2-7 縁がある

 店の中は普通の食堂だった。


 外見どおりに古びていて年季の入った店内だったが、店の入り口と同じく隅々まで掃除が行き届いていて清潔感があった。壁にはお品書きが貼り付けられてカウンター席と幾つかのテーブル席とがあり、幾人かの客が食事の最中だった。


 テーブル席で注文を待っていた客の一人が、お冷やを飲みながら入り口に立つ僕へチラリと視線を投げて、そしてすぐに目を逸らした。洗いざらしの前掛けをした給仕係がやって来て「お一人様ですか」と聞き、反射的に頷くとカウンター席を案内された。


 じわりと血の気がひく感触があった。


「あ、いや、スイマセン。その、僕は客ではなくて、道を聞きたいだけでして・・・・」


 尻込みする僕の顔はたぶん引きつっていたんだろう。自分でも分るくらいに頬が強ばってぎこちなかったからだ。


「そでしたか。ですがお腹も空いてるでショウ、此処で食べて行けば手間かかりませんヨ」


 そんなコトをいう。「お腹は一杯なので」と断った口のした腹の虫がまたぐうと鳴った。余計な場面で余計な自己主張を。

 だがしかし何とか言い繕ってこの場から逃げるしかないと焦った。


 何故か。


 僕を除いた此処に居る全員が、人間ではなかったからである。


 人間の衣服は着ているけれど、みんな猫だった。毛むくじゃらでヒゲがあって目は金色で尖った耳が頭の上に突き立っていた。

 カウンターでどんぶりものをかっ込んでいる客は、むくむくの猫の手で器用に箸を使って食事を続けている。

 四人掛けのテーブルに座っている客は爪楊枝で歯の手入れをしていた。いーっ、と拡げた口の中に細く伸びた牙がハッキリと見えた。


 ひょっとして何かのイベントで猫に扮した集団が、ふと帰りがけに食事を摂っている所へついうっかり踏み込んでしまったのだろうか。

 或いは、給仕係を含めてこの店に踏み込んだ者は猫の扮装をしなければならない、などという妙なルールのあるコスプレ食堂なのだろうか。


「・・・・」


 まぁ、もし本当にそうだったらそれはそれでビックリだけど。


 そして着ぐるみにしてはみんな随分とリアルだ。食事中の口元に時折見える舌は随分と長かった。頬張って咀嚼する度に頬の辺りの筋肉がモコモコと動いている。


 物音がする度に小刻みに反応する耳といい、チラリと目配せをする瞳の生々しさといい、微かな身じろぎする都度に蠢く顔や首筋の毛並みといい。何処を見ても本物といって遜色がない。


 否、どう見てもホンモノにしか見えなかった。

 それに、仮にコレが超絶スゴイ技術で造られた被り物だったとしても、そんなモノを着込んで平然と食事をする集団の中でぽつんと一人寂しく座る勇気はちょっとない。どう控えめに見ても場違いだ。


 かなり横幅のある女性と思しき給仕係は、横幅に負けず劣らずの大きな胸を奮って「どうぞ」とにこやかにカウンター席を指し示している。物腰や声の調子から年上の女性といった雰囲気があった。

 猫の歳や性別なんてまったくちっとも見当がつかないけれど。


「あ、いや、その、僕はそんなつもりは全く以てぜんぜん無くて・・・・」


「遠慮は無用デスよ。だいじょぶ、だいじょぶ。顔を洗えだの手にクリームを塗れだの服を脱いで全身塩まみれになれだの、そんな無体な注文着けたりしません。至って健全な安心と信頼のお店デス」


