第30話 叫べ、本物の愛を――
弱々しい声に優輝はゆっくりと宮坂を下ろす。壁に背もたれ足を床に伸ばす。
背中に手を当てる。それを前に持ってくると手の平は血で濡れていた。
それを見て宮坂は自分の状況を納得し優輝は戦慄した。
「宮坂さん……」
赤く染まった手に優輝の声は絶望感に染まっている。銃で撃たれた。
自分ではどうすることも出来ないしこのままでは取り返しのつかないことになってしまう。
それが優輝をさらに追い詰める。
「大丈夫よ、沓名君」
怯え、不安、焦り。それらを宥めるように、宮坂の声は優しかった。
「私は大丈夫」
そんなのは強がりだ、そんなの誰の目から見ても明らかなのに。それでも彼女は言うのだ、大丈夫だと。
「でも、背中が」
「そうね。撃たれちゃった。ちょっと、歩けないかも」
「そんな」
彼女はもう歩けない。その事実に優輝の表情はますます暗くなる。
「ごめんね、これ以上は一緒に行けない。君だけで行くの。いい? よく聞いて」
やせ我慢しているが顔はどうしても傷の痛みに引きつってしまう。それでも言わなくてはならない。
「君ならやれるわ。妹さんのことを思い出して。君は強い。君ならやれるわ。妹さんを、救うんでしょう?」
「でも、でも宮坂さんは?」
優輝は彼女の正面に膝をついて彼女を見つめている。
自分が行けば彼女は一人きりだ、この怪我でどうするというのか。
「私はここに残って時間を稼ぐわ。だから大丈夫」
「そんなの駄目だ! 宮坂さんも無事じゃないと!」
この怪我が治ることは不可能だ。彼女はここで死ぬつもりだ。そのことに優輝の目からは涙が零れる。
今まで自分を支えてくれた人が、目の前で死のうとしている。
「ありがと。そう言ってもらえて嬉しい」
一番大切なのは妹だろう。けれど自分のことも心配してくれていることに宮坂は小さく笑っう。
彼は涙を流してまで自分のことを思ってくれている。
それが、こんな状況でも嬉しい。
「でもね、目的を忘れちゃ駄目よ。君は愛羽さんを助ける、そのためにここにいるんでしょう?」
「でも!」
「行きなさい!」
自分のことを心配してくれるのは嬉しい。
とても誇らしい気持ちになる。しかしこの時間は贅沢で長引かせるわけにはいかない。
目的達成のためには早く行かなければならない。
「ここに来るまでみんな犠牲になった。それを無駄にしないで」
宮坂は彼を見る。彼を送り出すように、力強い目で。彼にみんなと自分の分の決意を託す。
けれど、だけどもだ。
(ああ)
最後の最後で、思ってしまった。
涙を流しながら自分を見つめる少年の表情に、どうしても過去のことが思い出される。
彼へと抱く思いがわがままをしようとしている。
それは甘えではあるけれど。
「私は、君の役に立てたかな……?」
彼から答えを聞きたくて、彼の口から言って欲しくて。彼の言葉を聞きたくて。そんなことを聞いてしまった。
「当然でしょう! あなたは、俺の恩人だ! ここまでしてくれて、感謝してもし足りない。なのに、俺はあなたになにもお返しできない……!」
(ああ)
その言葉に胸が温かくなっていく。その思いが全身に広がって、体中で幸せを実感している。
ここまで頑張ってきて、よかったと。
「そんなあなたを置いていけない。それに、俺一人でどうすれば」
宮坂までなくなればいよいよ優輝は一人だ。こんな異常事象の中一人きりで進めるはずがない。
そんな優輝に宮坂は手を伸ばし彼を引き寄せた。
そして、キスをしたのだ。
二人の顔が離れる。驚く優輝に宮坂は微笑んだ。
「大丈夫。君ならやれる」
不安なのも分かる。怖いのも分かる。だけど君なら出来るとエールを送る。
宮坂は彼の胸を小さく押した。
「行って。あなたの役目を果たすのよ」
彼の目的を、彼の手で達成するために。
「行って!」
