つわもの

柿井優嬉

つわもの

 私は中学校の教員をしている。

 そして同僚に、一緒の中年世代の男性である、近藤さんという人がいる。この人は、堅い印象を抱かせるメガネやきっちり整った横分けの髪など、「典型的な日本のサラリーマン」といった、超が付くほど真面目そうな見た目なのだが、日頃の振る舞いはそのルックスの真面目度の針を正反対の方向に持っていったように常軌を逸している。変人と言って差しつかえない人格なのである。

 一例を挙げると、昨年クラス担任をしていなかった彼は、文化祭において、一人で「コンドーズ・バー」なる店を出すことにした。しかし学校で本当にバーをやるわけにはいかないし、そもそも彼は酒よりも甘いもののほうが好きということで、実態は練乳をかけたかき氷などを売る甘味処で、その訳がわからない店に客はほとんど寄りつかなかったにもかかわらず、つけひげをし、おしゃれなバーのマスター気取りでかっこつけ、商品が売れなくても己が甘いものを食べまくって、満足顔だったらしい。らしいというのは、私は舞台の仕事があり忙しかったので、目にはできなかったためである。

 そうした人だから極力関わらないようにしていたのだけれども、人間の適応力というのは恐ろしいもので、そんな異常な彼に慣れてきたのと、ちょっとした気のゆるみから、つい言葉を交わしてしまったのだった。

 それは、一日の授業を終えた、とある放課後の職員室で。壁に貼られた大きいカレンダーに目をやっているとき、向こうから声をかけられたのだ。

「おや、山口さん。そんなにまじまじとカレンダーをご覧になって、何かスケジュールでお困りでも?」

「ああ、いえ、カレンダーそのものを見ていただけです」

「ほお」

 どういうことだ? といった様子だったので、私は事情を説明した。

「朝に番組内でやっているテレビの占いなんかを、良くても悪くても気にしてしまうから、見ないようにしている人っていませんか? 私の妻がそういうタイプでして、大きいカレンダーには大抵、大安や仏滅などが書かれていますけど、それも嫌だからと、自宅で一番目にするリビングのカレンダーは日付のみのものにしていたんですね。ところが、そのカレンダーをくれていた店が経費削減で配らなくなってしまいまして。他のもらえるやつはどれも記載されているし、でも買うのは今までタダのを使っていたからもったいない気がするねなんて、ここのところ二人で話しておりまして。そういうわけで、カレンダーがあるとつい目がいっちゃうんですよ」

 すると近藤さんは笑顔で言った。

「そうですか。でしたら、ちょうどよかった。私、最近、いろんなものを手作りするのにハマっていましてね。カレンダーも経験がありますから、日付だけの大きいものを作って差し上げますよ」

 そこで、私はこの話をしたことを後悔した。

「あ、いや、いいですいいです。そんなわざわざ申し訳ないですし、買えないものでは全然ありませんので」

「遠慮なさらないでいいですよ。こちらとしては、作るのは大変よりも楽しい気持ちのほうが強いんですから」

「しかし、使い終わったとき処分するのは気が引けてしまうなど、そのようなものをいただくと気楽に扱えないと思いますので。小さいのなら日付けだけのものはあって、絶対に必要なわけでもないですし、ほんと、ご厚意だけありがたく頂戴しておきます」

 私は何度もペコペコ頭を下げて、話が終わるようにもっていった。

「そうですか……」

 近藤さんは、残念を超えて、不満のレベルまで負の感情が達しているように見受けられたものの、なんとか断る姿勢を貫いた。

「ふう」

 近藤さんが離れていき、職員室から姿を消して、私は一息ついた。

 なぜ、ああも頑なに拒んだのかというと、彼の作るカレンダーなんて尋常じゃないに決まっているからである。例えば八月にはアイドルのように水着姿の近藤さんの写真が付いているだとか。そんなものを家で一番目にするリビングに飾るカレンダーに採用できるわけがないし、使っているふりも面倒だし、捨てるのもやはりしづらい。邪魔なだけになることがほぼ確実なのだ。

 そうしてほっとしたのもつかの間、あんな話を近藤さんにしたのは返す返すも失敗だったという出来事が起きた。断って、「はい、そうですか」で終わる普通の人ではやはりなかったのである。

