1-4 エクセル君と課題
疲れただろうと気遣われ、初日はそこで解散となった。
事実上拉致されて、交換条件的に共犯者にされたとは思えないほど、過保護な待遇である。
次の日、朝食の後にやってきたシリルは言った。
「早速、君との婚約を進めることにしたよ。君の家はよく脅しておいた」
「殿下、本当に仕事がお早いですね……」
「それ、なし」
「え?」
「もう婚約者になるから、殿下も敬語もなし。シリルで良い」
「……シリル様?」
「様もなし」
「ええ…………。わかり、ました。じゃない。わかったわ、シリル」
これはなかなか難しい気がする。
フェリシアはそもそも男性に免疫がないので、一気に距離が近づいたようで恥ずかしくなってしまった。
「はい、早速手を繋ぐよ」
「…………はい」
手をすっと差し出されて、きゅっと握る。
なんだか頬と手が、熱い気がした。これもそのうち慣れるのだろうか?
「何か見えたら教えて欲しい」
「わかったわ」
「で、早速なんだけど。直近の課題は水害と冷害だ」
「そうね」
今日は手を繋ぎながら、紙にサラサラと書き出していく。シリルの字は少し右肩上がりだが、綺麗だった。
「水害は、いつ起こるのか小説に明記はなかったはず」
「私もそう記憶してるわ」
「だから対策はするとして、タイミングは君の
「責任重大ね……頑張るわ」
「冷害の方は、来年の夏が冷夏になり、それがきっかけで始まるとあった」
「小麦が本格的に不足する来年の冬まで、あと二年を切っているのね」
「そう。時間がない」
シリルは頬杖をついた。水色の目を細める。
「時間がない。後ろ盾もない。人手もない。ないないづくしだ」
ふふっと笑いながら、フェリシアは言った。早速『未来』が見えたからだ。
「強力な人手が、いま見つかったわ。シリル」
♦︎♢♦︎
フェリシアの予知した通りに建物を進んでいくと、そこには目的の人物がいた。
「君は……君は!クリストフ・ショーン君!?」
「そ、そうですけど…………第二王子殿下、いかがされました?」
クリストフ・ショーン。彼は原作小説にも出てくる、正義の文官だ。位が低いが非常に有能で、国を立て直そうと必死に足掻く姿が描かれていた。
当のクリストフは、突然やって来たシリルの異様な様子に驚いていた。
やたら嬉しそうに自分を突然名指ししてきた上、その片手は女性と手を繋いでいるのだ。無理もないだろう。
「君は非常に有能だと聞いたよ!実は王が臥せってしまってね。これから政治が滅茶苦茶に停滞すると思うから、俺が回さないといけなくなるんだ。頭の悪い王太子は絶対に働かないよ」
「待って待って、待ってください、情報量が多いです」
「是非俺の直属の部下になって欲しい。この通りだ」
「直属……!?えっ……でも俺、しがない文官ですし。子爵家の次男で、身分も低いですけど……」
「そんなことはどうでも良い。君の持っている魔法の一つは
「そ、そんな。こ、光栄です……」
「頼む、俺を助けて欲しい。この通りだ」
シリルが頭を下げようとしたので、クリストフは慌てふためいた。
「あ、頭を上げてください!!わかりました、俺で良ければ、殿下の部下になりますから!!」
「やったー!!あ、君のあだ名はエクセル君だから。そこんとこ宜しく」
「えくせる…………?」
こうしてシリル陣営一の苦労人、エクセル君ことクリストフ・ショーンが仲間入りすることとなった。
♦︎♢♦︎
「待ってくださいよ!国王がこのまま回復せずに、自然災害の連続?貴族社会の腐敗に、他国の侵略!?なんか俺、すごーく大変なことに巻き込まれてません……!?」
クリストフには、前世の事情も含めて大方のことを話した。
今は大変青ざめて、おろおろしている。とても可哀想だ。あとで胃薬を勧めた方が良いかもしれない。
「エクセル君の
「話聞いてます!?シリル様!!」
確かにクリストフの持つ二つの魔法は、これから先とても役に立ちそうだ。
フェリシアは具合の悪そうな彼に、お茶を飲ませた。
「乗りかかった船だから仕方がないわ。一緒に頑張りましょう」
「うう……フェリシア様…………」
「俺も何も考えてないわけじゃないよ。早速やることを話し合おう」
そうして早速、第一回対策会議が始まった。
「まず水害は、ノイラート公爵領で起こることが分かっている。河川が氾濫するんだ。そこでまず、公爵に話を通さないといけない。どこまで信じてもらえるか分からないが……。ノイラート公爵は疑り深くて、かなり厄介な人物だと記憶している」
「事情を包み隠さず話すのは、難しそうね」
「うん。本当は彼の領地のことだから、公爵本人に動いてもらうのが良いんだけどね」
クリストフは別として、誰でも彼でも前世の話をするわけにはいかないだろう。第二王子は頭がおかしくなったと言いふらされでもしたら、大変なことになる。
「許可が取れたら、ノイラート公爵領を災害対策モデル地域として、国民に教育を行っていこうと思う。災害が起きたことを速やかに知らせる手段の確保と、避難訓練の実施だな」
「おお……殿下。ちゃんと、考えてらっしゃるんですね」
「当たり前だろう。クリストフ、君には防災用の地図作りを担当してもらいたい。土地が低く、浸水しやすい場所が分かるようにして欲しいんだ。数字に強い君が適任だ」
