3-12 夫婦の戦い

「ん……」


 アデルは目を覚ました。ここは一体、どこだろう――――そう疑問に思って、自分が拘束されていることに気づく。手と足は縄で縛られているし、口も布で塞がれていた。


「…………っ」


 恐怖で身の竦む思いだが、何とか呼吸を整える。大丈夫だ。魔道具のブローチはついているし、靴底に隠し持っているコンパクトが取られた様子もない。いつでも『すり抜け』ができるし、『転移』でユリウスの隣に行くことができるはずだ。

 まずは現状を確認しようと、辺りを見回す。何もない、殺風景なコンクリートの部屋だった。出入り口が一つと、鉄格子付きの窓が一つ。六畳ほどの広さだろうか。室内には誰も居ないが、出入り口の付近から小さな話し声が聞こえるのが分かった。外には恐らく、見張りが複数人いるのだろう。


 室内に見張りが居なかったので、アデルは迷わず、すぐにブローチに魔力を込めた。『すり抜け』を作動する。瞬時にふわりと手足と口の拘束が外れて、体が楽になった。何て便利な魔法なんだろうか。敵もまさか、アデルがこんなに希少な魔道具を持っているとは、思いもよらなかっただろう。

 物音を立てないように注意しながら靴をぬぎ、靴底に仕込まれたコンパクトを取り出す。中身が無事なことを確認して、パカッと開けた。すぐに『転移』を使おうとするが――――そこで、思いとどまった。いまは余裕がある。少しだけ、敵の正体に探りを入れても良いかもしれない。


 そろりそろりと、静かに出入り口に近づいてドアに耳を当て、聞き耳を立てた。いつでも瞬時に『転移』できるよう、手元のコンパクトは開いたままだ。

 外から聞こえてきた話し声は、コンラート王国の公用語ではなかった。これは……ストイッタ帝国の一部地域のみで使われている、ストレリア語だ。アデルは大陸で使われている主な言語なら、全て日常会話ができる程度まで習得している。語学はもともと得意だ。王立学園の語学の師が、優秀な語学マニアだったのもラッキーだった。いつも居残って、沢山質問していたものだ。

 

 しかし、ストレリア語とは。この拉致には、ストイッタ帝国が関与しているということか。

 男と思われる数人の話し声に耳を澄ます。やや訛りがあるので難しいが、何とか部分的には聞き取れた。


 ――――かなり手間取った、ここにいつまで居るのか……――――

 ――――……が相手をしてくれるから、その間に――――

 ――――念の為、もう少し痛めつけておいた方が……――――

 ――――……無傷で連れてくるようにと、第三皇子から言われている……――――

 

 『第三皇子』、確かにそう聞こえた。アデルは脳内の記憶を辿る。

 ストイッタ帝国の第三皇子と言えば、ヴァレリー・チェルネコフという名前だったはず。特に目立った功績は聞いたことがない。しかし、これは大収穫だ。この拉致において、敵を指示している人物のヒントがわかった。

 もう十分だろう、と判断する。アデルはこれ以上の危険は冒せないと判断し、魔力を流してコンパクトを作動した。

 周囲の景色がぐわんと歪む。想像以上に酔いそうな感覚に、目をぎゅっと瞑った。


「アデル!?」


 次の瞬間には、ユリウスの声が聞こえた。目を開けると、驚いた顔の彼が目の前に居た。


「ゆり、うす…………!」


 アデルはすぐさま縋りついた。一気に安心して、目から涙がぶわりと溢れる。

 

「良かった!なかなか転移して来ないから、何かあったかと……!」

「アデル様!!大丈夫ですか!?」


 ユリウスの隣には、リナと、公爵家の護衛であるヤンとブルーノが居た。ここはどこかの建物の裏手らしい。木と草が生い茂っていて、とても暗かった。

 自分が元気で無事なことを伝えたかったが、アデルは慣れない転移の感覚でかなり気持ちが悪く、上手く返事ができない。


「ゔぅ…………っ、私は……大丈夫、よ…………!」

「俺はアデルを連れて離脱する。あとは任せたぞ」

「はい!アデル様、ご無事で良かったです!犯人は懲らしめますので!!」

「ユリウス様が信号弾を上げたら、俺たちは突入します!」

「どうかご無事で!」

 

 リナと二人の護衛から激励を受ける。ユリウスはアデルを肩に担ぎ、勢いよく走り出した。

 

 ――良かった、もう安心だ……。

 逞しい体に支えられ、アデルはほっと気を抜く。ユリウスは走りながら、早口で状況を説明し始めた。

 

「今、まさに建物に突入する寸前だった。君は馬車であそこまで運ばれて、監禁されていた。俺は転移を使いながら、一人で先に追跡してきたんだ。だが敵になかなか隙がなく、中には相当厄介な奴も居たから……俺一人で突入しては、君を逆に危険に晒すかもしれないと思った。だから皆が揃うのを待っていたんだ」

「そう…………だったのね…………ごめんなさい…………」

「ごめんはこっちの台詞だよ。君を危険に晒してすまない」


 ユリウスがとても苦しげな声を出したので、アデルは懸命に首を振った。


「大丈夫…………ちゃんと、来ていて……くれたもの。私…………ただ、転移で気持ちが悪くなっちゃって…………」

「ああ、慣れないうちは酔うよな」


 移動の速度は緩めず、ユリウスは苦笑した。こんなものを頻発して戦っているなんて、アデルにはとても信じられない。前世で夜行バスに長時間乗った時よりも、ずっと気持ちが悪い。今にも吐きそうだ。


