汚染病院

奏せいや@Vtuber

第1話 兄と妹(改)

 金色の髪をした優しい母が沓名優輝(くつなゆうき)は好きだった。ソファに座る母の隣に並び最近特に大きくなったお腹に耳を当てている。

 

「どう、聞こえる?」

「ううん、聞こえない」


 母に宿る新しい命。なにも聞こえてこないがこの中に自分の妹がいるという。それがどんな意味を持つのか、まだ四歳の優輝にはいまいちピンとこない。本当に赤ちゃんがここにいるのかも不明だ。


 そう思っているとお腹の中から軽い衝撃があった。


「動いた!」


 ちゃんといる。母を見上げ優輝は顔を輝かせた。


「ええ。動いたね」


 妹がいる。初めて実感した。このお腹の中に赤ちゃんが。そのことに驚きとちょっとした感動を覚える。

 

「優輝はお兄さんになるんだから、ちゃんと守ってあげなきゃ駄目よ?」

「そうなの?」

「そうよ。お兄さんなんだから」


 見上げる母はそう言うと微笑んだ。新たに生まれてくる妹だけでない、目の前にいる我が子にも愛を込めて。


「優輝ならなれるわ、立派なお兄さんに」


 その意味も母の寄せる期待も今の優輝にはやはりピンとこなかった。


「約束よ」


 そして、母は帰らぬ人となった。新しい命と引き換えに。


 病院の待合室、長椅子に座る優輝の隣で父が泣いている。なぜ泣いているのか不思議に思っていたが、聞けなかった。


 聞いてはいけない気がして、話しかけることも出来ずただ見つめているだけだった。


 母が死んだ。それを分かるようになったのはそれからだいぶ後のことだった。自分に残されたのは妹と立派なお兄さんになるという約束だ。


 母はもういない。だからこの子は自分が守らなくてはならないと、子供心に優輝は固く誓うのだった。


 それから優輝と妹、沓名愛羽(くつなめう)の生活が始まった。父は仕事で帰りが遅くその分愛羽の世話を見るのが自分の役目だ。


 自分もまだまだ世間一般から見れば子供だがそんなの関係ない。


 赤ん坊の妹を抱きかかえる。重たい。落とさないよう気を付けるが愛羽はお構いなしに手を伸ばしてくる。小さな両手が頬を触り耳を引っ張ってきた。


「痛いって」


 それから愛羽は一歳になった。母譲りの金色の髪が小さく生えて愛羽は積み木で遊んでいる。


 お気に入りのお城を作っていくが、遠くにあるパーツを取ろうと立ち上がる。まだぎこちない歩みはつまずいてしまい大泣きしてしまった。


「ほら、これだろ?」


 愛羽の欲しがっていたパーツを手渡してあげる。それを受け取ると愛羽は泣き止みお城を完成させた。


 さっきまでの涙はどこにいったのかと呆れるほどの無邪気な笑顔がそこにある。そんな妹に優輝はやれやれと、けれど小さく笑っていた。


 それから時間が経って、優輝は中学生、愛羽は小学生となっていた。


「お兄ちゃん!」


 愛羽はすっかりお兄ちゃん子に育ちなにかとあれば自分に頼ってくる。


「ねえ、お兄ちゃんって二重飛びって出来る?」

「出来るよ」

「見せて見せて!」


 愛羽にせがまれ家の外に出る。優輝は縄跳びで二重飛びを披露する。そんな自分を愛羽はヒーローのように見つめていた。


「お兄ちゃんすごい!」

「愛羽も練習すれば出来るようになるって」

「できるかな」

「教えるよ、大丈夫大丈夫。練習すればできるって」


 それから愛羽の練習が始まって、日が沈み暗くなり始めたころだった。


「出来た!」

「やったな!」


 初めて二重飛びが出来た。愛羽は喜びそんな彼女を優輝は盛大に褒めた。


 これが、二人が最も兄妹らしいやり取りをしていた時期だったのかもしれない。


 二人に溝ができるきっかけは唐突に訪れた。


「ねえ、お兄ちゃん見て見て!」


