3-11 帰り道

 大変楽しかった旅行も、もうすぐ終わりだ。二人は既に、家路についていた。今日の夜までには広大な公爵領を出て、その先の王都へ向かうところだ。明日にはもう、公爵家のタウンハウスに到着することだろう。

 名残惜しげに、馬車の窓の外を眺める。夕暮れの光に目を細めながら、アデルが言った。


「旅行は一週間以上あったけど、帰り道はあっという間ね」

「途中でもう一泊するけど、確かにほとんど終わりだね。アデルはこの旅行、楽しめた?」

「勿論!とっても!全部全部、ユリウスのお陰よ!」


 アデルはにっこりと笑い、ユリウスにちゅっと口付けた。ユリウスの瞳がふわりと緩んだので、嬉しくなる。自分からキスをするのにも、もう随分慣れてきた。やはり、しとねを共にするようになってから、二人の距離はぐっと縮まったように思う。


「アデルの花嫁姿、とても綺麗だったな…………」

「あのサプライズには、心底びっくりしたわ。私に内緒で準備するの、大変だったでしょう?」

「確かに大変だったけど、良いんだ。単に俺が、君の花嫁姿をもう一度見たかったし……もう一度、きちんと誓いをしたかっただけだから」


 ユリウスは甘やかな手つきでアデルの頬を撫でた。その左手にはアデルと揃いの、プラチナのリングが嵌まっている。滑らかな流線型を描いたその指輪は、彼の長い指にとても良く似合っていた。


「本当にありがとう……とっても嬉しかったわ。正直、本番の時の結婚式の記憶があまりなかったから」

「俺もだよ」

「私、この旅行のこと……絶対に一生、忘れないわ」

「うん……」


 二人はお互いの頬を包み、うっとりと見つめ合う。馬車の中は完全に二人の世界だった。

 しかしそこで、ふとユリウスの動きが変わった。その眉間に、一気に皺がよる。


「……?外が少し。騒がしいな」


 ユリウスはサッと身を捩り、馬車の窓から顔を出した。馬で並走している護衛に、現状を確認するためだ。


「何かあったか」

「はっ!ここから三百メートルほど前方で、行商人の馬車が野盗の一団に襲われているようです。敵人数は二十人規模で、かなり大人数です!」

「野盗か……馬車を止めて、急いで救出に向かえ。俺はアデルを守っている」

「はい!」


 すぐに馬車が止まり、慌ただしく護衛たちが騎馬で駆けて行く。突然のことに、アデルは急激な不安に襲われた。敵がそんなに大人数ならば、こちらにも被害が出かねない。護衛たちは大丈夫だろうか。


「ユリウス、リナを連れて行くように言って」

「しかし……」

「私はユリウスがいれば大丈夫よ。あの子は対集団戦に、とっても強いから。護衛の人たちに被害が出たらと思うと、怖いもの」

「……わかった」


 知らせを聞いたリナも後ろの馬車から出て来て、大急ぎで馬に騎乗した。


「アデル様!必ず皆を護りますので!!」

「お願いね、リナ!!」


 リナを乗せた馬が駆け出す。彼女は騎馬も上手いのだ。

 公爵家の守りのためには、数人の護衛が残った。ユリウスはアデルの手を取って、真剣な顔で言う。


「馬車の中では万が一のことに対応できないから、俺は外で警戒に当たる。でも、この馬車の入り口からは絶対に離れない。安心して」

「わかったわ」

「君はここから一歩も動かないこと。いいね」

「ええ」


 アデルもぎゅっとユリウスの手を握り返した。一つ頷いて、ユリウスがサッと出て行く。アデルは馬車の中に一人きりになった。急にがらんとして、ひどく静かだ。


「野盗に襲われるくらいのことは、あるわよね。むしろ、ここまでが順調すぎたんだわ……」


 アデルがそう独りごちて、馬車の出入り口を見つめながら、胸のブローチをギュッと握りしめた――――その瞬間である。


「んっ!?」


 背後から、突然口を塞がれた。ハンカチのようなものを強く当てられていて、声が出せない。独特の甘い香りがして、頭がぐわんと揺れた。


「アデル!!」


 そう叫ぶユリウスの声が、聞こえた気がしたが――――アデルの意識は暗転して、そこで途切れた。



 ♦︎♢♦︎

 


「ジャン!ジャンはいるか!!」


 転移で現れたユリウスが叫ぶと、公爵家の護衛の一人であるジャンが振り向いた。前方の馬車を襲っていた野盗は、既に全員気絶しているようだ。どうやらリナが一瞬で片付けたらしい。


「どうしました?ユリウス様」

「すぐに『追跡』してくれ!アデルが拐われた!!」

「何ですって!?」


 ユリウスがアデルの持ち物であるハンカチを押し付けるようにして渡し、ジャンが大急ぎで魔法を発動する。彼は魔力の匂いを嗅ぎ分け、行方の追跡を行えるのだ。ハンカチはこういう事態のために、予め準備しておいたものである。


