4-2 冷害が始まる

原作通り、二年目の夏はかなりの冷夏となった。ついに冷害の始まりである。

季節は過ぎ、社交シーズンも終わって今は十二月。シリル陣営はまだ誰も欠けることなく生き延びている。

 

執務室で書類を捌きながら、クリストフが不安そうな声を出した。


「やっぱり少しずつ、食糧が不足し始めてますね。くうう……俺の計算に、国民の命が掛かっているんだ……胃が、胃が痛い…………」

「大丈夫だ。クリストフのお陰で備蓄もできたし、この冷害でライカ芋の栽培が一気に広まってる。このペースなら、飢饉には至らないはずだよ」


同じく書類を捌きながら、シリルが冷静に返した。フェリシアは作ってきたものを運び、皆に振る舞った。


「ライカ芋の芋団子、作ったのよ。皆、少し休憩して?」

「やったー!この芋団子、大好きです!」

「…………!」


ココが声を弾ませ、ダークが目をキラキラさせた。国民にも親しまれるようになったこのレシピは、フェリシアが考案したものである。二人の大好物でもあった。

ハンナが眼鏡をくいっと直しながら言う。


「ライカ芋は畑が痩せにくくなることも知られて、農民にも人気ですね。フェリシア様のレシピも浸透していますし、さすがですわ」

「まさか、芋団子がここまで人気になるとは思わなかったわ」

「もう国民食になる勢いですわよ。素晴らしいです」

「これ…………美味しいですから」


ダークがはふはふと、みたらしあんのかかった芋団子を食べながら、嬉しそうに呟いた。彼は無表情に見えるが、よく見ると結構分かりやすいのだ。隣にいるルーチェも嬉しそうに笑っている。


「お兄ちゃん、すっかり芋団子が大好きになったよね!」

「ふふ、ダークは育ち盛りなんだから、沢山食べないとね。また、いくらでも作るからね?」


フェリシアは思わず、ダークの頭を撫でた。こうすると彼は、更に嬉しそうになるのを知っている。


「いいなあ、私も私も!撫でてください、フェリシア様!」

「はいはい、ふふふ」


頭を出してくるルーチェのことも、同じように撫でてやる。何だかこの二人のことは、我が子のように感じてしまっているフェリシアである。ダークに至ってはフェリシアより二歳年下なだけなのだが、無性に母性がくすぐられるのだ。

その様子を微笑ましく見守りながら、シリルが言った。


「シアは良い母親になりそうだね。将来が楽しみだな」

「も、もう……気が早いわ、シリル」


ぽぽぽっと赤くなってしまう。立ち上がって近づいてきたシリルは、アクアマリンの瞳を甘く細めながらフェリシアの頭を撫でた。まるで砂糖菓子みたいに甘い空気だ。


「うわ、砂糖吐きそう……。いやあ、俺もお二人のイチャイチャには慣れたつもりだったけど。まだまだだな……。独り身には、かなり辛いものがある……」


少しやさぐれながらクリストフが呟いた。隣の席を陣取っているハンナは、これにすかさずツッコミを入れた。

 

「ク、クククリストフ様はそのっ、こここ恋人とか!いらっしゃらないんですか……!?」

「?居ないよ、そんなもの。俺、モテないからな……ハハハ」


ハンナは机の下で、それはもう勢いよくガッツポーズをした。丸見えである。

ここまで分かりやすいのに、クリストフは未だハンナの想いに気づいていないのだ。鈍感もここまでくると、逆にすごいと感じてしまう。

 

その隣のココは芋団子を美味しそうに平らげながら、マイペースに言った。


「ディルカ族でも、ライカ芋は沢山育ててますよ!うちでは汁物が大人気です!」

「汁物……!いいわね。今度、レシピを聞きに行こうかしら?」

「フェリシア様なら、いつでも歓迎しますよ!」


元気に答えるココは大変爽やかだ。ディルカ族の皆がどうしているかも気になるので、近いうちに様子を見に行こうと思った。

 

さて、そんなまったりした空気は、突然勢いよく切り裂かれた。ノックの一つもなく、ドアが勢いよくバーンと開かれたのである。

 

「シリル様〜!!聞いてくださぁい!!」


くるくると小躍りしながら執務室に入って来たのは、植物学者のマグダレーネだった。その手にはしっかりと、数本の小麦が握り締められている。


「どうした?マグダレーネ」

「ついに!ついに!!寒さに強い小麦、第一号ちゃんができあがりましたぁ!!」

「早いな……!流石だマグダレーネ!」


シリルはつかつかとマグダレーネに歩み寄った。何本かの小麦のうち一本を受け取り、しげしげと眺める。フェリシアも隣から覗き込んだ。


「実が、スカスカじゃない……かなり良さそうだな」

「はい!!この子の実りは最高ですぅ!寒さにも、とっても強いです!!記念に、この子にシリル種ちゃんと名付けても良いですかぁ?」

「もちろん、良いよ。俺の名前を付けてもらえるなんて光栄だな」


シリルは大きく頷いた。二人で小麦を見つめる。これからも続く冷害を乗り越えるため、強力な戦力となるに違いない。

 

「ふっふっふ。この子には弱点もありましてぇ……味が、それはもう……滅茶苦茶、悪いんですよぉ!」

「まあ、いきなり全てが上手くは行かないよね」

「うふふ!弱点もあるのがまた、可愛い子ですよねぇ!!さぁどうぞ、殿下。フェリシア様。シリル種で作ってみたパンですぅ!!」


マグダレーネがぽいぽいと渡してきたパンの一切れを、二人で齧ってみる。

……何と言うか、これは。

 

「ははは!ボソボソして、すっごーく固いね!しかも、味自体も不味いね!!」


シリルは大変愉快そうに笑っている。フェリシアは眉を下げながら言った。

 

