閑話 アレックスのプロポーズ

 アレックスとエリーゼは何度もデートを重ね、順調に距離を縮めていた。


「アレックス、今日もありがとう」

「まさか迷子の子どもの母親探しをするとは思わなかったけど、楽しかったね」

「ふふふ、アレックスが肩車したら、すぐに見つかったわね?あなたって大きいんだもの!」


 エリーゼが眉を下げて、ふわりと笑う。アレックスはこの笑顔が大好きだった。


「今日も送ってくれてありがとう」

「うん、また来週ね。エリーゼ」


 アレックスはエリーゼの手を少し引いてかがみ、彼女の滑らかな頬にキスを落とした。それは一瞬のことで、離れていくのが名残惜しい。


「アレックス、またね」

「うん……」

「……帰らないの?」

「エリーゼがちゃんと家に入るまで、見守ってるよ」

「そ、そっか……。それじゃあ、またね」

「うん……」

 

 エリーゼは照れているらしく、頬を染めながら家に入っていった。もうドアが閉まってしまう。

 二人でいるとこの上なく幸せな分、一日の最後のお別れの時間がいつも辛かった。アレックスは毎回、まるで身を引き裂かれるような、そんな心地に襲われるのだ。

 だから、彼はずっと悩んでいた。少しでも早く結婚したくて、仕方がないからだ。最初の時に、待って欲しいとエリーゼに言われたのに。一緒にいればいるほど、エリーゼを好きになる。好きになればなるほど、お別れの時間が辛くなる。


 アレックスは彼らしくもなく、随分悩み続けた。だが、やはりもう一度改めて、エリーゼに求婚することにした。あくまでも急かすつもりはないのだが、自分の気持ちをきちんと伝えたかったのだ。



 ♦︎♢♦︎

 

 ある晩のことである。アレックスとエリーゼは、星を見に行くことにした。今日は流星群が見える日なのだ。アレックスは星の良く見える湖畔を知っていたから、この日に合わせてエリーゼを誘った。

 夜遅くの外出になってしまうのはあまり好ましくないが、エリーゼの両親には事前に事情を話して、快く許可をもらっている。


「アレックス、お待たせ」

「エリーゼ。全然待ってないよ。うん……今日も、すごく可愛いな……」


 今日のエリーゼは、深い青のシンプルなドレスを身に纏い、上から厚手の白いショールを掛けていた。深い青はエリーゼの儚げな雰囲気を引き立てていて、大層似合っている。アレックスは飽きることなく、今日も今日とて見惚れてしまった。

 その様子を見たエリーゼの父が微笑みながら一つ頷いて、アレックスに言った。

 

「天気を心配していたんだよ。ちょうど、良く晴れて良かったね」

「夜中にお嬢さんを連れ出して、すみません。必ず無事で返します」

「今日は星が降る夜なんだもの。二人でゆっくりしてきなさいな」


 エリーゼの母はいつも通り、ニコニコしている。ブランケットやホットワインが入ったバスケットを手渡してくれたので、ありがたく受け取った。

 エリーゼの父は娘に良く似た、凛とした黒い瞳でアレックスを見つめながら、こう言った。

 

「アレックス。僕たちは君を信頼しているんだから、謝らなくて大丈夫だよ」

「でも、俺には悪評が多いのに……。信頼していただいて……」

「大事なのは周囲の評判じゃない。君の人柄を直接知って、その上で信頼しているのだから、問題ないよ」

 

 アレックスは少し涙ぐみそうになって、すんと鼻を啜った。その様子を見たエリーゼが、アレックスの腕をぎゅっと抱きしめる。エリーゼの母はその小さい背を伸ばし、アレックスの髪を撫でながら言った。

 

「アレックス。これから家族になるのだから、少しは甘えなさいな」

「ありがとうございます……。いってきます」

「いってきます」


 そうして二人は出発した。エリーゼの父の言葉の通り、良く晴れた夜だった。

 

 馬車でしばらく移動して、湖畔に到着した。シートを敷いて並んでそこに座り、二人で大判のブランケットをかける。アレックスは、万が一の時のために帯剣していた。今更だが、騎士になっておいて良かったと思う。エリーゼを守ることができるからだ。

 

「すごい!本当に星が降ってるわ!!綺麗ね……!!」


 エリーゼは子どもみたいに純粋に、感嘆の声を上げた。二人の頭上には、次々と流星が降り注いでいる。ここは見晴らしが良いので、贅沢な景色を独り占めだ。

 しかし一方のアレックスは空を見上げず、エリーゼの黒曜石の瞳に幾千の星が映っているのを見て、ぼうっとしていた。


「うん。綺麗だな……」

「ふふ。ねえ、アレックス?」

「何?」

「星が消える前にお願い事をすると、叶うって言うジンクスがあるのよ。アレックスのお願い事は何?」

「俺……俺の、願い事は…………」


 アレックスは言い淀んだ。そんなの一つに決まっている。でも、言葉にするには少し勇気を出さなければならなかった。


「俺の願い事は……エリーゼと一緒にいること。ただ、それだけだよ」


 エリーゼは空を見るのを止め、ゆっくりとアレックスに顔を向けた。黒曜石の瞳が、星なんかよりずっとキラキラと煌めいている。

 アレックスは言葉を止めずに、続けることにした。今日は、自分の気持ちをきちんと伝えたかったからだ。

 