「ねえ。今日、なんだかよくわからない、大きい荷物が送られてきたんだけど」

 あれからしばらく経ち、学校から帰宅した直後に、妻からそう言われた。

「え?」

 その包みを見ると、送り主は近藤さんだった。どこにも書かれていないが、何が入っているかはすぐにわかった。なんと彼はカレンダーを勝手に作り、直接渡すと受け取らないかもと思ったのか、自宅に郵送してきたのだ。

「ふぐっ……」

 私は焦った。

 ただ、救いは妻が中身を見ていなかったことだ。もし包みを開け、カレンダーに推測通り近藤さんの水着ショットでもあろうものなら、彼女は卒倒してしまったかもしれない。あの人のことを私は妻に話していなかったのである。しゃべればどうしても悪口の要素を含んでしまうだろうし、ただでさえ教師は多忙だったりと大変で心配をしてくれているだろうなか、変な同僚がいるという不安まで彼女に抱えさせたくなかったのだ。

「どうしたの? 様子がおかしいけど」

 動揺を察知して、妻が怪訝な表情でこっちにじっと目をやっている。

「いや、実は……」

 包みには近藤さんの名前が書かれ、送ってきたのは男性からとわかるけれども、何らかの偽装を施したと考えられなくもないし、ここで下手に取り繕ってカレンダーを見せないようにしたら、浮気をしていてその相手からのプレゼントだとか、高額なものを相談なく購入しただとか、善からぬ行動を疑われたりして、ややこしい状況を招くおそれがある。普通に堂々としたほうがいいだろう。私にやましいことなどないのだから。

 そして私はいらぬトラブルを避けるために、今まで黙っていた近藤さんの人物像やあのときの会話といった、洗いざらいを妻に聞かせた。

「ふーん。じゃあ、ちゃんとしたカレンダーの可能性もあるわけだよね?」

「まあ……でも、それはないと思うよ。本当におかしな人なんだから」

「とにかく、開けて見てみましょうよ。目の前にあるんだし」

「うん」

 私は茶色の包みをはがした。やはりカレンダーで、手作りとは思えないほど立派な見栄えではあるが、なんといっても問題は中身だ。

 変に緊張して一度ゴクリとつばを飲み込んでから、それをめくった。

「あ!」

 私たちは揃って声をあげた。

 想像していたまさにその通り、近藤さんの水着姿の写真付きだったのだが、なんと八月のみならず、すべての月で彼は水着だったのである。女性のアイドルふうの可愛らしさを演出したものから、二枚目俳優を意識したようなキザなポーズをきめたものや、水球の選手を思わせるたくましくて男臭い感じのものまで、もし近藤さんのファンなんて者がこの世に存在するなら大満足するであろうさまざまなパターンの写真が、ひと月ごとなので十二枚あるカレンダーの上半分を占めていた。

 これは私が好意を無下にしたことに対する嫌がらせだろうか? いや、おそらくそうではない。写真の近藤さんは実に生き生きしているし、あの人はそういったタチの悪さはない。要らないと答えたカレンダーを勝手に自宅に送りつけてくるのだからタチが悪くないことはもちろんないのだが、子どもが状況をわきまえずわがままを言うようなものであって、大人による陰湿なそれとは違う。もし喜んでカレンダーを頼んでいても同じようなものになったに違いないし、なんだったらもっと派手な作りになっていたのではあるまいか。

「だけどこの人は、変人を通り越して変態だな……」

 思わず私はそうつぶやいた。

 しかし、驚きはこれで終わりではなかった。そのようにすさまじくクレイジーなカレンダーにもかかわらず、大安などは望んでいた通り記されていなかったために、妻は平然とそのカレンダーを今まであったリビングの目立つ位置に貼って、予定を書いたりと普通に利用しているのである。

 もう結婚してずいぶん経つというのにわかっていなかったが、近藤さんだけでなく、私の妻もぶっ飛んだ人間だったのだ。

「……」

 唖然として頭が真っ白になった私は、しばらくしてようやく現実を受けとめた。

 そして、彼ら二人に対して思い浮かんだ言葉は「つわもの」であった。

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