【追跡】トラッキング


 ジャンの周りが緑色の光に包まれる。やがて光は収束し、南南西の方角にまっすぐ伸びる線となった。


「!?……ここから、約三キロも離れています!しかも、移動し続けている……速度からして、馬車です!」

「何があったんですか!?ユリウス様!!」


 異変に気づいたリナが、すぐに駆け寄ってきた。ユリウスは素早く答える。


「『転移』持ちだ!しかも相手は俺と違って、複数人の転移ができる!アデルが馬車の中に、一人になった隙を突かれた!!」

「『転移』、ですって……!?」

「相手は間違いなく国外の者だ!くそっ……!俺が、馬車の外に出たから……!!」


 そもそも『転移』は非常に稀有な魔法だ。このコンラート王国で使えるのは、ユリウス一人だけ。国外にも該当する者はほとんどおらず、その魔法を持つものは瞬く間に有名になるため、世界中に顔と名前が知られている。だから、敵にこの魔法を使われることは全くの想定外だった。しかも複数人の転移ができる者は、過去には実在した例があるものの、現在いるという話は聞いたことがない。

 異常な気配の出現に感づいたユリウスが、すぐに馬車のドアを開けて目撃した敵は、仮面を付けていて顔が見えなかった。恐らく世界に知られていない、秘匿された『転移』持ちの人間だ。敵の団体の正体は一切不明、その脅威度は未知数である。


「俺が気配に気づいてドアを開け、攻撃に転じようとした瞬間に、アデルもろとも転移して消えたんだ!俺の、目の前で……!!」

「そんな……そんなことが起こるなんて…………」

「でも、奥様の行方は特定できました。もしまた転移しても、捕捉できます!」


 魔法を発動し続けているジャンが言う。ユリウスは顎に手を当てて、記憶を辿りながら答えた。

 

「複数人転移の、過去の事例では……転移できる距離には、かなりの制限があったはず。しかも魔力消費が激しく、発動は数日に一度が限度のはずだ。今日はもうこれ以上、複数人転移はしないと見て動いて良いと思う。ただし念の為、ジャンはここに止まってアデルの位置を捕捉し続けてくれ」

「はい!動かずに魔法を作動しておきます!」

「俺はすぐに転移して追跡を開始する。見失ったらまたここに戻る。しかし……」


 ユリウスは思案げな顔になる。周囲にいる者を見回して言った。

 

「『転移』持ちの俺に、こうして真正面から喧嘩を売って来たということは……敵方には他にも、相当な実力者がいるはずだ。或いは、俺一人では救出が難しいかもしれない……。ここは慎重に、敵の不意を突くことにする。悪いが念のため、リナと……『拘束』持ちのヤン。それから、『反射盾』持ちのブルーノがいいな。三人ですぐに、馬を飛ばせるか?」

「はい!了解しました!」

「現地で合流できたら、すぐさま同時に突入するぞ」

 

 三人は、すぐにジャンから目印をつけた地図を受け取り、アデルの位置と進行方向を確認し始めた。ユリウスは続けて指示を飛ばす。


「ただし、アデルは『すり抜け』と『転移』の魔道具を持っている。もしもアデルが俺の隣に避難して来たら、俺は彼女の保護と逃走を最優先して動く」

「はい」

「連絡は信号弾で行う。もしも彼女が俺の隣に転移して来たら、安全を確保した後、まず青い信号弾を上げる。逃走して無事にここへ合流できたら、緑色の信号弾だ。もう暗くなって来たから、全員視認できるだろう。注意しておいてくれ。現地へ向かう者以外の護衛は、ここに留まって使用人を守ること。人質が取られる可能性もあるからな」

「了解しました!」


 信号弾は、旅行の前にアデルが『調合』で化学合成を行い、作ってくれた物だ。狼煙よりずっと視認性と安定性が高いもので、打ち上げ筒を使って発射する。「万一何かあった時、連絡に使えるかもしれないから」と言って、ユリウスに持たせてくれた。公爵家の護衛たちと共に、何度か使って訓練もしている。


「俺がアデルと合流できた場合、リナ、ヤン、ブルーノの三人には敵の捕縛を頼みたい。一人でも良い。なるべく生かして捕らえてくれ」

「わかりました!!」

「だが深追いはせず、命の危険があるようなら無理はしないこと。良いか、これはアデルの望みでもある」

「はい、心得ております」


 三人が頷き、馬車に飛び乗った。ユリウスは大きな声で発破をかける。


「我が公爵家の宝を奪った代償…………必ず、払わせてやるぞ!!」

「はっ!!」


 ユリウスの紅い瞳はもはや、溢れ出す怒気で猛禽類のようにぎらついていた。


【転移】テレポーテーション

 

 その場からユリウスの姿がかき消える。アデルの奪還作戦が、いま開始された。

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