幻覚
海先星奈
オルガンの音は聞こえない
名のある教会にしては姿勢の低い門を通り視線をぐるりと回してから息を吐く。自宅から教会まで、歩けば実に三、四十分ほどの距離を歩いてきたのだ。多少なりとも疲労を休ませられるならその方が良い。吐いた息をもう一度吸い込む。乱れたとも言い難い程度の微細な揺れを整えるには深く息を吸い込む必要があった。
通っている日曜午前のミサの前の時間とは違い、金曜日の午後の教会は人気がなくがらんとしている。日曜であればどこか温かみを感じる薄いレンガ色も今は重みを纏ってその存在感を強く誇示しており、教会という生き物の心臓が人間であるという一つの証拠を、数百人が収容できる広さの主聖堂の外面は人々に見せていた。人々がそれぞれの役割に派遣されている今の時間は、その拍動も大きなものではないのだろう。
ゆっくりとした足取りで前室を抜けると天井の高い円形の空間が広がっており、正面には十字架とイエスが見える。視界の上、天井からは緩やかな白光が差し込み、イエスを、十字架を、そして教会の内部を満遍なく照らしている。足音でさえ響いてしまうような静かな緊張を和らげる良い光だった。穏やかな緊張を提供する主聖堂はその外面とは違い、人の有無や天気で見え方が変わることはない。いつも時間に応じた見え方がするだけの、どことなく不思議な空間だった。
するりと一礼をして、普段は座らない正面、前から五列目の右端に腰掛ける。申し訳程度のクッションがふしゅうと音を立てるのを聞きつつ、こちらを見下ろすイエスを仰ぎ見る。ただぼんやりと眺める。
視界の中に自分の他にロザリオを持って必死に祈るベールの背中を三つほど見つけたが、彼女たちほど真剣に祈る気持ちはない。私は白い衣を受けた人間ですらないために祈り方一つ、何を祈れば良いかすら知らない。それに知っていたとしても、何か形式ばったものが自分の心の中の、芯でありつつも柔らかい部分を冒すだろうことを私は悟っていた。「これで良いのだ」と思い込めば思い込むほどに体に入り込む不誠実と惰性がどれほどその体内で暴れるのかを教えたのは、人を変え場所を変え、生きる上で何度も姿を表す学校という場だった。そこでの勉強が、他者との繋がりが、「この通りでいいはずだ」という形式ばった思い込みから崩れていくのを何度も経験し、目撃してきた。
祈りの文言はいくつか知っているし覚えている。十字架のしるしと祈り。主の祈り。アヴェ・マリアの祈り。どれもこれまでに何度も唱えてきたし、物によっては歌ってもきた。だが、そのどれもが自分にとってするりと馴染むものでは無かった。唱えているつもりが、くどくどと文字を並べているだけの時すらあったし、それは気を抜くと今でもそうだと言える。私にとって、形式にこだわることや、こうすれば良いのだと思い込むことは、実際にその通りにすることよりもずっと荒みを生み出すものと言えた。
結果、こうして祈る時には、十字架とイエスの顔をぼんやりと眺めてから、少しの間目を閉じることが多くなった。それだけが私が最も無垢になる瞬間のために必要なことではないか、という仮定に辿りついたのだ。視界が開けているほど私は無駄口を叩くし、苦しい時ほど自分の感情から言葉多くに目を逸らそうと悲しい努力をする癖があるのをよくよく知っていた。だからこそ逼迫した状況の時こそ長く目を閉じたし、苦しい時ほど心中で語る言葉数を少なくした。結果として、無言の中で無限かつ有形の会話をすることを選んだだけのことだった。そして最後に目を開き、主の祈りを一度だけ心の中で唱える。私にはこれが良い祈りなのか悪い祈りなのか、果たしてそもそもこれが祈りなのかすらわからない。だが、この場に来てこうして対面しようとする試みは決して拒まれるものではありえないという一点において確信を得ていた。
