを目指していたのですけどね」
「ウッドベース弾いててソレはないだろう」
「コントラバスがフォークで何が悪いんです。何度も言わせないで下さい」
「喧嘩するなよ。それよりもキミ、光島さんだったかな。良ければオーボエを聞かせてくれないか」
「おお、彼はオーボエか」
「此処で管楽器なんて初めてです」
「実は楽しみにしていたのよ」
キツネのお面にタヌキのお面、そしてアコギの二人は柴犬とハスキー犬だろうか。それぞれのお面がそれぞれ話ながら僕に演奏を求めてきた。
個人的に演奏を求められるだなんて、どれ位ぶりだろう。持って来たスコアの中から一番演奏し慣れているものを選び、一曲演じた。おおぉ、と感心したような声と皆からの拍手を受けて「上手いな」と言われた。
ただの社交辞令なのだろうけれど素直に嬉しかった。
「他にどんなものが出来る?」
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