 愛羽が興奮気味に手を引いてくる。いったいなんだろうかと優輝はやれやれと部屋へと案内される。まだ夕食の準備が終わっていないから早めに終わって欲しい。


 そんな風に思いながら愛羽の部屋へと案内される。中には勉強机とベッド、その上にはダルメシアンの犬のぬいぐるみが置いてある。


「なんだよいったい、俺まだやることがあるんだけど」

「いいから見てて!」


 愛羽は手を放して部屋の中央に立つ。そこにはランドセルや教科書とノートが散らかっている。


 愛羽はそれらに手をかざす。それから念じるように表情に力を入れた。


 すると教科書やノート、ランドセルまでも浮かび始めたのだ。


「え?」


 ふわふわとまるでシャボン玉のようだ。ついには愛羽の頭上にまで浮上しそれらはゆっくりと回っている。


「どうどう? すごいでしょ!」

「すげー! どうやったんだよこれ。手品か?」

「ううん、念じたら出来たの。浮かべって!」

「そんなのあるわけないだろ」


 さすがにそんなはずがない。きっと糸かなにかで吊り上げているんだろう。そう目星をつけて手を通過させてみる。


 しかし手は教科書の上を通り過ぎてしまった。それだけでなく横や下に手をやってもなにもない。磁石で動かすにしても金属ではないしますます分からない。


「なあ、これ本当にどうやってるんだ?」


 お手上げだ。小学生の妹に負けたようで癪だが本当に分からない。


「だから」


 それで聞くのだが、愛羽の答えは同じだった。


「念じたら出来たんだよ。これだけじゃないんだよ?」


 そう言うと愛羽は勉強机に置いてあるコップを持ってきた。中には麦茶が入っている。


 愛羽は念じる素振りを見せると麦茶が回り出しオレンジジュースへと変わっていった。


「ほら? すごいでしょ? 念じただけでオレンジジュースになっちゃうんだよ!」


 自分を見上げるその顔は輝いている。すごいと思って欲しい、すごいと褒めて欲しい、そんな期待をありありと滲ませる瞳。


 けれど、優輝の思いは全くの反対だった。


 驚きは、いつしか醒めていた。


 興奮は、いつしか恐怖に変わっていた。


 分からない。未知。理解できない目の前の現象に優輝は感心よりも危機感を抱いていた。


「なあ、これは誰かに話したのか?」


 期待していた反応とは違い愛羽は面食らっている。優輝の質問になかなか答えない。


「これを俺以外の人に見せたのか!?」

「ううん、見せてないけど……」


 これを知っているのは自分だけ。大丈夫、まだ間に合う。


「いいか? これは俺と愛羽だけの秘密だ。それとこれはもう二度とするな。いいな?」

「え? なんで?」

「いいから! 分かったな?」

「……うん」


 力づくで言いつける。愛羽は落ち込んでいるようだが仕方がない。彼女の心情を表すかのように浮かんでいた教科書類も落ちていった。


 必要なことだった。こんなことが誰かにバレたら、世間に知られたらきっと大変なことになる。そのせいで愛羽がどんな扱いを受けるのか。


 彼女を守るためにも、これは仕方がないことだった。


 それから愛羽との間に距離が生まれていた。どこか接しずらく一緒にいても気まずい空気が流れてしまう。

 

 そんな時だった。優輝は自室で勉強している。父だけの給料ではお金に余裕がない。進学するなら私立は無理だ。公立に行くためにも優輝は勉強していた。解けない数式にシャープペンをこめかみに当てている。


 すると隣にある愛羽の部屋から物音が聞こえてきた。少々大きい。とはいえすぐに落ち着いたのですぐに教科書に目を戻す。


「ワン!」

「ん?」


 次の瞬間犬の声が聞こえてきた。映像の音声にしてはずいぶんリアルだ。それで以前愛羽が犬を飼いたいと言っていたのを思い出す。お金がないしここはペット禁止なので犬は飼えないと伝えその時は諦めてくれたのだが。


