1-2 薄幸令嬢、拉致される

「ら、拉致……!?それに、クーデター……!?」


強烈な単語の数々にフェリシアは混乱した。

シリルは、フェリシアの手にそっと触れてきた。控えめで、優しい触れ方だった。


「俺には前世の記憶がある。この世界を『原作』で知っている。君もそうでは?」

「何故それを……?」

「内緒だよ」


シリルは、意味深にくすりと笑った。


「この世界の原作小説って、本当にひどいよね」

「『愛の鳥籠』…………耽美的で、退廃的な作品でしたから」


愛の鳥籠。二人の王子をその美貌と魔法で虜にする――――悪女が、主人公の物語だ。


臥せった王に、増長する二人の王子たち。堕落し、愛憎劇を繰り広げていく三人。

そんな中、国はやがて大きな困難に見舞われていく。相次ぐ貴族の暗殺。水害に冷害。難民の発生と飢餓。隣国との戦争。最終的に王子二人は隣国に処刑されてしまい、苦悩を続けた主人公は囚われの身となる。完全なバッドエンドだ。


今フェリシアの目の前にいるシリル・ブランシャールは、主人公カロリーナを奪い合う王子のうちの一人である。小説のメインキャラクターだ。


「俺は小説のように、堕落するつもりは毛頭ないよ」

「……そうですよね、良い未来ではありませんし……」

「いずれにしろ、この国は今後、次々と困難に見舞われる。貴族の派閥争い。そして大規模な水害と冷害が起こることは確定している。それ以降は、俺次第かな?」


シリルはフェリシアに指を絡め、手を持ち上げてきゅっと握った。

 

「俺はこの国の運命を変えたい。この国を変えて、今より求心力を得て……その暁には、クーデターを起こす。無能な王太子を引きずり降ろし、王位を簒奪するつもりだ」

「……!!」


フェリシアは見えない目を見開いた。

それは大変困難な道のりだ。しかし、シリルが本気でそれを為そうとしているのだと、痛いほど伝わってきた。


「……でね?君の魔法は原作小説でも出てきたけど、抜群に優秀だ。君には俺の側にいて、その能力で俺の道を助けて欲しいと思っている」

「…………なるほど…………」

「もちろん、タダでとは言わない。俺の魔法の一つは≪再生≫オール・クリア。怪我なら、欠損でも何でも治す力だ。俺は君の足をすっかり治すことができる。視力だって、戻してあげられる」

「…………!!」


フェリシアは驚いた。

シリルの心には今だに、嘘の色が一切見られなかった。本気でこの条件を提示しているのだ。


「君には俺の右腕として、俺の『共犯者』になって欲しい。その代わり、君を自由にしてあげる。この家からも、その足と目からも……。どうだい?」


フェリシアはしばらく戸惑っていたが、やがて大きく頷いた。

停滞していた自分の人生が、運命が――――やっと大きく回り出すような、そんな予感がしたのである。


それに、シリルには会ったことがないはずなのに、彼のことはどうしてだか懐かしく感じられた。彼なら、信じられるような気がしたのだ。

 

「その話、お受けします。殿下の『共犯者』に…………なりますわ」


フェリシアが微笑んで言うと、シリルも笑ったのが気配で分かった。


「それじゃあ早速だけど、君の目と足を治してしまおう…………≪再生≫オール・クリア


暗闇だった視界に、眩いほどの光が弾ける。

くるくると回る金色の光に導かれるようにして、フェリシアは手を伸ばした。途端、一気に視界が開けた。あまりの眩しさに目を細める。


そうしてそっと目を開けると――――暗闇の中、目の前に、それはそれは綺麗な男が膝をついていた。色素の薄い金の髪。アクアマリンのように輝く水色の瞳。通った鼻筋、薄い唇。

いっそ男装した女性かと思うほど、彼は中性的で美しい男だった。


夢のような心地から覚めることができず、フェリシアはぱちぱちと目をしばたたかせた。ぽつりとこぼす。


「信じ、られない…………」

「歩いてごらん」

「はい…………」


震える足に力を込めてみる。難なく立ち上がれた。

一歩、二歩と歩き出す。歩ける。

あんなに。

あんなに、動かなかったのに。


自由だ。

自由に、なったんだ……。


フェリシアはその薄緑の目から、ぽろぽろと涙を零した。

ある日突然、人生の呪縛から解き放たれるなんて、一体誰が想像できただろう。


「気分はどう?」

「最高、です…………」

「それは良かった」


シリルがにっこりと笑ったので、フェリシアもつられて泣き笑った。笑うのなんて、一体何年振りだろう。

 

――『共犯者』にでも何にでもなろう。

私を救い上げてくれた、この人のためならば。


フェリシアは、強い意志を込めて言った。



「ありがとうございます。シリル殿下。どうぞ、私を――――かどわかして下さいませ」

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