優輝は立ち上がった。彼女に頭を下げ、勢いよく走り出していった。その背中を見送る。
振り返らないで、愛しき人よ。あなたの願いのために私はここまで来たのだから。
その祈りは届き優輝は走り去っていった。背中は見えなくなり宮坂は安堵する。彼なら大丈夫。
どれほどの恐怖や危険があろうと彼ならやり遂げる。
そういう存在であり、なにより彼が沓名優輝だからだ。
だから宮坂は心配してしていない。代わりに彼の行動を支援するためにも自分はここで足止めしなければならない。
(腎臓をやられてる。これは無理だな)
本当なら立ち上がって果敢に戦いたいところだがそれは無理そうだ。
彼は無事を祈ってくれたが生きて帰るのは絶望的に無理そう。
(だけど、清々しい。胸が充足感で満ちている。後悔なんてない。私は今、幸せだ)
肉体的には致命的だが心情的にはかつてないほど士気が高まっている。今ならなんでも出来そうだ。
(ありがとうみんな、ありがとう。おかげで私はここまで来れた。最後まで彼と一緒にいられなかったのは残念だけど。でも、一番幸せだって感じてる)
ここまで自分を支えてくれた仲間たち。彼らの献身を忘れない。
(そのためにも、まだ踏ん張らないとね。私も)
最後まで頑張ってくれた仲間がいる。今も頑張っている彼がいる。なら自分も今、最後まで頑張らなくてはならない。
(ここはかなり高い現実空間。私たちの現実とは別物と言っていい。要は私に起きている現実はここでは現実にならない。なら!)
宮坂はナイフを取り出した。それを大きく振り上げ、狙いをつけ振り下ろす。
「宮坂、いるか!?」
そこで声が聞こえてきた。中水の声だ。
「ええ、いるわ」
「少年は先か?」
「ええ、先に行かせた」
角の向こうから聞こえる声に返事をする。姿は見えない、ただ声だけでやり取りする。
「この大バカ者が! どうしてこんなことをした!?」
「分かるでしょ」
向こうから足音が聞こえてくる。一人分だ。宮坂はライフルを手繰り寄せ銃を構える。
けれど足音は角の直前で止まると腰を下ろしたような物音が聞こえてきた。
「ああ、分かるよ」
声が近い。宮坂は銃を下ろすことはしなかったが中水との会話に少し気持ちを楽にしていた。
「どうして教えてくれなかったの?」
「あいつが、異常存在だったことか?」
「ええ」
「お前なら言うのか?」
彼からの質問に答えられない。そんなの決まっている。
「初めから知ってたの? 十年前も?」
「ああ。あいつ自身からもいろいろ話を聞いたよ。報告通りさ、あいつに関しては変化なしだった。問題はお前だよ。お前はあいつに入り込んでたからな。その結果がこれだ。せっかく助けてやったのに裏切りやがって」
「ごめん。それは謝る。でもだからといってしないわけにはいかないでしょ。彼は今年も頑張ってる、妹を助けるためによ。それに私は恩返ししたいだけ」
「俺への義理は? 組織への忠誠はどうした?」
「それならたくさんしたでしょ。申し訳ないとは思ってる」
「なら世界はどうだ? 沓名愛羽が目覚めた時世界はどうなる?」
「分からないわ。ただ兄妹が再会するだけよ」
「ハッピーエンドで終わるとでも?」
「感動の再会よ、ポップコーンがよく売れるわ」
そこで一旦会話が止まる。砕けた会話を続けるがこの時も宮坂の出血は続いている。
「今日もワッパーなの?」
「当然だ、出撃前はこれに限る」
どう会話を続ければいいのか分からず、下手くそな話を続ける。
「もういいだろう、投降しろ。お前の反抗ごっこもここまでだ」
「投降はしない」
もう後戻りできないところまできている。ここまで来て諦めることはしない。
それが自分の死を意味していてもだ。
「そこまであいつが大事だったか?」
「ええ」
質問に即答する。それは彼女の芯のようなものだ。
「あいつは人間じゃない。それでもか?」