 どこぞの信販会社のセールストークじゃあるまいし、満面の笑みでそんな太鼓判押されても逆に怪しさが増すだけだ。


 それにそんな話、何処かで読んだなと思った。子供の頃に読んだ童話だったろうか。アレは確か山で道に迷った男二人の話だったよな。

 出てきたのは山猫だったっけ?それに言われてみれば給仕係の顔も、普通の猫と云うよりも緊張感と野性味溢れる、正に肉食系の捕食者といった面立ちだ。

 思わずゴクリと固唾を飲んだ。


 ここで道を訊くのは諦めよう。そう決心して後ずさり、入った入り口から出ていこうとした時である。背中に二つ、何か丸くて柔らかいものに当たって立ち止まるはめになった。


「あら、またお会いしましたね」


 真後ろで聞き覚えのある声があって思わず振り返った。開け放たれたままの戸口には、短いボブカットの背の高い女性が立って居た。

 そして目鼻の無い顔で、にっと笑って見せたのである。




「此処には良く来るのですか」


「いえ、初めてですよ」


 僕は彼女と差し向かいでテーブル席に座っていた。お冷やを一口飲んでから返事をする。何故にこの顔の無い女性と相席で注文を待っているのか。

 理由わけは簡単。入り口で半ば彼女に押し込まれるように店に入り、そのままなし崩しに席に腰掛け、店を出る切っ掛けを無くしていたからだ。


「ここのどんぶり物は結構いけますよ」


 彼女はそう言って微笑みながら、テーブルの上にあった衝立型のお品書きを押し付けてくる。僕はただ引きつった顔のまま受け取るだけだった。


 いまこの瞬間立ち上がって逃げ出したら、あの恰幅のよい給仕係が追っかけて来るのだろうか。その時に手に持つのはお盆じゃなくて包丁なのだろうか。

 いや仮に何も持たなくてもあの大きな手から飛び出す爪はきっと鋭くて、ナイフと変わらない切れ味があるに違いない。


 デカい刃物で切り刻まれるのは痛いだろうな。それも一本じゃなくて複数だ。


 考えたくもない光景が脳裏に浮かんで、思わずブルリと身震いした。


 まぁあくまで、給仕係やこの店の客がホンモノの等身大の猫だったら、の話ではあるが。そんな筈あるわけないと信じたい。

 だがその一方で、それをリアルに確認する勇気はちょっと無かった。


 注文に悩むふりをしながら顔半分を隠して、そっと差し向かいの彼女を盗み見た。特に見るでもなくボンヤリと厨房の辺りを眺めているように見えた。

 もっとも目が見当たらないので、顔の向いている方向から想像するしかないのだけれども。


 あの夜は暗がりのなかということもあって、特殊メイクか何かだろうと無理矢理思い込んで考えないようにしていた。だがこうやって間近で観察してみても、つるりとした滑らかな地肌が顔の上半分を覆っているだけある。

 口以外の造形物は気配すら見当たらなかった。


 昔話なんかに出てくるのっぺらぼうもこんな感じなんだろうか。


 失礼な感想だというのは百も承知。だが気になって気になって仕方がなかった。正直、これはこういうメイクだと信じた方が当たり障りも無いだろうし、精神衛生的にも良いコトなのかもしれない。


 でも生憎と僕はソコまで無頓着にはなれなかった。「人それぞれ」と割り切れるほど豪胆でもなかった。一度気になったことは納得出来るまで、ずっと気にするタイプなのである。シツコイとか粘着気質とか言われようともコレは持って生まれた性分で、自分でもどうしようもなかった。


「わたしの顔に何か付いていますか?」


「あ、いや、その・・・・」


「そうですね、大事なものが付いていないから気になるのですよね」


 片頬で微笑まれて、慌てて「すみません」と謝った。盗み見ていたことはバレバレだったようで少なからず恥じ入った。まったく僕は何をやっているのだろう。


 あまり待たせても悪いですよ、と促されて親子丼を頼むことにした。彼女は給仕の猫的なヒトを呼んで天丼定食を頼み、「何か飲みます?」と尋ねられて首を振った。アルコールは正直得意じゃない。それに喉が渇いていたとしてもこの店ではそんな気分に為れそうにもなかった。


「では、わたしだけ頂きます」


 そう言って瓶ビールを一本頼んだ。ビールが来ると手酌でコップのギリギリまで注ぎ、「お先に失礼」と言って最初の一杯を一息で干した。唇に着けたコップを高々と掲げ、天井を見上げた白い喉がやけに細くて綺麗だった。


「二度も会うなんて、あなたとはえにしがあるのですね」


 空になったコップに二杯目を注ぎながら彼女は呟いた。僕に語るというよりも、自分自身に言い聞かせる独白のようにも聞えた。

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