「わかりました。地図を管理する部署に掛け合ってみます」
「あとは、避難経路の確保も必要ね」
「それなんだよな……」
フェリシアの言葉に、シリルが頭を抱える。
前世のように、車などの便利な移動手段がないのだ。国民の多くは、徒歩で避難するしかない。
「水を
「そうか!魔法があることを失念してた」
前世に囚われて考えていたので、目から鱗だ。
発言したクリストフはきょとんとしている。
「早速、水に関する魔法を使える者を探そう。今考えられるのは、そのくらいかな」
シリルはサラサラとメモする手を一旦止めて、新しい紙を出した。
「次は冷害のことを話そう」
「複数問題があるのが、何とも厄介ですね……」
「そうだね。今から国で、できる限りの備蓄を行うように手配する。それから、間に合うかどうか分からないが……品種改良にも、一応着手する。冷害に強い品種を作るんだ」
「そんなものが、本当にできるんでしょうか……」
「できるはずよ。植物に関する魔法が使える人も、探せばいるかもしれないわ。あとは、頼りになる植物学者ね」
「そうだね。すぐに探そう」
シリルはやることリストにどんどん書き加えた。既に盛りだくさんである。
「……で、飢饉の対策として……俺はこれを使おうと思ってる」
彼は先ほど持ってきた箱から何か取り出した。土にまみれている団子……じゃない、芋だ。
「お芋…………」
「そう。これは厨房から拝借したんだけどね。芋は品種によって寒さに強いものがあるし、育つのも早い。これで飢えを凌ぐんだ」
「なるほど。小麦と輪作してもらうのね?」
「その通り」
「輪作……?」
クリストフが頭を傾げたので、フェリシアが補足した。
「ずっと小麦を作っていると、土地が弱ってしまうから。別の農作物の栽培を、間に挟むのよ」
「はあ……。お二人の前世は、色々進んでるんですね」
「この世界でも、それに近いことはやられてると思うけどね。とにかく俺たちは、寒さに強い芋を探す。で、小麦栽培の合間に芋を作ってもらうことを推奨する」
「芋探しも同時にしないといけないのか……。芋を作るのに必要な期間と、小麦の備蓄量、そして食わせなければならない国民の総数を考慮して……うわ、やることが山積みだな」
クリストフはぶつぶつと呟いて考え始めた。どうやら段々やる気がでてきたようだ。
「そう。課題は山積みだよ!今からこの課題を各自に割り振る。さあ、頑張ろう!」
♦︎♢♦︎
「こんなところにいたのね」
その晩、フェリシアはシリルを探して王宮の古塔、その最上部に来た。話したいことがあったのだ。シリルは手すりに手をついて、街を眺めていたようだった。
「どうかしたの?もう寝ていると思ったけど」
「ええと……。話がしたくて。貴方が、早速色々考えているのを見て、とても感心したわ。でも……貴方は記憶を思い出したばかりなのよね?だから、その………………」
「もしかして、心配してくれたの?」
「……ええ。精神的な面は、大丈夫かと思って」
シリルは心底嬉しそうに破顔して、フェリシアの頭をさらりと撫でた。
「ありがとう。俺は大丈夫だよ…………」
フェリシアはその表情に、彼の孤独を見た気がした。
本当は……彼には色々と疑問がある。
本当に、記憶を思い出したばかりなの?
あまりにも手際が良すぎない?
どこまで、本当のことを話してくれているの?
私はどこまで信頼されている?
でも、シリルの顔を見ていたら、フェリシアはそれらを問いただすことができなくなってしまった。口籠もって立ち尽くす彼女の手を、シリルはごく自然な動作で取った。
「ここから街が見えるだろう?」
「ええ」
景色を指差して言う。確かにこの塔は、かなり高さがある。ここからは王都の街が一望できた。
「この中に、沢山の人が住んでいるんだよ。俺の行動次第で、彼らが死んでしまうかもしれない…………」
「…………」
「王子になった以上、俺には彼らの命を左右する権限がある。亡くなる人を一人でも減らしたいんだ…………」
少なくとも、シリルは今本音で話しているのだと、フェリシアにはわかった。彼が本当は重責に押し潰されそうになっていることも、感じられた。だからフェリシアは言った。
「一人じゃないわ。私も一緒に担うから」
「…………!」
「だって、『共犯者』なんでしょう?」
フェリシアは唇に手を当て、悪戯っぽく笑って見せた。
彼女の目が煌めき、癖のある桜色の髪が、風に揺られて靡いた。シリルは呆然と彼女を見ながら言った。
「…………プレナイト」
「え?」
「前世で見たことがある、宝石。マスカットみたいに艶々しているんだ。とても綺麗だって感動したのを覚えてる。その宝石に、そっくりだ…………君の目」
「ええ?ただの薄緑の、平凡な目だと思うけど……」
「ううん。すごくキラキラしてる。綺麗だ…………」
ぎゅっと手が握られる。シリルはくしゃりと、下手くそに笑った。
「ありがとう。俺は……一人じゃないんだね」
シリルがそう言ったので。フェリシアは、今は何も話してもらえなくても良いと思った。ただ、彼の一番の味方でありたいと、そう思った。
二人は手を繋いで、星空の下、いつまでも城下の景色を眺めていた。
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