「変わらないわ。彼が彼であることに変わりはないもの。まあ、ショックは受けたけどね」
苦笑いが漏れる。二年前のあの時のことは今もよく覚えている。報告書を見た時の衝撃は忘れられない。
「お前は知るべきじゃなかった。これは他の連中に任せてお前は休暇を楽しんでればよかったんだ。だから働き過ぎだと言ったんだ」
「私の特戦生活は汚染病院から始まった。ならここで終わらせるのが筋でしょう?」
「いい加減にしろ!」
そこで中水が飛び出してきた。角から彼が現れ引き金を引こうとも思ったが、出来なかった。
彼もライフルを持ってはいるが構えておらず、その表情は血を流して座り込む彼女の姿を痛ましく思っていた。
「馬鹿が……」
その姿に表情を歪ませる。彼は後悔の固まりのような表情で現実から目を背けたがっていた。
「お前の気持ちには気づいてた。だから巻き込みたくなかったんだ。以前俺が言ったことを覚えてるか? お前を救えたことで胸を張れるって話だ」
「ええ。覚えてる」
病室で目を覚ました時彼はそう言ってくれた、自分を心配する気持ちと共に。
特戦の任務には後悔が付き物だ。犠牲ばかりの作戦に己を呪いたくもなる。
その中で彼女は紛れもない輝かしい成果だから。
彼にとって宮坂は特別だ。それが組織を裏切り目の前で死のうとしている。中水の心情はぐちゃぐちゃだった。
「あいつは異常存在だ、現実じゃないんだ! そんなやつにお前は命を、人生のすべてを捨てるつもりか! ここで死ぬまで戦うつもりか!? 異常存在一人のために!」
荒ぶる気持ちを言葉に変えて石のように投げつける。痛いほどの言葉の連続。でもそれが彼の素直な気持ちだ。
彼の思いを受けて、宮坂は体に力を入れた。体を起こし彼と向かい合う。
自分はここで死ぬだろう。たった一人の少年のために。彼のために彼女は輝かしい経歴も人生も捨てたのだ。
そこに後悔はないのか? 微塵も? 欠片もない? 他人が羨むような人生も生活も手に入れられるのに? 最後は裏切り者として死ぬ、そんな人生でいいのか?
中水や他の人はそう思うだろう。だけど彼女は違う。
高現実に汚染され、それでも言うのだ。
なにが現実かも分からない異常空間の中で。
叫べ。本物の愛を――
「初恋だぞ、当然だろ」
死んでもいい。恩人のため、思い人のため。一度救ってくれたこの命、彼のために使い捨てるなら悔いはない。
それが彼女の戦う決意だ。
彼女の出血はもう止まっていた。体の痛みは引いていき体は快調に向かっている。
その異変、それに中水も気が付いた。
「お前、げんこつを壊したのか?」
宮坂の腰に付けてある携行式現実固定装置。通称げんこつは壊れていた。さきほど彼女がナイフで壊したためだ。
これにより彼女は高現実帯に丸裸で晒されることにより現実が上書きされていく。
怪我を負ったという現実が薄まっていったのだ。
「ここがどこであろうと、私の気持ちは現実(ほんもの)よ」
だがそれは決して治療を意味しない。むしろ絶望的だ。
病院の廊下を肉体に変えるほどの高現実汚染、そんなものに晒されて無事なわけがない。
彼女の全身からは赤い毛が生え始め鼻筋はさらに高く伸び犬歯が口からはみ出していく。
耳も尖り両手の爪が異常に伸びていく。
それは人間ではない。人間という形が汚染され別のものになっていく。それでも今なら戦える。
「ここは行かせない!」
「ちぃ!」
宮坂は走った。中水も武器を構える。部下も廊下に現れ銃声が鳴る。
戦闘が始まった。世界の安定のため日夜異常と戦う闇の貢献者。
対して愛する人のため命を賭して戦う獣人の女性。
どちらの信条にも貴賤はなく、互いのすべきもののために力を振るう。
その姿はどちらも正義であり素晴らしいものだった。
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