 まさか。優輝は席を立ち愛羽の部屋の前に立つ。


「愛羽! ここを開けろ!」


 ノックするが開ける気配がないのでまたノックする。さっきよりも強めに。それで愛羽が躊躇いがちに開けてきた。


「なに?」


 それを強引に開き中へと入っていく。


「ちょっと! 勝手に入らないでよ!」


 妹の制止を無視して部屋を見渡していく。一見変わったところはない。


「止めてよお兄ちゃん、今すぐ出てって!」


 愛羽はそう言いながらクローゼットの前に立つ。それで察した優輝は愛羽をどかした。


「止めて! 止めてよお兄ちゃん!」


 体を引っ張てくるがそれを片手で制止し優輝はクローゼットの扉を開ける。


「あ」


 瞬間愛羽は絶望したように声を漏らし、優輝の表情は激しく歪んでいた。


 そこには、犬のぬいぐるみがあった。昔からお気に入りのダルメシアンのぬいぐるみ。でも違う。それは自分で立ち、今もしっぽを振りながら二人を見上げていた。


「ワン!」


 おまけに、これは鳴く。


 普通じゃない。明らかに異常だ。ただのぬいぐるみが犬のように動いたり鳴き声を出すはずがない。


 愛羽が、不思議な力を使ったのは明白だった。


「いつからだ?」


 愛羽は答えない。現実から目を背けるように俯いている。


「いつからしてたんだ?」


 二度目の質問。それでも愛羽は答えない。きっとだいぶ前からしていたんだろう。今まで隠していたがバレた。そんな前から愛羽は不思議な力を使っていた。


 このぬいぐるみは放っておけない。それを察した愛羽はダルメシアンのぬいぐるみを抱きしめた。


 必死に兄から守ろうとしている。それが嬉しいのかダルメシアンは大きくしっぽを動かしていた。


「なんで使ったんだ? 言っただろ、それは二度と使っちゃ駄目だって」


 反対に優輝は穏やかではない。あれほど言いつけたことを愛羽は破ったからだ。


「だって……」

「だってじゃない! いいか、愛羽がこんなことを出来るって誰かに知られたらどうなる? 大変なことになるって前に教えたよな?」


 優輝の説得に愛羽は泣きそうだった。言い返すことも出来ず怒る優輝に怯えている。けれど優輝も我慢出来なかった。愛羽のしたことは自分を裏切ったのも同然で、とても危険なことだ。


 愛羽を守るためなのに。どうしてそれが伝わらない?


 優輝は一旦怒りを収め、それでも厳しい声で言う。


「その子をただのぬいぐるみに戻すんだ」

「そんな!」


 愛羽が振り返る。だけどこれは絶対だ。


「いますぐ戻すんだ。愛羽!」


 強く言い聞かせる。それで観念したのか、愛羽はダルメシアンをさらに抱きしめた。


「ごめんね……!」

「ワン!」


 その子の頭を優しく撫でる。なにも知らないぬいぐるみは嬉しそうに尻尾を振っているが、その動きが途端に止まる。それどころか固定され身動ぎすらしなくなっていた。


 愛羽は不思議な力を解いた。


「もう、しちゃ駄目だからな」


 最後にそう言って優輝は部屋を出ていく。扉を閉め自分の部屋に戻っていった。


「うあああああ! うわああああん!」


 扉越しに愛羽の泣き声が聞こえていた。


 それから時間が経って。優輝は高校生になり愛羽は中学生になっていた。二人の会話はさらに減り明るかった愛羽は中学生になってから大人しくなっていた。



 家で笑うこともめっきりと減り、それを気にするがどうすればいいのか分からない。


 昔はあんなに仲が良かったのに。今では他人よりも遠い気がする。


 そんな時だった。優輝は自室で勉強している。お金に余裕がない、またいい仕事に就くためにも優輝は国立を目指していた。いい仕事に就ければそれだけお金が入る。


 まとまった仕送りが出来ればもっと豊かに生活できる。愛羽にもいろいろ我慢させているところがあるが、それもお金があれば解決できる。


 引っ越し出来れば犬でも飼ってあげようか。そんなことを漠然と思っていた。


 優輝は参考書と過去問を必死に読んでは解けない古文にペンを回していく。


 そこでノックする音が聞こえてきた。


「兄さん、今いい? 話があるんだけど」


 それは愛羽の声だ。元気のない声。落ち込んでいるのが分かる。


 だけどこの時の優輝は勉強に必死でそこまで余裕がなかった。模試の結果は悪くないがもっと余裕が欲しい。A判定にはまだ遠い。


「悪いけど後にしてくれないか? 今忙しいんだ」

「うん……ごめんね」


 扉越しに声が聞こえる。そういえばと気づき優輝は聞いてみた。


「あの力は使ってないんだよな?」


 言いつけは守っているのか。あれは危険だ、この生活を一瞬で壊す可能性だってある。


「……うん」

「ならいいんだ」


 優輝は勉強を再開していった。


 それから数日後、学校帰りの通学路を優輝は単語カードを片手に歩いている。英単語をパラパラとめくり歩いていくが、ふと見慣れない黒のセダンが止まっているのに気が付いた。


 住宅街なので普段見ない車はすぐ分かる。とはいえ珍しいくらいで気にするほどのことでもないのだが、その車の後部座席は窓が黒塗りされていた。


(ふーん……)


 変わっている。それにその車からはどこか違和感があった。


 優輝はなるべき気にしないように単語カードに目を落とし通り過ぎていく。それからふと振り返ってみた。


 そこでサイドミラー越しに運転手と目が合う。黒のスーツを着ている男性だ。


(俺を見てる?)


