第8話 王太子の弱点
その日シャロンは、教室でリオンに勉強を見てもらっていた。なんと彼は成績もすこぶる良いのである。
度量も大きいし、顔もいい、背も高い、しかも魔術の天才で、その上頭脳も明晰なのだ。彼に弱点はないのだろうかと、シャロンはぼんやり思った。そんな矢先の出来事だった。
「国外に逃げるのを止めたと思ったら、今度は
明確に棘のある言葉を、突然投げかけられた。何者かと思って顔を上げると、そこにはこの国の第二王子――――マックス・アシュフォードが立っていた。彼は黒髪に翡翠の目をしていて、持つ色はリオンと全く同じだ。しかし前髪が長く、ほの暗い感じがあって、リオンとは全然印象が違った。カイルはリオンと腹違いの兄弟で、現王妃の実子だったはずだ。
リオンは珍しく少し言い淀んだ後、強い口調で返した。
「
「へえ!随分その女に執着しているんだな。珍しい」
マックスは意外そうに目を開いている。リオンは苦しげに言った。
「去ってくれ。今、彼女と勉強しているんだ」
「何だ。俺が怖いのか?」
「…………っ」
「ふん。せっかく話をしようと思ったのに興醒めだ。じゃあな」
リオンの顔色が悪い。いつもは何があっても泰然自若としているのに、こんなリオンは初めてみた。シャロンは気遣わしげに言った。
「リオン?気分が悪いなら勉強を止めようか?」
「……心配をかけてすまない。キリの良いところまで行ったら、少し話せるか?君に話しておかなきゃいけないことがあるんだ……」
「わかったわ」
二人は勉強を早めに切り上げて、一緒に王宮へ行った。王太子の執務室に通されて、リオンは入念に人払いをしてから言った。
「…………俺の、弱点なんだ」
「えっ…………」
リオンから『弱点』という言葉が出るとは思わなかった。リオンは眉根を寄せて言葉を続けた。
「弟の第二王子……マックスは、俺の弱点なんだ。俺は、いつも彼と比べられてきた。彼より優れていなければいけなかった」
「…………」
「マックスは、現王妃の息子だ。後ろ盾も、俺よりずっと強固だ。現王妃は常に、マックスを王太子に据えようと動いてきた」
「…………暗殺の危険に晒されてきたって、聞いたわ」
「ウィル辺りが喋ったな?……そうだよ。小さい頃から、何度も何度も……何度も殺されかけてきた。毒を盛られて、一晩中もがき続けて、生死の境を彷徨ったこともある」
リオンがあんまり苦しそうなので、シャロンは思わずリオンの手に自分のそれを重ねた。リオンが少しびくりとする。しかし、次の瞬間には大きな手に包み込まれて握られた。
「……トラウマなんだ」
「…………うん」
「マックスを見ていると、怖い。何度も死にかけたことを思い出す。彼より優れていなければという強迫観念に襲われる」
「…………仕方のないことだわ」
リオンは目を細めて、心細そうに笑った。こんなに弱った顔を見るのは初めてだと思った。
「俺は怖くなって。何もかも怖くなって。逃げた。ひたすら逃げた…………この国から逃げた。王太子なのに。格好悪いだろ?」
「いいえ」
逃げるのだって立派な選択肢の一つだ。格好悪いなんて思わない。シャロンは意志を込めた強い眼差しで、じっとリオンを見た。
「…………その目だ」
「え?」
「俺が一目惚れした時、君はそんな目をしてた。自分より強い者から逃げず、立ち向かう綺麗な目。俺はそれに見惚れて、焦がれた。今まで自分が、逃げてばかりの人生だったから……」
「…………そっか」
「もちろん、あれから君のことを沢山知って、もっと色々な部分を好きになったよ。君にも強いところと、弱いところがある。その全部が愛おしいと思うよ」
「…………うん」
「俺は度量が大きいと言われるけど、きっと何事にも関心が薄いだけなんだ。そんな俺が初めて執着したのが、君だ。自分が……こんなに誰かに、強く惹かれるなんて、夢にも思わなかった」
リオンは握った手にぎゅっと力を込めて、翡翠の目に切なげな色を浮かべ、シャロンをじっと見た。
「はは。俺の、情けない話を聞いてくれてありがとう。…………愛してるよ、シャロン」
シャロンは――――何だか大声で泣き出したいような気持ちに囚われながら、必死に言った。
「情けないなんて、思わないわ」
「…………シャロン」
「リオンのことをまた一つ知れて、嬉しい。そう思うわ」
「…………そうか。そうか…………」
リオンはシャロンの言葉を噛み締めるように顔を歪ませた。
「私、もっと知りたい」
「……うん」
「リオンの強いところも、弱いところも、知りたいって思う」
「うん」
「それで、何を知ったって……きっと、嫌いになったりしないわ」
「うん……ありがとう」
シャロンは心の底から、この人をもっと知って、支えたいと思った。
この気持ちが、恋なのだろうか?自分はリオンのことが、好きなのだろうか…………?
シャロンは初めて、自分の中に芽生えたものをはっきりと自覚した。そうて、見ないふりをしていた自分の気持ちと、やっと向き合い始めたのだった。
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