「エリーゼといると、俺は本当に幸せなんだ。君も、君の家族も、とても優しい…………。俺は……今まで生きてきて、こんなに満たされるのは初めてなんだ……」

「アレックス……」


 エリーゼの手をそっと取る。手折れそうに細い腕だ。アレックスは祈るように言った。


「君が、俺の幸福そのものだ」

 

 これは、アレックスの本当の気持ちだった。でも、これで全部ではない。彼は眉根を寄せながら絞り出すようにして、自分の苦しみも伝えた。

 

「でも…………一日が終わって。君と別れて見送る時が……とても、辛くて。寂しいんだ…………」

「うん……私もよ、アレックス」


 エリーゼは少し目を伏せて、同意してくれた。その頬に長いまつ毛の影が落ちて、とても綺麗だ。

 アレックスはブランケットを少しどかして、おもむろに立ち上がった。エリーゼは、ただじっと見守っている。彼女の前にゆっくりと跪き、アレックスは胸元のポケットから、あるものを出した。ワインレッドのビロードでできた、上品な小箱だ。

 

「エリーゼ……。結婚は、少し待って欲しいと言われたけど。俺、我慢できなくて……。ごめん。俺は……できるなら、君と、毎日一緒にいられる権利が欲しいんだ。今、すぐにでも」

 

 小箱の蓋を開け、すっと差し出すようにしてエリーゼに見せる。中に入っていたのは、輝くダイヤモンドが嵌まった、美しい指輪だった。


「こ、これ…………」


 エリーゼの声は、少し上擦っている。アレックスは首を少し傾げて、このからくりを白状した。

 

「君の前世では、プロポーズするときにダイヤの指輪を渡すって……アデルに、聞いたんだ」


 それからエリーゼの目を真っ直ぐに見つめて、大切な言葉を言う。

 

 「エリーゼ。俺の幸福。俺のすべて。どうか、俺と結婚してください」


 エリーゼは震える手でそれを受け取って、感極まったように返事をした。

 

「……はい……!!」

「エリーゼ……!!」


 アレックスは詰めていた息を大きく吐き、エリーゼを優しく抱き締めた。とてもほっとしたのだ。もし断られたら、これからどうやって生きていこうかと思っていた。

 

「嬉しい……。あのね、アレックス。告白された時、すぐに貴方のことを信じられなくて、ごめんなさい。もう、大丈夫よ。本当は、早く結婚しましょうって……私も言いたかったの……」

「そうなのか…………良かった…………」


 アレックスは涙声で答えた。エリーゼも同じ気持ちでいてくれたと知って、嬉しくてふわふわする。地に足がついていないような気分だ。

 エリーゼは自分の左手の薬指をすっと出して、恥ずかしげに申し出た。

 

「あのね……良かったら、嵌めてくれる?」

「ああ、勿論」

 

 ゆっくりと指輪を取り、彼女の長い薬指にそっと嵌める。まるで神聖な儀式のように。

 アデルから事前にサイズを聞いていたから、本当にぴったりだ。二本の蔦が絡み合うようにデザインされた指輪は、エリーゼに良く似合っていた。

 アレックスは、エリーゼの顔をそっと盗み見て――――そこで、ぎょっとした。彼女の目からぼろりと、大粒の涙が零れ落ちたからである。

 

「ぴったり……すごいわ……」


 エリーゼはもう、小さくスンスンと泣き始めていた。アレックスは慌ててハンカチを取り出して、その涙を拭う。


「ご、ごめん、泣かせて……」

「いいの……。ゆ、夢……だったの。好きな人から、こうやって、ぷろぽーず、されるの……」

「そうだったのか……」

「アレックス。私、こんなに……こんなに、あなたのこと、大好きになったの……。だから、ずっといっしょにいてね……?」

「勿論だよ。俺を好きになってくれて……本当にありがとう」


 多幸感に溺れそうだ。浮いたような心地のまま、ちゅ、ちゅ、と目尻に口付けて、涙を舐めとる。エリーゼの涙なら甘そうだと一瞬思ったけれど、きちんとしょっぱい味がした。

 ポロポロと涙を零すエリーゼの瞳に、流れる星々が映っている。アレックスはこの光景を、きっと一生忘れないんだろうなと思った。


「エリーゼ……」

「ん…………」


 大きな手でその両頬を、大切に包み込むようにして、ゆっくりとキスをする。唇も濡れていて、ひんやりと冷たかった。拭うようにして、唇どうしを擦り合わせる。そうするうち堪らなくなって、エリーゼの少し空いた口の隙間から、アレックスは舌を差し込んだ。


「んん……!!ふ…………っ!!」

「エリーゼ……鼻で息、できる?」

「ん…………。んぅ…………………………」


 息を止めて苦しそうにしているエリーゼを促すと、コクコクと頷いて鼻呼吸を始めた。たったこれだけで可愛い。アレックスはそのまま優しくエリーゼの歯列をなぞって、怯える小さな下を宥めるように、すりすりと撫でた。

 触れる粘膜が熱くて、堪らない。深いキスがこんなに気持ちが良いものだなんて、アレックスは今まで知らなかった。


「あれ、っくす…………ん………………っ」

「エリーゼ…………好きだよ」

  

 満点の星空の下で抱き締め合いながら、二人はしばらくキスを続けていた。二人が結婚に向けて、進み始めるきっかけになった――――大切な、夜だった。

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