「美味しいとは、とても言えないわね……。せっかく、シリルの名前が付いたのに。シリルの名誉のためにも、レシピ開発を頑張るわ……」

「シアの手料理が食べられるのは嬉しいけど、無理は禁物だよ。味が悪くても、飢えるよりはずっとマシだからね」


シリルはまた、優しくフェリシアの頭を撫でた。確かに贅沢は言っていられない。

 

「まだ数年は冷害が続くだろうね。国民も皆、辛抱のときだよ」

「数年……そうよね。クーデターが成功した後のことも考えないといけないわ。原作では……災害で弱ったところにつけこんで、隣国に戦争を仕掛けられていたし」


フェリシアは呟いた。政権を奪い取って、全てが終わるわけではないのだ。むしろそこからが新たなスタートだと言えよう。

クリストフがげんなりした声で言った。


「いま戦争なんて仕掛けられたら、もう耐えられませんね……はー、やだやだ」

「いや、こちらの国力が酷く弱まらなければ、恐らく戦争は起きない。俺は、そう考えているよ。気候が寒冷になるのは隣国も同じだろう。きっとどこでも食糧が不足する……」

「そうね。まずは国を支えていくことが肝要だわ」

「そういうこと」


二人は頷き合った。現状は小説の筋書きから、大きく乖離し始めている。クーデターを目指すと同時に、しっかり国を支えていこうと決意を新たにしたのであった。

 

 

♦︎♢♦︎



社交シーズンは休みの季節だが、その日は王宮にノイラート公マティスが尋ねて来た。王都に用事があったのだと言う。せっかくなので、シリルとフェリシアが揃って対応していた。

マティスは嬉しそうに言った。


「シリル殿下が冷害を見越して動いていたようだと、噂が広まっています。ようやく、殿下の手腕が認められ始めている。ここ最近、一気に中小貴族からの求心力を得ていますよ」

「それは嬉しいね。マティス卿には裏で派閥をまとめるのに尽力してもらって、いつも感謝しているよ」

「派閥の力が強まっているのは、殿下のお力ゆえですよ。現在、貴族の四割ほどがシリル殿下についています」

「四割!かなり、増えたんですね……」


フェリシアは驚いた。権力と軍事力で押さえつけるテオドールの下から、人が離れ始めているということになる。

 

「そうなんです。シリル殿下に付くものが四割。そして残り四割が王太子派。二割が中立派と言ったところですね」

「もう、テオドール様に迫っているのね……。向こうの動きには、いっそう注意が必要ですね」

「その通りです」


マティスが頷く。シリルは顎に手を当てて言った。


「ココとダークが暗殺者を退け続けたおかげで、最近は暗殺の試みがめっきり減っている。俺を直接害することは、さすがに諦めたんじゃないかな。しかし、向こうが沈黙していると、何だか不気味なんだよな……」

「注意して参りましょう。私はこれから、騎士を排出する家系への接触を強めます。騎士団の掌握のために」

「頼んだよ、マティス卿。頼りにしている」

「殿下にそう言ってもらえるのが、何よりの喜びです」


話が一旦終わった。

そこでふと、フェリシアは気になっていたことを尋ねた。

 

「あの、社交シーズンが終わってから会えていないけれど……アンネは元気にしていますか?」


アンネリーゼとフェリシアは、今回の周でも固い友情を築いていた。アンネリーゼの恋心の話も、既に聞き出している。マティスは少し弱った顔で言った。


「元気ですよ。相変わらず、お転婆がすぎるくらいで……私の持ち込む婚約話を、端から跳ね除け続けているんです。親としては、早く良い相手を見つけてやりたいのですが……困ったものです」


アンネリーゼが騎士団の副団長ヴィルヘルムに恋していることを、父親のマティスは知らないようだ。フェリシアはそっとフォローしておいた。


「もしかすると、既に想う人がいるのかもしれないですね」

「ええ、何も話してはくれませんが……。娘には、手を焼いていますよ……」


マティスは少し、切なそうに笑った。父親の心は、なかなか複雑な様子だった。


 

♦︎♢♦︎



一方、その頃。

王宮の東、贅沢な調度品が詰め込まれた豪奢な部屋。ベルベット製の椅子にどっかりと座ったテオドールに対し、カロリーナがそっと耳打ちをしていた。


「テオ……また、裏切り者よ」

「またか……小蝿どもが、生意気な」


リストに名前を追加していく。カロリーナは≪広域盗聴≫セキュリティブレークという魔法が使える。これで傍聴を行い、裏切り者を炙り出しているのだ。


「ここ最近、第二王子派閥が随分幅を利かせているわね。水面下に隠れてはいるけれど……」

「シリル……あいつは、いつもそうなんだ。たかが、側妃の子の癖に……いつでも俺を、軽々と超えていく……」


テオドールは拳をぎりぎりと握り締め、憎々しげに言った。弟のシリルに対するコンプレックスは、人一倍強いのだ。


「貴方が負けているところなんか、一つもないわ」

「ありがとうカロリーナ。君が俺の希望だよ……。しかし……とにかく、小物の貴族たちが邪魔だな。これは一度、大きな見せしめをする必要がある……」


テオドールはその派手な美貌に下卑た笑みを浮かべ、悪巧みを始めた。そして、近くに控えていた騎士団長ベルトに声を掛けた。

 

「おい、ベルト」

「はっ」

「標的は……そうだな。あのいけ好かない公爵令嬢にしよう。誘拐して、脅せ。何……俺たちで、犯してやっても良い。……見せしめだ」

「畏まりました」


ベルトもまた、嫌らしい笑みを浮かべている。

テオドールの毒手が、今まさに伸ばされようとしていた。

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