第五話 逆鉈
「これ、雨竜くんが殺ったの?見かけによらずやるねえ。外傷から推測するに頭か喉狙って殴ったでしょ」
「いや…」
別に俺は人を殺す気なんてさらさらなかった。ただ、感情のままに拳を振るったら、何故か人を殺してしまった。
「とりあえずここにいる残党は僕が倒しとくから、夏音と奥の奴らを殺ってくれないか」
「俺…人を殺したんですね」
呆然としている俺を見て、月並さんが不思議そうな顔をしている。
「どうした?」
「いや、軽く殴っただけだったんですよ。俺。なのに見ず知らずの人を殺してしまって、少しメンタルが…」
目の前の出来事に感情が追いついていない俺を見て、悩ましい表情をしながら月並さんが答える。
「分かるよ。俺はMAILISに入ってもう2、3年経っているが、未だに人を殺す度不快な気持ちになる。だけどそれは人間として正常な反応だよ。むしろその不快さが消えてしまったら、俺らはただの殺戮兵器となる」
夏音さんが不思議そうに首を傾げながらこちらを見ている。
「きっと一生慣れることはないだろう。僕も他のメンバーも、人を殺す度に悩んで、苦しんで、心が壊れそうになりながら任務にあたっている。縛が似たようなこと言ってなかったっけ」
喧嘩売ってきた先輩だと思い出しながら話を聞く。
「だからその苦しみは捨てようとしなくていい。ただ僕らはプロだ。任務中は一切の感情を殺して仕事に徹さなけりゃいけない。分かってくれるかい」
「……はい」
月並さんがニコッと微笑んだ。
「さあ行け、まだ主犯格の奴と対峙していない」
夏音さんが待ちくたびれた様子で俺を待っている。急いで彼女の元へ向かう。
「遅いよーーどうせ月さんの長話に付き合わされてたんだろうけど、適当なところで流さないと!」
「ゴ、ゴメンナサイ」
夏音さんが小さな手帳のようなものを取り出し、そこに簡略的な地図を描き始めた。
「ここが今いる場所。んでここがさっきいた場所。」
「わかります」
「そして今この突き当たりに向かって進んでる。明らかに不自然な空間があるんだよね、ここだけ。」
夏音さんに連れられるままに進んでいくと、確かに取ってつけたような不自然な空きスペースがある。
「雨竜君、下がってて。この壁に剣突き刺すから」
「わかりました」
本当にこの空間に意味はあるのだろうか?半信半疑のまま見守っていると、夏音さんの短刀が壁に深く突き刺さり、鍔に赤黒い血が垂れるのが見えた。
「感触、あり」
そう言い放った夏音さんの対面する壁の向こうから、とても人間とは思えないような野太い声がした。
「フシュウウゥゥゥゥゥーーー!!」
少し身構える。夏音さんの刀から溢れた血が足元に溜まっているのが目視できる。
「ふるあああぁぁぁぁーーー!!」
雄叫びと共に目の前の壁が勢いよくこちらに向かって倒れ、刀を壁に突き刺していた夏音さんは反動で数メートル弾き飛ばされた。
「雨竜君、無事!?」
「無事です!」
吹き飛ばされた夏音さんの顔から、狐面が少しズレて口元が見える。え、年下なのだろうか。若いというより少し幼い。
「お前らァ…名を何と云うウゥ…」
顔を上げると、肩の辺りから血を流した大男が立っていた。夏音さんが突き刺した刃が当たったのだろう。
正直に名を名乗って良いものか判断がつかず、黙っていると夏音さんが先に答えた。
「私は夏音、所属組織は言わなくても分かるだろう。貴様は何者だ」
「俺ハぁぁ…京坂様に仕えル奴隷だ…名乗る名ナどナい……」
「そうか。お前を殺す」
――落花――
夏音さんが恐ろしい速さで大男の周りを移動し、奴を錯乱している。単純な速度だけで比較すれば月並さんを遥かに上回る。
「隙あり」
ほんの一瞬奴の視界から外れた隙に、夏音さんが超高速の一突きを繰り出す。だが奴も直ぐに身を引き、刀はあまり深く刺さらなかった。
「ぶあああああ゙あ゙ぁぁぁぁ!!」
奴が叫ぶと、天井から岩石が降り注いだ。俺は奴の攻撃を躱すので精一杯で、中々近づくことができない。
「爆雷ぃぃぃぃ」
奴がこう言うと、夏音さんの立っていた場所から突然土地が隆起し、夏音さんは5メートル以上吹き飛んで天井に強く身体を打ちつけた。明らかに奴は夏音さんを集中攻撃している。
「夏音さん!」
天井を見上げると、彼女は天井から落ちる勢いをそのままに奴を串刺しにするような格好になった。
「その重たそうな身体でこれが避けられるの?」
ビュゴォォと風を切り裂く音を立てて、夏音さんが奴の頭目掛けて刀を突き刺そうとする。致命傷になるかと思われたが、奴は器用に体を捩ってターゲットを外し、夏音さんの一撃は彼の腕に傷をつけるだけで終わった。
「MAILIS……この前俺と一戦交エた燈葉と云ふ少年もそウだが、複数相手でナければそう脅威でハないなぁぁ…」
夏音さんが上がった息を隠すようにして、余裕そうにこう言う。
「これで本気とでも?」
――燈篭――
一歩目で夏音さんが奴の目前まで距離を詰める。二歩目で奴の顔を目掛けて上突きを喰らわすフェイク、三歩目で背後をとり心臓の辺りを思い切り刺す!