ぼんやりと眺めていてもイエスの像は今日も何も語らない。おそらくそこに彼本人はいないからだ。それでも私は彼の像を見るのをやめない。自分の胸に手を当ててイエスに語りかけるには言葉を知らなさすぎるし、他人の中にいる彼に語りかけるにも良い方法を知らなかった。だからこそ、自分の胸に手を当てる代わりに彼の像を眺めた。
眺めているうちに、どこかからオルガンの音が聞こえ始めた。この主聖堂には大きなパイプオルガンがあるが、その音ではない。その音がするならば、もっと大きな音に違いないのだから。聞こえてきたのは、ずっとずっと遠くで遠慮がちに鳴らされているかのような小さな音だった。バッハだ。バッハの曲の中でも一等に私が好きな曲が弾かれている。初めてこの曲を聴いた時から、深く憂いを感じさせるものの、どこからか温かみをも感じさせる曲だと思っていたが、こうして今聞いてみてもその感想は変わらなかった。進むほどに次の音が先んじて胸の中を走り出す。旋律が幾何学のようにびっしりと楽譜を形作って目の前に顕現していくのがわかった。気付けばオルガンの音はその他の全ての音を包み込むように大きく広がっていた。
旋律に導かれるように目を閉じる。今までで一番自然に目を閉じることが出来た気がした。光を通さない瞼の裏で、旋律は耳に優しい音量で揺れている。暗闇の中にあるはずなのに、普段よりずっと温かいものがそこにあるのがわかった。
しばらくそのまま委ねていると、繰り返し演奏されるその曲が瞼の裏にある景色を連れてきた。そこは埃っぽい部屋だった。一度だけ入った事がある、高校の頃に何度も通った図書室の書庫の最奥のような場所だった。薄暗く、業務用のスチールラックに詰め込まれた名も知らぬ本たちと、一脚のパイプ椅子と小さなテーブル一つ以外には何もない部屋。テーブルの上には一冊の本革表紙の本が置かれていて、近くにある窓から差し込む橙色の光が照らしている。正しく、これは私がこの曲に対して抱く景色そのものだった。
私は思わず椅子に腰掛け、ゆっくりと本の背を撫でる。椅子が体重に押されて立てる音とは対照的に、本は異様なほど柔らかく、そして温かかった。表情が少しだけ緩んだのがわかった。私はこの触り心地を知っているのだ。何度も何度も見て、触ってきたのだから。何度も見た景色の中で、私はいつもこの本を抱き上げ、微笑みながら撫でていた。安楽椅子に座っているかのようにゆらゆらと前後に揺れながら、まるで本が眠るのをぐずる赤子であるかのように扱った。夕焼けの橙色に包まれるそれは、ちょうど今と同じような光景だった。
大事に抱えたこの本の中身を自分だけは知っていた。それは他の誰も知るべきではない、自分だけが大切に保管しておくべき自身の物語。だからこそ、自分ですらもう開くことが出来ないほどに膨れ上がったと知っても尚、それを他人に触れられることを恐れた。万が一にでも他人の手で内容が白日の元に晒されることがあったとしたら。それは思考そのものを強制的に停止させ、心のみならず五感でさえも全てを恐怖一色に染め上げてしまうほどの事態だろう。
例えば誰にも言えなかった小さな夢。
例えば自分ではもう気付いていたのに気付かないふりをし続けた感情。
例えば、心からの友人にすら語ることが出来なかったことを、尽く隠した嘘の奥の真実。
このどれもが、永遠に誰にも知られないままにしておきたいものだった。
それほどに知られたくないのであれば、いっそのことこの本を、自らの過去を焼却してしまった方が良かったのでは、と考えなかったでもないし、炎を近づけたことは何度もある。しかし、それは初めから不可能な試みだった。どれほどマッチの炎を肉薄させても、結局自分の人生の全てを否定し、忘却の炎にくべてしまうことだけはどうしても出来なかった。炎は忘れたいことだけを忘れるにはあまりにも熱かった。