 ただ目が合っただけ、そのことになにか嫌な予感がし優輝は走り出した。


(なんだあれ。普通じゃない。警察? まさか、愛羽のことか?)


 愛羽が持つ不思議な力、その存在がバレた? それを嗅ぎ回っている? 警察か、もしくは異常を扱う秘密の組織?


 ただの妄想と切り捨てればそれまでだが優輝にはなかなか出来ない。気にし過ぎでは? そうも思うが反面もしかしたら? という予想を止められない。


 嫌な予感がする。しかし優輝に出来るのはただの杞憂だと信じることだけだった。 



 それから、愛羽のクラスメイト二人が事故と病気に合ったと知ったのはその後だった。


 愛羽の部屋で優輝は妹と向き合っている。中学の制服を着た愛羽は俯いていた。


「どうして力を使ったんだ!?」


 部屋の空気は重苦しい。優輝は声を張り上げその度に雰囲気は険しくなっていく。


「もう使わないって約束しただろ!」

「使ってない」

「使ったに決まってるだろ! 交通事故だってあそこは見渡しがいいし事故も一回も起きてない。病気になった子だって昨日まで元気だったのに若年性のガンで倒れるなんておかしいだろ!」

「…………」


 偶然の一致では済まされないほどの異常。愛羽が不思議な力を使ったのは間違いない。


 言い逃れは出来ない。観念したのか愛羽は喋り出す。


「……だ、だって。それは――」

「なあ、なんで俺との約束が守れないんだ?」


 それを遮り優輝が話す。前のめりの言葉は気持ちの表れであり、それだけに本心だった。


 ただ彼女を守りたい。この生活を壊したくない。母との約束だってそう。兄としての責任としてもそう。そのために言っているのに。


「俺は、お前のために言ってるんだぞ?」


 本気でそう思っているから、愛羽のことが分からない。


「ッ!」


 けれど、その言葉に愛羽は表情を激しく歪ませた。


「もういい! 兄さんなんて知らない!」

「愛羽!」


 愛羽は部屋を出ていく。その時に見た横顔は泣いていた。


 優輝は追いかけるが愛羽は靴も履かず外へと出ていってしまう。


「待てよ愛羽!」


 急いで靴を履き愛羽の靴を持ってから外へ出る。


 夜の町を二人は走る。呼びかけても愛羽は止まってくれない。


 愛羽は俯き時折涙を拭う仕草を見せながら走っていた。距離はまだあるが足は自分の方が早くもう少しで追いつける。


 それで先を見るがそこは交差点だ。信号は赤になっているため行き止まり、これで追いつける。そう安心しそうになるが愛羽は気づいていないようだ。


「愛羽、止まれ!」


 愛羽は道路に出てしまう。そこにトラックが走っていく。トラックのライトが目に入ったのか愛羽は振り返るも恐怖に立ち止まっていた。


(まずい!) 


 このままでは衝突する。


『優輝はお兄さんになるんだから、ちゃんと守ってあげなきゃ駄目よ?』


 ふと、あの時の思い出が蘇る。


『優輝ならなれるわ、立派なお兄さんに』


 優輝は、手を伸ばしていた。


 愛羽の背中を押す。突き飛ばされた愛羽はトラックの正面から外れていく。


 瞬間、隣から急激に光が近づいてきた。


 光に、包まれる。


 自分は、果たして立派な兄だっただろうか? 母との約束を守れただろうか? 最近は会話もしていない。彼女の笑顔だって見ていない。


 彼女には我慢ばかりさせて。これで母さんに顔向け出来るか? 


 分からない。自分なりに一生懸命頑張ってきたつもりだったけど。もしかしたら妹を不幸にさせていただけかもしれない。


 だけど、そんな自分でも。せめて最後に彼女を守れたなら。


 立派な兄に、少しはなれたと思う。


 衝撃が、意識を引き裂いた。


「ハッ!」


 瞬間、気が付いた優輝は上体を起こす。急いで見渡すがそこは自分の部屋だ。自分は今電気の点いていない部屋でベッドに横になっている。


「はあ……はあ……なに?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る