アイドルの秘密は溺愛のあとで

またり鈴春

第1話 奪われた初キス

 パチパチと。

 燃え盛る炎に包まれる私のアパート。


 季節は一月。


 冬特有の乾いた空気と、

 たまに吹き抜ける突風により……



「格安木造アパート、全焼とは……」



 火の勢いってスゴイ……。

 何がスゴイって、炎がどんどん大きくなっていって、あっという間にアパートを飲み込んでしまう所。



「お母さん、出て行ってて良かったね……」



 誤解がないように言うと……


「ちょっと用事で留守中」とか、

「少し買い物に出ている」とかじゃなく。


 お母さんは、永遠に出て行った。


 幼い頃に両親が離婚して以来、母に育てられて来た私。だけども今朝、その母は書き置き一枚でアパートから姿を消していた。



『冷蔵庫におにぎりあるからね』



 そのおにぎりも、アパートが燃えた今は、炭になってるわけだけど……。



「おにぎり、食べたかったなぁ……」



 栗色ロングの私の髪に、空中を舞う灰が絡まる。黒色の斑点が、髪に浮かび上がった。



「はぁ、今日のお風呂大変だよ……。髪が長いとただでさえ洗うの面倒なのに。じゃなくて……!

 お風呂どころか、今日私が寝るところも無くなったよね……!?」



 新年明けましておめでとうございます、のお焚き上げのノリでアパートを見てたけど……。


 え、あの炎の中に私の全財産あるよね? 微々たる額とはいえ。それにお金だけじゃなくて、学校のカバンや制服や教科書、ノート、そして文房具。



「だけじゃなくてパジャマも!!」



 ヤバい! 完璧にヤバい……!

 本当にヤバい! 何も残ってない!


 何も手元にない!


 今日は土曜日だから、私はダルダルの部屋着で外を散歩してただけで、今手の中にアパートの鍵が一つあるだけ……。



「じゃあ下着も……!?」



 その時、消防士さんに「下がって!」と注意されてしまう。



「わ……!!」



 慌てた私がコケそうになった、

 ちょうど、その時――


ガシッ



「(…あれ?)」

「あっぶねぇな」



 あれ?

 私、誰かにギュッてされてる?

 誰かに包み込まれてる?


 大きな手が、私の腰を掴んでいるのが分かる。そしていとも簡単に、私を真っ直ぐ立たせた。



「あ、ありがとうございます……」

「ん、気をつけろよ」

「は……い!?」



 ペコリとお辞儀をした後。ビックリしすぎて、声が裏返っちゃった。

だって!



「(なんと言う顔の小ささ! いや服が大きいだけ!? ひょっとして来年以降も同じ服を着るため、節約してスリーサイズくらい大きいのを買ったの!?)」


 もしかして……仲間?

 貧乏仲間!?


 チラッと男の人を見ると……

 うわ、すんごいイケメンだ。


 だけど、なんでそんなに深く帽子を被ってるんだろう?真夏でもあるまいし。



「(それに、なーんか見た事あるような気がする……)」



 初対面なんだけど、初対面じゃないような……。誰だっけ?

 記憶を手繰り寄せている私に、イケメンが「おい」と話しかける。



「もしかして、この家……お前の?」

「私のっていうか……。私の住んでた部屋があるアパートです」

「げ、マジかよ……」



 男の人は顔を歪めて、まるで自分に起きた事のように絶望の表情を浮かべた。もしかして、哀れんでくれてるのかな……?



「(優しい人なんだろうけど、今はちょっと心に突き刺さるというか……)」



「可哀想な目」で見られると、胸がキュッと苦しくなるから苦手。こういう時は、退散するに限る。



「さっきはありがとうございました! では、これで!」

「え……あ、おい!」



 向きを変えてダッシュ――しようとしたけど、今日の私はとことんツイてないようで。


 ドンッ


 誰かにぶつかって、今度こそ尻もちをついた。

 あぁ、今日は本当にツイテない……。


 だけど――どんな時でも、助けてくれる人はいるみたい。私に「ハイ」と救いの手が伸びる。



「うわ! めっちゃカワイイね君ー!!え、なに? 家が燃えちゃった感じ?」

「は、はい! そんな感じです……」

「マジ!? やっべー超やべーじゃん!!」



 すっごくチャラそうな男の人。「そっかそっか〜」って相槌の仕方もチャラい。



「家が燃えちゃったかー、そりゃ大変だ!!じゃあね、俺についてきて! 今日タダで泊まれる所を教えてあげる!」

「ほ、本当ですか!?」



 昔、お母さんに「タダより怖いものは無いけど状況に寄っては乗るのもあり」と教えられた!