忘却の炎を恐れてしまうほどに私は人を愛していたし、人に愛されている。数少ない友人を大切に思う気持ちを持っていたし、彼らからも大切に思われていることを知っている。心から愛した一人の人間から受けた小さな言葉をいつまでも大事に抱え込んで生きる事ができるほど、そしてその言葉を嘘にしないために、蝋燭の炎を分け与えるように他者への善意を選べることを知っている。大嘘つきの薄情者という自認こそあれ、その一点に関してはどうにも嘘をつくことが出来なかった。私は最初からあまりに幸福な人間だった。
詰まるところ、この本の内容は、私の人生の汚点を記し続けるものではあるが、同時に自分の人生を、そしてそこに含まれるあらゆる種類の愛と情を肯定するものなのだ。花のように美しく、木のように生命力に溢れ、そして死に至らない程度の毒を何種類も抱え込んだ危険な一冊。だからこそ、本の中に記された優しい何かを守るように、あるいは本が内包する毒から自分を守るように、ずっと表紙を撫でながらあやし続けなくてはいけないのだ。これまでも、これからも。
柔らかな光が私と本とを包み込む。誰も傷つけない、その代わりに誰も踏み込ませない一枚の絵の中の世界がここにある。平面の奥行きしか持たなかったそれは、ありえざる立体性を持って今や佇んでいる。ただし、平面の枠を飛び越えて現実に、私の目の前に現れたこと以外にも私の知っている景色とは違うところが一つだけある。
今や眩しい夕日が照らすのは本ではなく私自身だった。柔らかく眩しいそれは、ただの妄想の中から今や現実の自分の内側奥深く、言葉で語ることのできない仄暗い領域を温かく照らしていた。その温かさを知った時、私は何度目かを数えるのも忘れるほどの曲の繰り返しの果てで、この景色がここにある理由を理解した。
イエスよ、私はあなたに呼びかける。
イエスよ、私はあなたに呼びかける。
流れる曲の名を日本語にしたものを口に出してみる。返事は返ってこない。だが、返答はあった。これはそれを知るためだけに見た景色だった。
ふと景色が遠ざかっていくのを感じた。鮮やかな橙色から視界が次第に黒く変わっていく。自分がそこから遠ざかっていったのではない。もう目を覚ます時だと起こされているような感覚だった。気づいた時にはもうオルガンの音は消えていた。目を開く最後の一瞬まで、眩しいほどの夕焼けが目を刺していた。私がその光を見つめるように、その光もまた私のことを一心に見ていた。
目を開く。先ほどまで鮮やかな橙色だった空は天井から降り注ぐ白光に色を変えていた。スチールラックも無い。狭く埃っぽいところでもない。ただ、円形の聖堂が広がっていた。柔らかな光の中でゆっくりと、だけど一文ずつを丁寧に区切るようにして心の中で唱える。
天におられる私たちの父よ。
御名が聖とされますように。
御国が来ますように。
御心が天に行われる通り、地にも行われますように。
私たちの日毎の糧を今日もお与えください。
私たちの罪をおゆるしください。
私たちも人をゆるします。
私たちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
何度瞬きしても、眩しいほどの夕焼けはもうそこには見えなかった。立ち上がる。緩やかな登り道を上りきり、聖堂を出る直前にもう一度、イエスと十字架に向けて礼をする。いつもするものより背筋がまっすぐ綺麗で、深い礼だった。
そのまま明るい気分で外に出ようと扉を開けた時、どこかからオルガンの音が聞こえてきた。それは今度こそ、本物の音だった。本物の音はずっと幻聴より小さな、よく耳を澄ませなくては聞こえないようなものだった。何の曲を弾いてるだとかわかることもない。ただなんとなく知っているような伴奏の音のような気がした。
風に吹かれて落ちた近くの木の葉のかさついた方がずっと大きな音だった。十月の冷たい風に吹かれたはずの木の葉が、なぜか夕方の近付きを喜んでいる気がする。葉の落ちた地面のレンガは、その温かみを取り戻しつつあるようだった。
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