寄り道ありマス
九木十郎
プロローグ
縁遠い台詞に思えた
時々思う。
将来への希望や展望なんて云うシロモノは、ほんの一時の慰めでしかなくて、現実には叶うコトの無いタダの幻なんじゃなかろうかと。
夢は叶わないからこそ夢なんだ。
宝くじと一緒だ。当選確率などゼロに等しいし、当たった当人が本当に居るのかどうか判ったもんじゃない。
テレビやネットなんぞで騒がれては居るが、アレはただのヤラセで、在りもしない期待を煽っているだけなのではなかろうか。
まぁそれでも、願いが叶った人間が皆無だとは言わない。でも大多数じゃないのは間違いなくて、レッドデータアニマルよりも稀少な存在なんだと思う。
少なくとも僕の周りには居なかったし、僕自身でないことも確実だ。
世間で成功者なんて人は、天賦の才だの不屈の精神だの先見の明があったのだのと仰々しく騒がれているが、それは普通じゃ先ず在り得ないから騒がれるのであって、誰しもがホイホイ叶うのなら見向きもされないのだ。
僕の朝食のトーストが、上手くキツネ色に焼けたからといってニュースになんか為らない。
それと一緒だ。
普通の人間は、生まれもった特別な何かなんて持っていないし、叩かれたり失敗したりしたら折れちゃうし、目の前のことだって簡単には見通せやしない。
逃れられない現実に翻弄されながら、何とか必死に抗っても容易くひっくり返されて、問答無用に押し流されていくだけなのである。
何か間違って居るだろうか。
でも、抗うのが全て無駄と言うほどにまで悲観的な訳でもない。
満員電車の中でも身じろぎすれば少しずつドアに近づけるし、自分の降りたい駅で降りることも出来る。流石に電車の行き先を変えることは出来ないけれど、毛先ほどのささやかな願いなら叶えることは出来るのではないか、そういう事だ。
無論、大きな願いを叶えるには実力と才能が必要なんだろう。
他はそうだな、運だろうか?だがそれ以上にコツコツと積み重ねたその結果であると思いたい。でなければ、日々悶々と当て所なく積み上げるだけの者は空しくなる一方だ。
特別な何かを持っていなくったって、失敗を取り繕いながら歩くことは出来るし、食いっぱぐれない程度の毎日なら何とか叶えられる範疇だ。これも夢が叶えられたというのなら、確かにそうなのかも知れなかった。
だというのに、人の欲望というものは本当に果てが無い。無責任で根拠皆無で、希望だの輝かしい将来だのを貼り付けた物言いはそこら中に在った。
映画やドラマ、歌の歌詞や人気のコンテンツなんて正にそれ。
ピカピカに装飾された絢爛豪華な決め台詞は、それこそ掃いて捨てるほど乱舞している。様々な出版物や求人広告、販促用のカラフルな煽り文句だって似たようなものだ。
やおらあなたの願いを叶えるだの、未来を拓くのはあなただの、情熱溢れる若い力だのと言ったコピーが目に付く。
耳当たりは良いけれど何だかなぁ。
何故見知らぬ発信者が、赤の他人の願望を叶えられるなんて断言出来るのだろう。初対面の者が未来を拓く才能や実力をどうやって見抜けるというのか。
実におめでたい。おめでたすぎて溜息が出てくる。
神様なら苦もなくやってのけるだろうけれど、彼のお方はたぶん滅茶苦茶忙しくって、いちいち人一人の先行きなんかに構っている暇なんて無いと思う。
それに当人ですら気付いていない「秘めた実力」なんてモノは、大抵端から持っていないモノなのだ。持っていれば自分で気付くし、気付いていれば最初から自分でやっている。
むしろそれが分っているからこそ、みんな夢を見てしまうのかも知れない。
仕事が終われば様々なエンターテイメントやコンテンツの中で夢を見て、或いはウサを晴らし、一時の現実逃避にささくれた気持ちを癒して再び月曜の朝を迎えるのだ。奇想天外な運命の岐路、降って湧いた幸運、スペシャルなサプライズは物語の中だけなのである。
でもしかし情熱か。
情熱ねぇ。そうか、そういうモノもあったな。
でも今の僕にはもの凄く縁遠い台詞に思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます