ボーイミーツガール的恋愛を現実に落とし込むための一考察

立日月

第1話 ボーイミーツガール狂

 僕はボーイミーツガールが好きだ。ラノベが一番好きだが、漫画でもアニメでも構わない。意外なところだと海外の児童文学にはそういう要素が含まれる作品が多かったりする。デルトラクエストとか。


 空から女の子が降ってくる話や転校生にバンドへ誘われる話。身分違いの二人による一夏の淡い恋物語も良い。

 共通するのは作品冒頭で少年と少女がひょんなことから邂逅する、それだけ。それ以降の話はSFだろうが、ファンタジーだろうが、ラブコメだろうが気にならない。

 そういう意味ではシチュエーションを食ってるだけとも言えるかもしれないが……違うのだ。

 冒頭で少年少女の出会いにより物語が動く以上、物語の結末は二人の関係性が変化して終わる。

 二人が結ばれるにしろ、離別するにしろ、友情に帰結するにしろ、物語そのものとは別に二人の関係性に何かしらの決着を見るのがボーイミーツガールの常だ。

 僕はそんな思春期の少年少女の感情の機微や振れ幅が丁寧に描かれた作品が好きなのである。

 ……そんな出会いに自分自身が焦がれるほどに。


 僕だってバカじゃない。ボーイミーツガール作品には欠かせない運命的な出会いが、現実ではそうそう起きるものじゃないことくらいよくわかっている。


 空から女の子が降ってきたら、普通は大事故だ。


 わかってはいる。わかってはいるが……それで割り切って現実で恋愛できるほど僕の理性と本能は物分かりが良くなかった。


 周りの人間が妥協やなんとなくで交際を始める姿に、自分はああはなりたくないと思った。

 恋愛というものはもっと相手に真摯であるべきだと。

 他の異性など眼中にも入らないほど互いに魅了された、そんな相手とこそ結ばれるべきだと。


 けれど現実問題、そんな相手が現れるのは極々限られた人達だけだろう。宝くじの上位当選くらいの限られたチケットだ。

 当然、僕はそのくじに当たることはなかった。


 だから、僕は諦めたのだ。


 運命の相手でなければ、結ばれる意味なんてない。運命の相手が現れないのなら、僕は一人でいい。


 この諦めは、恋愛耽溺者から見れば恋愛弱者の言い訳に映るかもしれないけれど、僕は本気でこう思っていた。

 惰性で恋愛をすることに、何の意味がある、と。


 だから付属の中学から高校に進学して三日目のあの日。たまたま文芸部室の扉を開いた時に目に飛び込んできた光景へ運命を感じなかったかといえば、嘘になる。


 部室の窓際にたった一人で佇む黒髪の女子生徒。その目線は窓の外を向いていて、どこか憂いを帯びていた。胸元の赤いリボンは、彼女が僕と同級生であることを示している。顔を見た覚えはないので外部組かもしれない。


 彼女が佇むその光景はまるで、ボーイミーツガール作品の冒頭のようで……僕の心を強く魅了したのだ。もしかすると恋に落ちてさえいたのかもしれない。


 ……彼女がその直後、窓から飛び降りようとしなければ。


「三階と言っても結構高いのね……。まあ、大丈夫か、行ってみよう!」

「大丈夫なわけないだろ!?」


 荒唐無稽なことを言いながらその身を宙に踊らせようとした女子生徒に、僕は泡を食って駆け寄った。

 窓から身を乗り出していた女子生徒のブラザーの裾を思い切り引っ張る。


「きゃっ!」


 そんな可愛らしい悲鳴と共に部室へと舞い戻った彼女の体は、勢い余って僕をぺちゃんこにする。


「なっ……にやってるんだよ!」

「急に何するの!?」

「それはこっちのセリフだ! 一体何を……」


 僕に馬乗りになっていた女子生徒へ文句の一つでも言ってやろうと顔を突き合わせると、想像以上にお互いの顔が近くて僕は思わずフリーズしてしまう。

 それは単に僕の女性経験の欠如だけが原因ではなく……女子生徒の容姿があまりにも美しかったから。

 これほどの近距離で見ても透き通るような肌に、人を惹きつける大きな瞳。非常に整った端正な顔立ちに艶やかな光沢を放つ長髪がとても良く合っており、端的にいって美少女と言って良かった。

 こんな女の子と十センチの距離で顔を合わせれば、僕でなくとも固まってしまうだろう。

 しかし彼女は僕の様子を歯牙にも掛けず、妨害されたことを怒っているようでプンプンという擬音が聞こえるかのようだった。


「何してるって……検証中なの! 見ればわかるでしょ?」

「検証中って、何を見たらわかるって言うんだよ……」


 僕の困惑に目の前の女子生徒は無言で壁際のホワイトボードを指差した。

 ホワイトボードを見ると、そこには『ボーイミーツガールの定番シーン』と題して様々なシチュエーションが箇条書きになっていた。その先頭には『空から女の子が降ってくる』と書かれていた。

 正直あれを見ても全く状況が飲み込めないので、とりあえず今浮かんだ疑問を口にしてみる。


「……えっと。ボーイミーツガールもの、好きなの?」


 僕の素朴な疑問に彼女は標準的なサイズの胸を張って自信満々にこう答えた。


「うん。私にとって人生と不可分と言っていいほど大切なものね。たぶんこの世にボーイミーツガールがなければ私は別人になっているよ。……もしかして、君もボーイミーツガール好き?」

「ああ、うん、まあ……人並み以上には」


 本当は自分も相当ボーイミーツガールに影響を受けている自負はあるが、目の前の女子生徒の圧に負けて控えめに伝える。


「本当!? それなら君は同志ね。名前を聞いても?」

「あー……蒼山和雄。一年一組」


 ぶっちゃけこのおかしな少女に自分の情報を伝えたくなかったけれど、彼女の行動力なら嘘をついても早々にバレてしまうと思った僕は後々のことを考えて正直に答えた。


「なるほど、同級生ね。私は春名綾女、二組よ。……そう言えばずっとのしかかってたみたい、ごめんなさい」


 女子生徒——春名さんはそう謝って僕の上から離れた。柔らかい感触が離れたことに少しだけ名残惜しさを感じたけれど、彼女の意味不明さを思い返して首を横に振る。

 お互い立ち上がると春名さんは僕に対し、部室に余っていた椅子に座るよう促した。お言葉に甘えてその一つに腰掛けつつ、僕は当初の疑問を口にした。


「あの……まだ状況がよくわかってないんだけど、春名さんはなんで窓から飛び降りようとしたの?」

「……まだわかってないの?」


 自殺志願者でもないのに窓から飛び降りようとする理由なんてわかってたまるか! ……とは言えなかった僕は、渋々頭を下げる。


「オシエテイタダケマセンデショウカ」

「はあ、仕方ないわね。君もボーイミーツガール好きならわかるでしょ? ああいう作品の冒頭ってどんなシーンから始まる?」

「……主人公とヒロインの、運命的な出会い」

「わかってるじゃない。でもあんな運命の出会いってなかなか起きないでしょ?」

「そりゃあ……そうだろうね。なかなか起きないから起きた時に運命的だと感じるんだろうし」


 ボーイミーツガールで運命の出会いというのが簡単には遭遇できないことは、僕も痛いほどよくわかっている。


「そうよね? だから……起きないなら、起こしてやろうと思って」

「……つまり、空から降ってくる女の子に自分が成ろうと?」

「ええ、私、美少女だし役者不足ってことはないでしょ」


 イカれてるだろ……。


「イカれてるだろ……あっ」


 思わず心の声が出てしまった。怒るだろうか、と恐る恐る春名さんに目線を向けると、春名さんは静かに僕は疑問を投げかけてくる。


「君……蒼山くんはボーイミーツガールが好きなのよね?」

「……うん」


 僕の答えを聞いた春名さんは、心底不思議そうな顔をしてこう言った。


「私は、現実でも物語が始まるような運命的な出会いをしたいと思ってる——君は違うの?」

「……っ!」


 春名さんの指摘は、僕の心を鋭く貫いた。それは彼女が僕と決定的に違ったからだ——運命的な出会いというものへのスタンスの違い。

 僕は、諦めていた。運命的な出会いなんて、天文学的確率でしか起こらない。起こらないのであれば、それはそれで仕方ないと。

 だが彼女は違った。

 起こらないのであれば、自分で起こせばいい。それが春名さんの行動指針で、僕には想像すらできていなかったやり方だった。


「ぁ……」


 だから僕は春名さんの問いへすぐ答えることができなかった。彼女がどれくらい本気で言っているかわかったが故に、軽率に自分と彼女を並べることを僕自身が許せなかったから。


「運命の出会いは、いらない?」

「……」


 僕を覗き込んだ彼女の漆黒の瞳は、狂ってるようにさえ見えた。

 冷静になれば絶対に関わるべきでないとわかる相手。

 それでも……ボーイミーツガールという蠱惑的な物語に囚われていることだけは自分自身でさえ否定できない。


「僕も……欲しい」


 だから僕は閉塞した喉奥から、それだけは絞り出すことができた。

 僕のなけなしの答えを聞いた彼女はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、こう言った。


「それなら……私たちは、やっぱり同志だわ」

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