「(たぶん、今がその状況って事だよね!)」



 乗る!!


「こっちだよ〜」と路地裏を指さすチャラ男。その人について行こうとする私。


 だけど、その瞬間――



「はぁ……まさか。お前がこんなに悪い子だったとはな」

「へ?」



 グイッ


 さっき助けてくれたイケメンに、腕を引っ張られ、そして抱きしめられた。


 しかもそれだけじゃなくて。


 イケメンは私のアゴに手をやって、クイッと角度を上げる。それはまるで、キスする直前のしぐさのようで……。



「俺とケンカしたからって、当て付けみたいに他の男にホイホイついていくなんて……」

「へ!?」



 かお近! ってか、かお良!

 まつげ長! 唇うっす!!


 男子なのに、この端正な顔立ちは何⁉

 女子にケンカを売ってるとしか思えない!



「(でも、目の保養……っ)」



 だけど興奮する私の頭の隅で、やっぱり「どこかで見た事ある」という気持ちもあって……。



「(喉まできてるのに、思い出せない……)」



 歯がゆい表情をする私に、イケメンは「聞いてんのか?」と私の顔をのぞき混む。



「なぁ、仲直りしようぜ」

「なかなおり?」



 なかなおりって、仲直り?

 さっき初めて会ったばかりの、あなたと?



「そう仲直り。ほら、目ぇ閉じろ」

「え、ンッ……!?」



 いきなり唇に柔らかい物が当たる。ふにゅ、と。まるでマシュマロみたいな感触。



「(え、これってもしかして!?

 いや、もしかしなくても――キス!?)」



 え、なんで!?

 どういうこと!?


 だけど、こっちがパニック状態であるのをいい事に、イケメンのキスの長いこと長いこと……!


 怒った私がイケメンを殴ると、まるで「仕方ねぇなぁ」と言わんばかりの顔で離れていった。


 もちろん私は酸欠。だけど、肩で息をしている私を見てイケメンはニヤリと笑う。



「続きは帰ってから、だろ?」

「はぃ……」



 もう、なんなの、この人……。しかも人生初のファーストキスが、路チューなんて……。


 草葉の陰から見守ってくれてるお母さんに、何て報告したらいいのか……。



「(いや、お母さんはただ失踪しただけだった……)」



 あぁダメだ……。パニックで頭が働かない……。

 実の母を勝手に昇天させるなんて、相当どうかしてる。


 ってか、チャラ男がいつの間にかいない。

 逃げたな、あの人……!


 反対に、私のファーストキスを奪ったイケメンは、未だに私を抱きしめてるし……。



「もう、好きにしてください……」



 何も言い残すことはない……。

 っていうか、お腹が減って何も考えられない……。


 だんだんと、体の力が抜けていくのが分かった。



「は? え、マジで? おい! お前!!」



 薄れゆく意識の中、ふと聞こえてきたのは――音楽。男の子たちが元気な声で歌っている。



「(もう。勘弁してよね本当……)」



 私はアイドルが嫌いなんだから――


 その言葉を口にしたか、していないか。それはハッキリと覚えていない。


 だけど意識を手放す中。



「好きにしてください、なんて……。冗談でも言うんじゃねぇよ」



 私の唇を奪ったイケメンが弱々しく喋り、切なそうに私を見つめたのがわかった。


 そして最後に、とびきり優しく私を抱きしめたのも知ってしまう。



「(あったかい……)」



 次に、私が目を覚ました時。

 その時の温もりを、仄かに覚えているのだった。

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