……全てを読んだ奴が夏音さんの方を振り返り、鉄拳を振りかざした。
ドシャアァっと大きな音を立てて、夏音さんが地面に叩きつけられる。即座に距離を詰めて更に追い討ちを掛けようとする男。まずい。俺はまだ何一つ働いていない。
動け!
俺は奴の元まで全速力で走り、背後から首を絞めた。
「ヴゔゔゔぅああああああ!!」
素人の攻撃だが、思っていたよりも効いている。若干の時間稼ぎにはなったのではないだろうか。
「爆雷ぃ゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙」
俺の立っていた地面が盛り上がり、さっきの夏音さんのように天井に叩きつけられた。折角不意を突いて奴の首を絞めていたが、この衝撃で外れてしまった。
まずい。このまま落下すると、受け身の取り方を知らない俺は大怪我を負う。どうする…
次の瞬間、俺を受け止めたのは地面ではなく夏音さんだった。ふわっといい匂いがする。二回りは大きいであろう俺を片手で支えるとは、今更ながら恐ろしい身体能力だ。
「雨竜君……ありがと」
――六乗――
俺を地面に降ろすと、彼女はすぐに破裂音を立てながら奴の近くまで距離を詰めた。
――球星――
そのままの勢いで、360°全方向に回転しながら刀を振り回す大技を繰りだす。不意を突かれた男は肋骨辺りを少し抉られ、やや苦しげに呼吸をし始めた。
他に…他に俺ができることは何かないだろうか。初戦とはいえ、夏音さんに戦闘を全て任せてしまうのはあまりに申し訳ない。
「壊鉈ぁぁぁ」
男が非常に大きな鉈のようなものを手にした。しかし、手持ち部分にあるはずの木のパーツは全て取り払われ、形だけを見ればただの刀のようだ。
「ぶるああああぁぁぁ!!!」
射程圏内から必死で逃げる夏音さんに向かって、鉈を振り回しながら男が叫んでいる。
あの鉈をまともに喰らえばおそらく即死だろう。俺は起死回生の一手に出ることにした。
「どうした、俺は狙わないのか外道!!」
あまりにも身の程知らずな発言。奴の攻撃を防ぐ手段を持っていて挑発するならまだしも、俺は夏音さんよりもずっと戦闘経験が浅く、あの大きな鉈を避けられる自信は全くない。
俺の挑発に気づいた男が、鉈ごと俺の方へ超高速で投擲してきた。
「雨竜!!」
まずい、死ぬ……
目を瞑る。
「…雨竜くん?」
目を開くと、月並さんが奴の鉈を真っ二つに切り裂いていた。
*
「八咫烏、逆鉈はどうだ」
「……知らない。連絡もない」
八咫烏が煙草の吸い殻を投げ捨てる。
「もう狩られちゃったんじゃないかな。俺らも此処に屯していたら無駄な血を流すことになる。逃げた方が良い」
夜に包まれた春の森は酷く静かで、聞こえるのは彼らの足音と僅かな虫の音だけだ。
歩き続けていると、華奢な男が突然止まって険しい顔になった。
「……何か聞こえないか」
「人の足音だろう。向こうが気づかない限りは無視して進めばいい」
「そう」
再び歩き始める。
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