「わたし…………敵の手がかりを、掴もうと思って……すぐに、転移しなくて…………」

「そんな無茶をしたのか!?」

「見張りが、外にしか……いなかったから。……指示している者は、ストイッタ帝国の……第三皇子よ…………名前は確か、ヴァレリー・チェルネコフ…………」

「帝国だって?」


 ユリウスが鋭く聞き返す。アデルは頷いた。


「見張りは、恐らく、暗号代わりの、つもりで……マイナーな、ストレリア語を、話していた……。『無傷で連れてくるようにと、第三皇子から言われている』って…………話していたの…………」

「わかった。それは間違いなく、大手柄だ。アデル、相当気持ちが悪いんだろう。もう無理に話さなくて良いよ」

「うん…………ごめんなさい………………」


 ユリウスは木陰にアデルをそっと下ろして、背中をさすった。そこには馬が結ばれて待機していた。ここからは騎馬で進むのだろう。


「ゔっ…………!」

 

 アデルは気持ち悪さが限界まで達して、その場で少し戻してしまった。ユリウスは携帯していた水筒を手渡し、またアデルの背中をさすった。ありがたく中の水を飲ませてもらう。


「今から、君が無事だったという合図の信号弾を上げる。その後馬に乗って移動するよ。気分が悪いのに、すまない……。可能そうなら、俺たちの馬車まで戻って皆と合流する」

「私は、だ、大丈夫よ…………。ば…………馬車からは、どのくらい離れているの…………?」

「五キロといったところかな」

「そ、そんなに……!?」


 アデルは驚いた。そこまで長い間、意識を失っていたんだろうか。


「敵に『転移』持ちが居た。複数人で転移できる人間だ。恐らく秘匿されている人物だろう」

「複数人で……『転移』…………!?」


 ユリウスは話しながら手早く準備して、信号弾を上げた。アデルが『調合』で作った、青色の信号弾だ。辺りはもう暗いので、かなり発光して見える。

 アデルは信じられない規模の話に、頭がぐるぐると混乱していた。


「そこまで想定していなかった俺の落ち度だ、本当にすまない」

「謝らないで…………私、何もされてないわ…………」


 次いでユリウスが、アデルをサッと抱えて馬に乗せた。

 しかし、その次の瞬間である。ユリウスが素早く迎撃体勢を取りながら、大きく吠えた。


「信号弾を見て『転移』してきたな!想定内だ!」


 アデルは震えた。目の前に突然現れたのは、真っ白な仮面を付け、黒いローブを被った奇妙な男。男は黙ったまま、瞬く間に剣を振り翳してきた。


 ガキィン!!


 ユリウスはアデルを守りながら、難なく片手で剣を受け止めた。

 お互いの力が拮抗し、剣と剣がギリギリとせめぎ合う。


「アデルは渡さない」


 次の瞬間ユリウスは相手の剣をいなし、素早く踏み込んで、もう片方の剣でその首元を掻き切ろうとした。しかし相手の姿は、瞬時にかき消える。


「そっちか!」


 すぐさまユリウスは振り向いて迎撃した。


 ガキィン!!


 背後からの攻撃を受け止めたのだ。また剣と剣がぶつかった。しかしユリウスも、次の瞬間には相手の隙を突いて転移する。


 ガキン!ガキン!!ガキン!!!


 両者が何度も転移し、あらゆる場所で剣と剣がぶつかり合った。しかしユリウスにはかなり余裕があるようで、隙をついては相手の致命傷を狙いに行く。繰り返すうちに相手のローブはやぶれ、所々に血が滲み始めた。力量差があるのは明らかだ。


 ザシュッ!!

 

 転移したユリウスが、ついに相手を袈裟斬りにした。


「浅かったか……。だが!!」


 相手がよろけた次の瞬間、ユリウスが転移してそのこめかみを、一気に下から切り裂いた。


「!!!」


 相手の白い仮面が、宙に弾け飛ぶ。中から現れた顔は、金髪に赤く細い目をした男だった。ユリウスはアデルの目の前に転移し、守るように剣を構えながら言った。

 

「やはり、知らない顔だな。だがもう覚えた」

「……っ!」

「どうする?俺は、アデルを守りながらでも……お前を殺せるぞ」


 途端にユリウスからぶわりと、悍ましいほどの殺気が広がる。相手は一歩、二歩と後ろに下がり、そのままかき消えた。そして、それきり姿を現さなかった。

 

「…………もう、大丈夫だろう」

「ユリウス!怪我はない!?」


 息を止めて見入っていたアデルは、警戒体制を解いたユリウスに縋り付く。


「俺は大丈夫。『転移』できるっていうだけで、向こうの剣の実力はそれほどでもなかった」


 上から下まで見ても、ユリウスは怪我一つ負っていなかった。さすがは最強騎士だ。しかし、夫が目の前で切り結ぶ姿を見るのは、あまりにも心臓に悪かった。


「ここで始末できれば、一番良かったが……アデルの安全が第一優先だから」

「わ、私は……生きた心地が、しなかったわ……!!」

「心配させてごめん。急いで退避しよう」

 

 ユリウスは馬に横乗りしたアデルの後ろに、素早く跨った。アデルをしっかり抱きかかえるようにして、手綱を握る。


「悪いけど、飛ばすよ。眠れそうなら、眠っていて」

「わかった……ありがとう…………」


 馬は勢いよく駆け出す。ぐわんと大きく景色が揺れて、かなり怖かった。残念ながら、また酔いそうだ。ユリウスに体を預けるようにして縋りつき、ぎゅっと目を瞑る。

 この時アデルは既に、心身共に疲労が限界まで達していた。だから結局、そこから馬車に戻るまでの記憶が、ほとんど残らなかったのだった。

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